“君の名は。 Your Name”
監督 : 新海誠
2016
「入れ替わり」という設定に最初興味が沸かなくてしばらく見ずにいたんだけど、実際見てみたらおもしろかった。
演出・展開・プロットなど、良くできてると思う。
特に記憶しておきたい点は、宮水の設定と、新海作品のテーマについて。
[以下ネタバレあり]
設定について 結びの極致
- 糸守の組糸は〈結び〉。絆、人と人の関係、時間を表す。
――「時間」というのが最初腑に落ちなかった。でも、英語の “thread” とするならばたしかに「時間」「物語」につながる。
- 宮水の能力。
祖母のおぼろげな話からすると、以前も発動していたようだ。これまでの入れ替わりでどういったことがおこなわれてきたかはわからないけれど、おそらく今回と同様、時間と空間を隔てた見知らぬふたり同士を結びつける働きをしてきたと思われる。
一方、糸守は1200年周期で災厄に見舞われる地でもある。湖も山頂の聖地も過去に彗星の破片によって誕生したものと推測できる。宮水の一族とその能力がこの災厄と何らかの関係を持っているのはたしかだろう。
今回、三葉の入れ替わりによって人々は災厄を回避することができた。宮水の力はこのためにあるものなのだろうか?
- 1200年周期で糸守へ確実に彗星の破片が降ってくるのであれば、あの地を離れて住むのが合理的。でもそうはせず、御神体や神社を建立して糸守に住み続けている。離れられない何か特別な理由があるというよりも、1200年周期で災厄が襲来しそれを生き延びることが彼らの生/歴史の前提に組み込まれているような感じも受ける。
- 「入れ替わり」が過去どのような働きを為してきたかははっきりしないけれど、外部との人的交流を代々もたらすかたちで糸守へ寄与してきたのかもしれない。あるいは、平時ではもっとぼんやりと「誰かと入れ替わった夢を見たような……」程度のものでしかなく、誰かと入れ替わりそれを意識して行動できるほど明白な効果は彗星到来時にしか生じない、という可能性もある。
- 自分としては後者の方がしっくりくる。宮水の「結び」はどの世代でもある程度発現しているのだが、1200年周期で起こるカタストロフィにおいてひとつのピークに達し、そうした究極状況で生じる「結び」こそが重要だと捉えられている、と。この極限的な「結び」は他の土地では得られず、だからこそ糸守/宮水の一族はここに留まり続ける…… という考え方もできなくはない。
1200年ごとの彗星到来は糸守/宮水にとって不可避の運命。そしておそらく、糸守の人々は宮水の入れ替わりによって毎回これを逃れてきた。歴史を改変して落下から逃れることは可能であっても、落下それ自体を止めることはできない。時間をまたいだ入れ替わりで可能なのは、落下を前提としてその上でできる範囲に限られる。破滅とその回避は密接なセットとして糸守/宮水の運命に組み込まれている。
テーマについて 重い空虚
- すれ違ったままでも別離するわけでもなく最後にふたりが再会する、というのはこれまでの新海作品との大きな違い――とよく言われているようだ。
それを新海誠の「成長」と見る意見もあるようだし、また、監督自身というよりむしろ外部からのコントロールの賜物で、制作委員会/脚本会議が新海の「暴走」を適度に抑え留めたからこそ「普通に一般受けする作品」になった、と読み取れるインタビュー記事も見かけた*1。そういった見方にも納得できるものはある。
- 一方で、最終シーンの直前にてこれまでの作品そのままの新海節と言える台詞が発せられている点は見過ごせないところ。
「何かを欠落しているかもしれないと思いながら生きていく」といったモノローグ。この重い(ある意味では軽いのかもしれないが)空虚感の表明こそ、新海作品に通底する最重要の心情描写だ。
主人公を呪縛するこの空虚感の理由付け・説明付けをおこなっているのが、新海作品が共通して持つ特徴・機能だと言える。……たとえ物語の過程・結果として空虚感が登場するのであっても、作品の機能という点では順序が逆で、まず言いようのない説明不能の空虚感というものが常にあって、それを説明するためにそれぞれの物語が供されている、というような。
