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 冨田恵一 “ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法”






ナイトフライ

ナイトフライ





  • 音楽を語るテキストはどのようにあるべきか。
     という問いに対して、この本はひとつの模範を示すことができていると思う。
     
  • ポピュラー・ミュージックを批評するテキストにはさまざまなタイプがあって、たとえば歌詞やインタビューをもとにつくり手の意図を探るものだったり、ミュージシャンの履歴をたどって作品を解読するようなものだとか。そうかと思うとカルスタがやってたみたいにアカデミック寄りな批評といったものもあったりするし。それから、いわゆるロッキング・オン的な私小説型印象批評とか。で、結局いま定着してるのはたとえばナタリーなんかに代表されるような、平坦で情念の薄まったタイプになっているような。
  • けれども、この『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』がおこなっている作品批評は、自分が知るいずれのタイプとも異なっているように思う。
     ひとことで言うなら、「音楽エンジニア的観点からの批評」というタイプ。
     他の音楽分野はともかくとして、ポピュラー・ミュージック分野ではこのようなアプローチによる音楽批評は少ないような気がする。
  • 本書のアプローチのあり方については、「譜面での楽曲解説は含まない」「歌詞内容に関する解釈を含まない」「演奏家・作編曲家・プロデューサー・リスナーそれぞれの経験を持つ筆者の視点を混在させて記述する」ということが冒頭で謳われている。とくに最後の点、音楽制作のプロとしての視点で語っているというところこそが最大の特長であり優位点だ。
     つくり手の視点、つまり、音楽を制作する環境がどのようなものでありどういったプロセスを経由するのかという視点から音楽作品が分析され語られること。それは当然あってしかるべきアプローチだと思われるにもかかわらず、実際にはめずらしい。インタビューにて作者本人にテクニカルな質問が投げられることはよくあっても、他者の作品単体に対してこのように細密な技術的分析がおこなわれ一冊の本にまとめられた例はなかなか思い浮かばない。

    •  菊地成孔なんかはテクニカルな視点をもって音楽批評を綴っているタイプではあるけれど、一方でポストモダン的な文化論に連なっていることも大きな特色であって、その点で冨田恵一のこの本とは違っている。冨田恵一の場合はそうした文化横断的視点はなくて、純粋に音楽技術からのみ語っている。
       

  • 技術的分析といっても、この本でおこなわれているのは譜面あるいは実際の演奏情景を見ながらテクニカルに分析していくといったことではなく、音源を聴きながら制作状況を推測して工程を読み解いていくというようなことが多かったりはする。けれどもそれは、テクニカルな裏付けを持った観察ができるからこそ可能な解釈という点で印象的批評とは一線を画している。
     また、作曲・作詞や演奏といった一般的に作品名義としてのミュージシャンへ還元されてしまうような部分だけでなく、その周辺、レコーディングやエディット、プロデュースといった範囲まで視野を広げていることも大きな特徴だ。(作品解読の他、一般的なレコーディングの流れについての解説も書かれてたりして、とても有用。)
  • 「録音芸術」という形態を取る現代のポピュラー・ミュージックではそのような制作工程全体が作品価値を決定付ける、というのが筆者の主張であり、そのような観点で解読をおこなうための具体的対象として選ばれた作品が、1982年にドナルド・フェイゲンがリリースした “The Nightfly”。音楽制作全般をトータルにコントロールできるひとりの才能が、稀代のスタジオ・ミュージシャンたちを駆使しながらつくったアルバム。この本はそうした名盤を詳細に分析しながら、録音芸術を聴く楽しみを文章にて表現している。
     たとえばサンプリングによって生ドラムの音がどのように扱われているか、そのブレイクビーツ的な手法について。あるいは曲の展開・構成の形式について。Aメロ/Bメロ/サビというベーシックなフォーマットがいかに巧緻に変形されているか。また、ピアノの左手パートと右手パートがどう分担されているかの分析。そしてこれらの技法が制作工程のなかでのフィードバックを繰り返し楽曲が洗練されていったと推測できること。
  • そうしたさまざまな技巧はアルバムという総体を通して作品テーマの表現につながっている。さらにこのアルバムをポピュラー・ミュージック史から見たときには、80年代の音楽形態の先駆としての意義を見出すことができる。
     音楽は深く考えずただ感性のままに受け取ればいいんだ、っていう接し方ももちろんあっていいんだけど、制作者の視点による解析が音楽鑑賞の楽しみを拡張させることもあるはずで、この本はそれを実践的に示している。


    • 音楽批評スタイルについてのメモ
      •  日本のポピュラー・ミュージック批評を考えるとき、ロッキング・オンによる影響はやっぱり大きいと思う。もちろん実際は「ロッキング・オン的」と称される私小説的印象批評のタイプだけしかなかったわけではないけれど、音楽批評のあり方が議論されるときには「ロッキング・オン的なもの」が必ず取り上げられる気がするし、あたかも仮想敵のように掲げられて扱われている現状はあるように思う。ちょっと検索すれば80〜90年代のロッキング・オン型批評を否定してるテキストはいろいろ見つかる*1。また、この本の作者へのインタビュー http://realsound.jp/2014/08/post-1001.html でもロッキング・オン的批評への対比が言及されている。
         ああいった批評スタイルに対する直接的あるいは間接的な反発の結果が現在の音楽批評の状況を形成しているように見えるのだけれど、結局のところはテクニカルでコアな掘り下げという路線が席巻するとまでは行かず、淡泊で平静なレビューの浸透となって順当に落ち着いた……と思う。それらが「印象批評」から免れることができているかというとそんなこともなくて、でも、少なくとも私小説的な部分、「自分語り」の部分が払拭されていることはまちがいない。*2
      •  自分の音楽趣向の変遷においてあの雑誌がそれなりの範囲で寄与していることはたしかなので、「私小説的音楽批評」をまったく否定しようとは思わないのだけど、振り返ってみると特異なものであったことはわかる。いま思えばああいったテキストは、批評というよりそれ自体ひとつの表現・表出と捉えるべきものだったのだろう。そもそもの出発が同人誌であり、投稿テキストを重要視していたというスタンスから見ても、むしろ音楽系ブログに対照させた方がよいのかもしれない。
         ――いずれにしても音楽批評においてロッキング・オンというのは(ヒールとなるぐらいに)大きな影響を持ったものであったのははっきりしている。そもそも今ある雑誌や媒体で活躍する音楽批評者たちの多くはロッキング・オン出身であったりするわけだし。
      •  もちろんそこに回収されてしまわない別の批評媒体もあった。ロッキング・オンが語られるときミュージック・マガジンもしくは BURRN! がよく対置されてるけど、私見ではこれらよりも ele-king や blast/FRONT なんかの方と比較されるべきだという気がしている。音楽メディア史での重要性はもちろんのこと、自分自身への影響としてもロッキング・オンに並ぶかあるいはそれ以上の意義を持っている。
         



概要

  • 本書の目的
    • 録音芸術
      • 録音技術は、単なる記録手段から作品を制作する工程に変化した。
    • この録音芸術の成り立ち・鑑賞法を知るもっとも適切な題材として、スティーリー・ダンのドナルド・フェイゲンが1982年にリリースしたソロアルバム “The Nightfly” を採択。名盤としての評価が確立しており、何度も繰り返し聴く価値がある。
  • 本書のスタンス
    • 譜面での楽曲解説は含まない。
    • 歌詞内容に関する解釈を含まない。
    • 本書において「制作」は広く音楽をつくる工程全般を指す。
    • 本書の分析では、筆者の経験を踏まえ、「リスナー」「演奏家」「作編曲家」「プロデューサー」の視点を混在させ記述している。
       
       
  • スティーリー・ダン Steely Dan
    • 1972年結成。ドナルド・フェイゲンおよびウォルター・ベッカーを中心メンバーとし、楽曲ごとに熟練したスタジオ・ミュージシャンを参加させて制作。緻密なレコーディング・ワークが特徴。1981年活動休止(その後1993年に活動再開している)
  • ドナルド・フェイゲン Donald Fagen
    • 1948年ニュージャージー出身。スティーリー・ダンのヴォーカルであり、ウォルター・ベッカーとともに作曲を手がける。
       
       
  • “The Nightfly” 制作に至る経緯
    • “Gaucho”
      • スティーリー・ダンの7thアルバム。1980年リリース。
      • スティーリー・ダン活動休止直前の作品。
      • 評価は二分される。
      • 作品をめぐる内的状況:名盤である前作 “Aja” の達成感に続く疲労やプレッシャーがあったはず。また、フェイゲンおよびベッカーふたりのプライベートな悲劇やトラブルもあった。
      • 作品をめぐる外的状況:80年代幕開け。「産業ロック」が台頭し始める。
      • サンプリングというあらたなテクノロジーの導入。しかしそれに伴うレコーディング工程の変化には未順応。
    • “The Nightfly”
      • ドナルド・フェイゲンの1stソロ・アルバム。1982年リリース。
      • “Gaucho” が抱える問題点をすべて解決し、80年代的に昇華させた作品、と筆者は評価。
  • “The Nightfly” の特徴
    • 自伝的作品。
      • 歌詞に表現されるテーマ、楽曲の特徴(音楽キャリアの反映・歌詞表現に適したジャンルイディオム)の両面で。
    • ポピュラー・ミュージック史上、デジタル・マルチ・レコーダーを使用した最初期に当たる作品。
    • サンプリング。生演奏・生音をデジタルレコーダーでエディット/プログラミングされて構成。空間処理・残響にはアナログ・デヴァイスを使用。
       →手法・質感両面において真のデジタル/アナログ融合といえるアルバム。
  • ドナルド・フェイゲン/スティーリー・ダンの特徴
    • 言葉/旋律/和声の関係を、制作工程をまたいでフィードバックさせながら精査し緻密に構築していく。作詞・作曲と、編曲以降の作業とが分断されずにそれらがおこなわれる。
    • シンプルなフォーム。コード・チェンジや歌詞内容は難解だが、それらの配置・時間管理はシンプルでポップ。
    • ジャズ・イディオム。
    • 長いレコーディング期間。スタジオ・ミュージシャンたちの演奏を何度もテイクを重ねて完璧を目指す。


その他

  • レコード・プロデューサーと言っても、さまざまなタイプがある
    • A&Rディレクター型のプロデューサー:音楽制作そのものではなく、ミュージシャンの選定・調整。ビジネス・マネジメント。
    • エンジニア・プロデューサー:レコーディング・エンジニア
    • アレンジャー・プロデューサー(サウンド・プロデューサー):編曲・演奏・プログラミングなどをおこなう。
  • 80'sサウンド
    • 特徴
      • マシン・ドラムやシンセの多用
      • ライヴ・ドラムやギターに対する認識しやすいエフェクト
      • シーケンシャルなフレーズ
      • 和声とその進行の簡略化
      • リフ的なメロディの多用
      • 単旋律の集合体
         →メロディを聴くと同時に、歌声、シンガーのパーソナリティ、言葉といった楽音以外の要素を鮮明に認識させることになる。
         →大きなマーケットに向けた即効性のアプローチでもある。
    • “The Nightfly” における80年代的手法は、音質やシンセの使用といった表層的なものではなく、プログラミングやエディットを生演奏の強化のため使用したこと。


参考

まず必読なのはこれ。


それから、あまり本書と関係はないんだけど、ポピュラー・ミュージック批評(というかロッキング・オン的音楽批評)についてのリンクも。




Donald Fagen

Origin: New Jersey, US
Born: 1948
Years active  : 1965 -

“The Nightfly”

Released: 1982
Tracklist
 A-1 "I.G.Y." 6:03
 A-2 "Green Flower Street" 3:42
 A-3 "Ruby Baby" 5:38
 A-4 "Maxine" 3:50
 B-1 "New Frontier" 6:23
 B-2 "The Nightfly" 5:45
 B-3 "The Goodbye Look" 4:47
 B-4 "Walk Between Raindrops"   2:38

ASIN:B000002KXV


*1: 
 たぶん「ロッキング・オン」や「ロッキン・オン」よりも「ロキノン」という検索語の方がサンプル収集しやすい。
 

*2: 
 そもそも音楽を語るときに「印象批評」から完全に離れることは可能なのだろうか。pitchfork なんかのレビューを見てても、「自分語り」こそないにしても、ちょっとポエティックとも言えるような形容はふつうに見かけるわけだけど、仮にああいった心象表現的な語彙をすべて禁じてしまったら、音楽レビューというものを書くのは相当困難になると思う。
 というか、「批評」とはいったい何なのか、という問いを考えなければならない。「批評とは何か」を考えるこのようなテキストは何なのか、という問いと併せて。
 ただ、いわゆる「ロッキング・オン的批評」への反発は、印象批評という側面よりむしろ私小説的・自分語り的な側面への反発だと考えた方がいいのかもしれない。
 






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―Angela Mitchell