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 シャーロット・コットン “現代写真論”



“The Photograph as Contemporary Art” 2nd edition
 2004, 2009
 Charlotte Cotton
 ISBN:4794967500



現代写真論

現代写真論





  • 著者:シャーロット・コットン Charlotte Cotton
    • イギリス国立メディア博物館ロンドン・ギャラリー(The National Media Museum, UK)のクリエイティブ・ディレクター。(出版当時)
      ヴィクトリア&アルバート博物館(V&A / The Victoria and Albert Museum, London)写真部門キュレーター、フォトグラファーズギャラリー(The Photographers’ Gallery, London)企画主任、ロサンゼルス・カウンティ美術館LACMA / The Los Angeles County Museum of Art)写真部門統括、などの経歴。
  • 本書の目的
    • 現代美術の文脈で議論に値する写真家たちを羅列するのではなく、写真家たちの動機や表現の広がりを捉えること。
      アート写真の現状に焦点を当てること目的としており、なぜ・いかにその現状に至ったかは考察対象外とする。
    • 最終的には、コンテンポラリー・アートとしての写真は自律的なものであり、写真の歴史を通してのみ語りうるものではないという立場をとっている。(何か連続的な写真史があって、それに沿って発生論的に現代写真の諸々の実践が出現してきた、とは考えていない。)
  • 8つのカテゴリー
    • 様式や主題による分類ではなく、動機や実際の作品づくりなどの側面から分類。
      基盤となる思想、そこからの産物としての写真作品を考察。
  • 概要


 概ね1人1作品、計238点の図版を収載し、8カテゴリーのなかで紹介している。*1
 各カテゴリーには、互いに排他的な項目もあれば、共属可能なものもある。網羅的分類というよりも、現代写真において重要なキータームを抽出し並べたものと捉えた方がよいかもしれない。*2
 現代写真は必ずこの分類のどれかに入るはずというわけではないが、これらの視角のうちどれかに含めて語れるものは多そう… という程度の感じ。実際、複数のカテゴリーで紹介されている写真家もいる。

 何を([撮影対象])どのように撮り([表現技法])何を主張するか([主張内容])
 →[対象] [技法] [内容] のどれに対し特に関心を寄せているかは、各カテゴリーで異なる。


 8つのカテゴリーを自分なりに整理すると、以下のようになる。


1  現代美術の記録・表現手段としての写真事前構想に従って演出される写真
(←→刹那的・衝動的な写真)
[技法・内容]
2  物語・解釈物語内容を主張し解釈余地を与える作品
(←→物語内容のない写真)
[技法・内容]
3  平板性・俯瞰性平板的で俯瞰的
(←→人間の視覚の擬似的な再現としての写真)
[技法]
4  日常事物への主題拡張日常のもの・ありふれたもの
(←→非日常で刺激的なものetc)
[対象]
5  私写真親密性・個人的
(←→客観的・非個人的)
[対象・技法]
6  フォト・ジャーナリズムへのオルタナティブ    アート語法による、社会的イベントの記録
(←→非社会的な対象・主張 or ジャーナリスティックな語法での記録)   
[対象・技法・内容]
7  ポストモダニズム写真が持つメディアとしての側面への関心・メタレベルでの表現
(←→オブジェクトレベルでの表現・実践)
[技法・内容]
8  物質性素材としてのテクスチャー性
(←→写真内容・主張)
[対象・技法]
 この書で提示される分類設定は自明なものではないし、歴史文脈にも依る。
 たとえば、7章「ポストモダニズム」。模倣/正真といった区分でオリジナリティetc を問う問題設定は構造主義ポスト構造主義の流れのなかで登場したものであって、それ以前にはこうした弁別項は主要な潮流とはなっていなかった。
 また、8章「物質性」。デジタル写真の登場により、デジタル/アナログの区別が誕生してから素材/内容という区別がクローズアップされた。

 
 いずれのカテゴリーであるにせよ、この書で扱われる対象には基本的に「コンテンポラリー・アートとしての写真」という共通前提が持たされている。*3
 「コンテンポラリー・アートとしての写真」とそうでない写真との区別は、1章でまず語られているように、事前構想(コンセプト)に基づいて撮影されたものかどうかに依る。(5章のカテゴリー「私写真」も、一見家族スナップと同じような撮り方に見えるが、家族スナップでの予期構造に反したり再構築したりしており、自分の行為に自覚的… つまり「批評的」である、という意味でコンテンポラリー・アートに括られ得る。)
 では逆に「アートではない写真」とは何かというと、家族スナップ写真、報道写真、商業写真など。
 あるいは「コンテンポラリー・アートではない写真」とは、撮影技術を重視したモダニスティックな写真、誰が撮ったのかという評価基準(「巨匠」と「アマチュア」という対立区分)によるものなど。