作品がおこなう「説明」は次のような形式を取る。今自分が感じているこの空虚、常にまとわりついているこの重み、それは忘れかけているけれど過去の大切な思い出に帰因する。記憶は薄れゆき、もう精彩に思い出すことはできず、ただ重しになっているだけ。でもそれはたしかにかけがえのないできごとだったのだ。――という説明の付け方。実際にはそんな出来事は起こっていなくてただの妄想だという可能性もあるのがポイントで、重要なのは、そうした説明でかろうじて今の重みが癒やされる、ということ。(これは偶有的不幸・理不尽を説明する宗教の機能に類似するとも言える。)
世界の破滅およびその回避というセットによって一際輝く「結び」という糸守/宮水の設定も、空虚感を説明する至高の理由付けとして新海作品のテーマ的系譜に連なっている。*2
- そうした観点から見たとき、『君の名は。』のラストでふたりが出会うことにどういった意味があるのか。
- 出会いが成就されるか/されないかは、これまでの新海作品の特徴を大きく変えるような違いは生まないとも言えるし、大きな違いだとも言える。
互いにそうした空虚を抱えた者同士が実際に再会を果たし失っていた記憶(名前)を確認して取り戻すという点では、もはや「妄想だったかもしれない」という余地は残されず、空虚感は充足されることになる。これは過去の作品、特に『秒速5センチメートル』とは決定的な違いだろう。
しかし、作中人物が空虚を満たしたか/満たせないでいるかという点では大きな違いがあるとしても、結局のところ重い空虚が過去の思い出によって説明されるという構図は変わっていないから、作品が鑑賞者に対して与える機能(理由の提供による癒やし)は今まで通りではある。
「過去は克服されてるから今までと違う」とか「一歩前進」と見てもいいんだけど、やっぱり新海誠のベースを成す部分は変わってないんだな……というのが自分としての率直な感想。
その他メモ
- クレーターの有無で3年前なのか3年後なのかがわかりやすい描写。
- 火災で記録が失われたというのはわりとうまくいろいろな説明に役立ってる。
- 作品内の超常的部分に関わる要素として「口噛み酒」「かたわれどき(彼は誰時)」というのは設定として説得力を感じた。
- オープニングがあってちょっとびっくりした。なんかシリーズアニメみたいだな、と。……最近のアニメだって第1話はOP省略が多いというのに。
- 年月日を確認しないのがおかしいというのはあるかもしれないけど、まあ入れ替わり期間の記憶が次第に曖昧になって名前や地名を忘れてしまうというところと関連しているのだろう。日時を調べたけどすぐ忘れてしまってるとか、そういうの調べようという思考力がそもそも働かなくなってる、とか…… そんな感じだと思って特に大きな違和感なくスルーしている。
- お互いの生活に慣れていくあたりもほんとうはおもしろいところだと思うんだけど、全体のバランスからか、けっこうあっさり飛ばしてった感じ。
もっと掘り下げたなら、状況を把握しようと試行錯誤するのとか見知らぬ人の生活を把握してうまく模倣しようという努力とか互いのルール設定とか、いくらでも描写できるところがありそう。
- 男女入れ替わりものってそれなりに前例あるジャンルだと思うんだけど、既に知っている間柄での入れ替わりではなく、まったく知らず場所も時間も超えたふたり、要するに直接対面する可能性を持たない状況下での入れ替わりっていうのはめずらしいかもしれない。
- この設定で想起したのはイーガンの短編『貸金庫』。
『貸金庫』の場合、入れ替わった状況を短期間に情報収集して「本人」の生活に慣れようとする描写がけっこうおもしろい。あれも入れ替わりに大きな意味があることが最終的に判明するんだけど、こうしたジャンルでは「なぜ」「誰と」入れ替わるのかというのは重要。