::: BUT IT'S A TRICK, SEE? YOU ONLY THINK IT'S GOT YOU. LOOK, NOW I FIT HERE AND YOU AREN'T CARRYING THE LOOP.

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 “ヴィクトリア”






“Victoria”
 Director : Sebastian Schipper
 Germany, 2015





 ベルリンを舞台とし、深夜〜朝にかけて主人公ヴィクトリアがたどる軌跡をリアルタイムで追った映画。全編ワンカットということで注目された作品。

 ワンカット映画というのは過去にもいろいろつくられていて、有名なものだと2014年の『バードマン』だとかヒッチコックの『ロープ』といったところが例に挙げられることが多いようだ。しかしこれらは編集を介した擬似的なワンカットであり、編集をまったく伴わない純粋なオール・ワンカット映画だとソクーロフの『エルミタージュ幻想』など、わりと限定されてくる。たぶんこれまでの作品のなかでは『PVC-1』が意欲的な試みをおこなっていた方だと思う(see. http://d.hatena.ne.jp/LJU/20091223/p1

 ところがこの『ヴィクトリア』は、85分の『PVC-1』を大幅に超える138分という長さの作品。しかも『PVC-1』は撮影の地理的広がりこそ大きいものの途中にトロッコの固定視点シーンを長く挟んだものだったのに対し、『ヴィクトリア』の方はベルリンの街中を駆けめぐって22個所にも及ぶポイントでの行動をひとつのカメラで追い続けたものであり、登場人物も桁違いに多く、非常に広域での動的なワンカット映画となっている。
 全編ワンカットというのは事前計画をかなり綿密に練る必要があると思うのだが、この映画の場合、12ページ程度ある脚本は台詞を記載しておらず撮影ルートや物語の流れのみを示した内容で、会話は役者のアドリブに任されていたとのこと。夜明けというはっきりした時間変化を背後に置きながら大都市の街区でこれだけ複雑な進行の映画を撮影するというのは相当な緊張感があったはず。実際、運転していて道を間違えるだとか撮影中に一般人にからまれるといったアクシデントも起こったらしいのだが、そういったことすらもそのまま自然に作品へ取り込まれてできあがっている。



 ストーリー自体はそれほど込み入ったものではなく、感動や爽快をもたらすようなものでもない。概要としては、ドイツ語を話せないスペイン出身のヴィクトリアが深夜のクラブ帰りに4人の若者と出会って仲良くなるが、やがてある事件に巻き込まれ……といった感じ。リアルタイム138分のなかでの劇的変化という主旨はわからなくもないし、各キャラクターの行動動機も一応それなりに表されてはいると思うのだけど、でもそんなに共感できないな、というような。特に集合住宅からの脱出手段の取り方が……。あれってよっぽどの行為だと思うけど、さすがにあそこまで“堕落”させるのには作品内で描かれた過程や前提だけでは不足していると思うんだよね……。地下駐車場に入ってしまったところでもう状況的にも身体的にも後戻りできなくさせられてしまったのはわかるのだが――。

 ただ、この映画って全編ワンカット撮影を3テイク目で完成させたらしいのだけど、1テイク・2テイクは全然使い物にならず3テイク目でようやく形になった、というようなことを監督が言っていて、だとするともっと撮影を繰り返せばそのたびに違った作品が生まれる可能性もあるのかな、というようなことを思ったりした。ほとんどがアドリブに委ねられているということなので、実は撮影のたびにストーリー自体も細かく変化していく可能性というのもあるのだろうか。キャラクターたちが違った行動を選択し、違った結果が生まれるような。時間改変物みたいだが……。
 もちろん、あのときあそこで車に乗らない、というような選択肢を取ってしまうとまったく成立しなくなってしまうけれど、「全然使い物にならなかった」「形になった」というのは、各テイクごとの細部の差異が映画全体に影響するほどの差異を生じさせていることだとも思うので。むしろそういう複数バージョンの対比を見てみたい気がする。




  • 形式としては現実世界をステージとした演劇のようなものと言えなくもないけれど、見たかぎりではあくまでも映画だと感じられてしまう。それはカメラというフレームに強く規定されているためかもしれない。動的視点の有無は演劇と映画の重要な差異だ。
    また、映像記述形式としてはドキュメンタリーにも近いけれど、やはり決定的に区別され得ると思う。特に大きな違いは、劇伴の有無、および人物がカメラ視点を意識しているかどうか、といったところだろうか。
    • しかしこれらは必ずしもドキュメンタリーの明確な定義とは言えず、例外事例がいくらでもあり得る。映像におけるフィクション性とはどのようなものかという問題はけっこう難しい。
  • 舞台も制作もドイツなのに大部分の台詞が英語、という映画。いかにもノンネイティブの英語っぽい雰囲気がよく出てた。ヴィクトリアがやたら “OK, OK.” というところとか……。
  • 劇伴がベルリンの今にとても合ってる音楽だなー、と思っていたら、Nils Frahm が担当しているとのこと。何か得した気分があった。*1
  • カメラワーク、これ、ひとりのカメラマンが撮ってるのってすごいんだけど、観客としては不可避的にけっこう酔う。
    こういう系の映画って、まだまだ人間のカメラマンによる撮影じゃないと難しい面があるだろうけど、ドローンによるほとんどぶれのないカメラで撮られる例が出てくるのもそんなに遠い将来ではないとも思う。あらかじめ撮影指針がプログラムで組まれていて、役者との相対的位置を調整しながら自律的に撮り続ける映画用の超小型ドローン、みたいな。
  • まさしく「都市」の映画。
    • この映画で都市論や建築論をいろいろ書けるはず。特に「屋上」「街路」「車」「地下」あたりで。
    • 世界のいろいろな都市で同じ物語を同じような撮影方法でつくってみると、都市の違いや固有の性質が明確化される気がする。
  • ピアノのシーンはとても良かった。

公式サイト:http://www.victoria-movie.jp
IMDbhttp://www.imdb.com/title/tt4226388/






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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell