“Interstellar”
Director : Christopher Nolan
US, 2014
観てきた。
どうしても羅列的な感想になってしまう……というのがこの映画についての自分の評価を端的に表していると言えなくもないはず。
- 予告とかだとどんな映画なのかちょっとわかりづらくはあったんだけど、基本的にはヒューマンドラマと要約したい。
- 冒頭はけっこうだるい展開が続き、なかなか核心に迫っていかない。169分の長い映画だから焦る必要ないってのはあるにしても、最初ずっと田舎の景色が続くのは退屈。
- 細かい説明があった方が良いようなところでそういうのが省略されてて、かわりに感情描写の演出でなんとなく引っ張られていくような展開が序盤で目立つ。状況を完全に理解できずよくわからないけどこの場面はこういう感情で受け取ればいいんだろうな…、っていうように。(BGM効果に拠るところも大きい。BGMについては、映画館によって違うかもだが何か音のバランスが大きすぎてちょっとどうなの、とも思った。) 説明の不足・細部の不足が「物語の語彙」によって強引に埋められて進んでいく感じはあった。そういうところ、わりと感覚受動的な映画だと思う。
- だからこそ、「インド空軍のドローン」っていう語が出てきたときのわくわく感は貴重。
あれ、世界設定に関わる最初の台詞なんだよね。それまで「現代のアメリカの田舎、なのかな…?」程度に推測するしかなかった舞台状況が、あの語ひとつで「何か大きな状況変化が起こったあとの近未来」ってわかって、いろんな連想を掻き立てられる。
- “実は**は***によるものだった” というプロット構造については…… アメリカの視聴者ならともかく、藤子・F・不二雄が散々やり尽くしてるのを知ってるはずのわたしたちとしては、この点に関してのあたらしさは感じようがないってのはあると思う。(****が絡むネタとしては谷甲州が想起されたりした。)
といいつつも、やっぱり最後におけるこれまでの諸々の伏線判明のところは心に響くものがあった。「船内での握手」のところが特に。
- SFとしてはわりとハードな方。
- ガルガンチュアをめぐる惑星および探査船の各軌道と時間の関係なんか、たぶん書籍として読んだとしてもわかりづらいはず。映画の一瞬の台詞だけで理解してくのはなおのこと困難なんだけど、深く内容吟味しなくてもキータームだけ出てくると「あぁ… たぶんああいうこと言ってるんだな」ってわかるのはSF嗜好者の利点なのかも。
- ……というか一般視聴者かなり置き去りにしてるつくりな気はする。一般相対論って、そこまで基礎教養ではないのでは……って思ったりするし。
- ビジュアルはいくつか感銘受けるところがあった。
(以下、核心部分のネタバレ含む)
- ドラマについては、最終的な結実としては良かったと思う。
特に終幕部。主人公が出発しようとするところと、惑星での植民基地の描写のあたり。看取って終わり、っていうのではなく、あらたな出発につなげたのが良かった。
- 「月面着陸は捏造」というのが教科書の記述となってしまってるっていうのと、星条旗屹立を伴う系外惑星開拓地っていうのは、両方とも〈アメリカ〉なるものの一面を体現してる感じはあった。科学あるいはSFというのは本義としてローカルを超えたものであるはずなのに、アメリカのSF映画というものは〈アメリカ〉なるものから逃れることがないのだな…というのを再認識したような。
- 五次元時空と「あの部屋」との関係はよくわからないところがある。
- 自分自身が五次元時空から「あの部屋」へ移動することはできないけど、重力による物理的作用はさせられる(本を落としたり時計の針に干渉したり)……? でも室内の風景が「見える」というのはどう説明できるのだろう。
- あの状況なら、やり方次第で相互コミュニケーションできるような。だとしたら、五次元時空を操作できる技術を持った者たちは、超時間双方向通信技術とか持っててもよさそう。
- なぜ五次元時空が「あの部屋」に接続してるのかっていうのは、五次元時空の創造者がクーパーをマーフとコミュニケートさせるためそのようにつくったからだよね。なんか「愛」の力ゆえに、みたいな誘導がけっこう効かされてたので惑わされる。
- 自分自身が五次元時空から「あの部屋」へ移動することはできないけど、重力による物理的作用はさせられる(本を落としたり時計の針に干渉したり)……? でも室内の風景が「見える」というのはどう説明できるのだろう。