ノラという名前の子猫(に似た、ちいさい生き物)が主人公の漫画。
短編『ロータス1-2-3』『たんぽぽ1-2-3』と同設定だけど、本作品は長編としてひとつのストーリーにまとまっている。
骨格となっているのは、ノラが木のうろを通って別の世界と行き来するというところ。
他の世界のいろいろなキャラクターと出会い、最終的にその運命を変えるという物語。
- 鈴木志保の漫画の魅力
- テーマはだいたいどの作品でも一貫してる。
(これはもう初期の珠玉作品『船を建てる』でパーフェクトに表現されている。)- 100年経ったら、いまいる者の誰も生きてはいない。人だろうと動物だろうと。みんな入れ替わってしまう。
- 死とか喪失とか。日常と平穏を欲しながら、抗えない不幸へ直面する小さきものたち。
- それでも小さいものたちは小さいなりに立ち向かおうとする。パレード。
銘記しておきたいフレーズ。
美しいものは
世界を支える杖なんですって
水や 空気や ごはんとちがって 無くてもしぬわけじゃないけど
……… でも それは
世界を
支えて いるのだわ
それが崩壊するとき
ヴィクトリア瀑布は崩壊する だから
そのヨセミテ渓谷も おねがい
あるいはまたユングフラウも あなたは
世界を愛して
地下の地上の葉っぱの屋根の!
近所中 せかいじゅう の ちっちゃきもの に問う!
時間って
過去から未来に流れているのかしら?
それとも未来から過去に流れてくるもの?
そのどちらでもないかもしれないよ
過去も現在も未来も実はすでに存在していて…
ただ我々の意識が「今」しか認識できないだけなのかもしれない
わたしたちって
みんなこうなのかしら?
「今」しか分からないのかしら?
(以下、ネタバレ含む)
- プロットとしては正統的なタイムスリップ/タイムパラドックスもので、あたらしいというわけではないんだけど、表現がとにかくしみる。
- 厄災をキャンセルする(+)。そのかわり、出会うことがなくなる(−)。
→それまでの関係性の構築が丁寧で説得力ある絵で描写されているので、この + と − の切なさが深く伝わってくる。
- 厄災をキャンセルする(+)。そのかわり、出会うことがなくなる(−)。
- 一方で厄災の描き方については、他の作品とスタイルが少し違っている気もする。
- 『船を建てる』とか『パレードはどこへ行くの?』とかでは、非人称的で意志のない災害のようなものとして描かれていたと思う。
- この作品では、名前すら欲しがるような「かたちある存在」にもたらされる禍いとして描かれている。
- また、仲間だった者が暴走し異形化するというのも(そのデザインも含めて)なかったパターンのような。(でも『船を建てる』の細かいエピソードでそういうのがあったような気もしなくもない……)
せっかくなので、『たんぽぽ 1-2-3』と『船を建てる』についても簡単に触れておく。
たんぽぽ 1-2-3
鈴木志保に最初に出会ったのが、『デザインフレックス』という雑誌に掲載されたこの作品だった。
テキストがとても好き。
我々は 日々を闘うべきだろう
足を上げて歩くべきだろう
世界中のすべての兵器を
ベーゼンドルファーに。
パレードをつづけろ
併せて書かれてた編集長新谷光亮の紹介文もすばらしくて。
ハートウォーミングな話だけではなく、「死」を読者に意識させる切ないストーリーもあるが、悲観的な気分にはさせられない。そこには必ず「救い」が描かれているからだ。先に「日常」という言葉を用いたが、鈴木志保の作品は、日常と非日常のボーダーを行き来する。
また、タッチについていえば、まるでコンピュータで描いたような太さが均一な線(実際は手描きである)、さらには独特のフレーミングやアングル、大胆なコマ割なども特徴的だ。ある1ページがグラフィックデザインとして成立してしまうような潔さがある。