 「コンテンポラリー・アートとしての写真」かそうでないかという一線がどこに引かれるのかについては、7章で紹介されるジャマイマ・ステリ Jamima Stehli の写真によるヘルムート・ニュートン Helmut Newton の引用例で理解できる。ステリの作品 “After Helmut Newton's ‘Here They Come’” は、ニュートンの写真と部分的に同一モチーフ・同一構図で撮られているが、シャッター・ケーブルを携えて写っていることで批評性を備え、コンテンポラリー・アートとして扱われるようになる。(ファッション雑誌で発表されたニュートンの写真に対し、ステリの写真は現代美術のギャラリーで発表されるという対比。)
 なお、ステリの写真でのシャッター・ケーブルは批評効果を強調しているだけであって、必ずしもファッション写真とコンテンポラリー・アートの差異を与えるため決定的に不可欠な要素というわけではない。ハリウッドの映画セット確認用コンテ写真を再提示するジョン・ディボラ John Divola 、アマチュア写真を編集して作品とするリチャード・プリンス Richard Prince やハンス=ペーター・フェルドマン Hans-Peter Feldmann (7章)、古典写真家の作品を撮影し額に入れて自分の写真作品として展示するシェリー・レヴィーン Sherrie Levine (8章)などは、もはや自らは撮影行為をおこなってすらいないものもあるが、文脈を併せて示すことによってコンテンポラリー・アートとして成立している。


 “感性のままに撮った”ような写真ではなく、戦略的な構想をもって制作される写真こそがコンテンポラリー・アートの写真であるわけだけど、その「構想」がただ何となくの恣意的なものであってはコンテンポラリー・アートとして扱われない。批評文脈を踏まえた上での実践であることが、コンテンポアリー・アートとして評価されるかどうかに関わってくる。
 この書は、写真史のような視点では書いていないと断ってはいるものの、随所で歴史的経緯に触れてはいるし、他ジャンルからの影響を含め、表現成立の背景についても記述している。(たとえば、現代美術/18-19世紀絵画/ジャーナリズム/現代思想/写真技術進展/ファッション写真/家庭的私写真 etc。)
 その意味で、コンテンポラリー・アートとして成り立つための背景を概括的に知ることができる本として有用。
 8章末尾の文章は、物質性をテーマにしたカテゴリーに対する記述ではあるけれど、現代写真全般の意義をうまく言い表しているように思う。

[…] 私たちはかつてないほど写真という言語に時間と労力をかけ、専門的な技術と知識を得ている。そして写真が、切り取られた現実の一瞬の、中立なあるいは透明な伝達手段とは、いかにかけ離れたものとなりうるかを理解している。ここで取り上げた写真家たちは、写真の過去に対する私たちのフィジカルでマテリアルな理解を言い換え、コンテンポラリーアートとしての写真のボキャブラリーを拡大し続けている。
p240

 拡大し続ける現代写真。
 この書は主に1990年代-2000年代の作品を対象としているが、もし今から10年後に再び同じような指針の本が書かれるとしたら、そのとき、カテゴリーにあらたなものが増えていることはまちがいないと思う。




[メモ]



1章 これがアートであるならば

  • 1960〜1970年代のコンセプチュアル・アートでは、パフォーマンスなどその場かぎりの芸術作品を伝えるための手段・記録として写真が利用され、この文脈から、できごとの「演出」に重点を置いた写真の系譜が生まれた。
    日常生活で遭遇したすばらしい一瞬を独自の審美眼で切り取って写真作品としている… というような写真家像とは異なり、あらかじめ主題やコンセプトを設定し戦略を立てて写真作品を制作する写真家たち。
  • パフォーマンスの記録としての写真/アート
    写真に収めるためにつくりだされたパフォーマンス




2章 昔々

  • アート写真における「語り」
    • 18〜19世紀の人物画を起源とする「絵画(タブロー)写真」(一枚の写真画像(絵)のなかに物語を集約している作品) … “構成的 constructed” “舞台的 theatrical
    • 画面要素や構図が事前に厳密に設定され、制作者の構想通りに表現される。
  • 事例
    • 「写真作品とは写真家がひとりで撮影してつくりだすものだ」という先入観を覆すような、俳優・アシスタント・技術者などを映画監督のように統括して制作される作品
    • 事実とフィクションを組み合わせた作品
    • 美術史上のモチーフを主題に用いた作品
    • 明確な比喩的表現や文化的コードを活かした作品
    • 制作過程そのものも問題化した作品
    • 人間の存在感に頼らず、建築空間に物語や寓話的要素を見出す作品




3章 デッドパン

  • 美的写真・美的透明性について
    • 1990年代後半以降もっとも顕著に見られるのが、無表情(デッドパン)の美学に基づくスタイル。
    • 1980年代後半以降、プリントサイズの巨大化という技術変化に伴って、写真は絵画やインスタレーションに匹敵する表現言語となった。
    • ドラマや誇張がなく、形式的にも演出的にも平板化され、感傷や主観から切り離された中立的・客観的視点であるかのようなデッドパン・スタイルのアート写真 →1980年代コンテンポラリー・アートにおいて主流だった絵画による主観的アート(新表現主義)に代わるあらたなトレンドとなった。
    • ベルント&ヒラ・ベッヒャー Bernd and Hilla Becher の影響。および、1920〜1930年代ドイツの新即物主義(ノイエ・ザッハリヒカイト)の写真との関連。
  • 事例
    • アンドレアス・グルスキー Andreas Gursky:新旧技術(大判カメラ+デジタル操作)の活用。鑑賞者を俯瞰的な傍観者とする。人間の視覚の擬似的な再現という写真制作観からの解放。
    • トーマス・ルフ Thomas Ruff:できるだけ無表情にという指示のもとに撮影された、友人たちの顔写真。




4章 重要なものとつまらないもの

  • アート写真の主題とその拡張
    • 日常で見過ごされているありふれた事物や空間を主題とする写真実践。
    • あらゆるものは撮影可能であり主題となりうる。
    • 1960年代後半、ミニマリズム以降の彫刻に対応するものとしてコンセプチュアルな静物写真が登場。




5章 ライフ

  • コンセプト先行ではなく、親密な関係性を感情的・主観的・個人的に描いた表現
    • 家庭で撮られる写真のように技術や芸術性を欠いた撮影が、逆に撮影者と被写体との親密な関係・個人的な経験を伝えるための表現手段となる。
    • 私写真には、美術批評を免れる性質がある。




6章 歴史の瞬間

  • 政治的・人間的激動の記録をアート作品に応用する手法
    • 記録写真の伝統を無効にし、記録写真の定義を揺るがすようなもの。
    • 直接的な情報伝達手段としてテレビやデジタルメディアが写真に取って代わった…という見方に反し、写真の社会性を維持する手段としてアートの語法を利用することで活路を得た。
  • 事例
    • さまざまなメディアを組み合わせた表現
    • 隠喩・寓意の使用
    • 18世紀後期の西洋の風景画の絵画様式への回帰
    • デッドパンスタイル
    • 動きを排除した19世紀の記録写真を思わせる作品 (フォトジャーナリズムの因習に対抗)
    • リュック・ドライエ Luc Delahaye:極めてフォトジャーナリズム的な主題を歴史絵画のように荘厳な絵画(タブロー)風のアート写真で表現




7章 再生と再編

  • モダニスト:写真にはそれ固有の内的論理があるという思想。写真というメディアの美的・技術的発展と刷新の可能性。アマチュア写真家との区別。
    ポストモダニスト:写真というメディアを制作・伝達・受容という観点から扱い、複製可能性・模倣性・虚偽性に着目してオリジナリティ・正真性・写真的真実性を議論。
    • 一般に流布した画像を利用・リメイクする写真
    • セルフ・ポートレイト
  • 事例
    • シンディー・シャーマン Cindy Shermanポストモダン・アート写真の典型。図像の盗用や模倣。
    • 架空の人物写真のアーカイブ
    • ワリッド・ラード The Atlas Group/Walid Ra'ad:架空のストーリーを通してカウンターメモリーや歴史を伝える。
    • 19世紀の写真手法の利用
    • カメラ・オブスキュラ技術
    • フォトジェニック・ドローイング(フォトグラム)、ダゲレオタイプ →複製できるネガが存在しないタイプの写真
    • 既存写真や、どこにでもあるような作者不明の写真の再提示
    • デジタル技術による合成ポートレイト




8章 フィジカル、マテリアル

  • デジタル写真の急速な普及 →しかしアナログ写真は絶滅せず、1990年代末と2000年代はアナログ写真とデジタル写真の混成の時代となった。
    • デジタル写真ではなく、あえて写真のフィジカルでマテリアルな特性を強調。アナログ写真の制作過程で生じる出来損ないや失敗、偶然の結果などを写真に本来備わっていた特質を尊重する。
  • インターネット・ウェブサイトを利用したプロジェクト
  • 事例
    • 既存の写真を写真製版法でプリントした写真、印画紙のマテリアル性を用いた作品
    • 雑誌や書籍から引用した写真画像を利用してつくった彫刻的な形態、をさらに写真撮影した作品
    • 壁一面のコラージュ作品、インスタレーション

 

*1:
 なお、邦訳は2009年の第2版に対応。ちなみに未訳だが2014年に第3版も出ていて、序章の改訂および最終章追記があるらしい。

*2: 
 分類とは見方の問題でもあるので、こうした分類がいかなる視点で導入されるのかという問いもあり得るはず。

*3: 
 書名 “The Photograph as Contemporary Art” にも表れているように。
 邦題では『現代写真論』とされていて、現代の写真一般を扱っているようにも見えてしまうが、邦題サブタイトル『コンテンポラリーアートとしての写真のゆくえ』の方が原題および記載内容に即している。






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―Angela Mitchell