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 青山拓央 “時間と自由意志 自由は存在するか”






時間と自由意志:自由は存在するか (単行本)

時間と自由意志:自由は存在するか (単行本)






 「自由意志」の有無をめぐる古典的な対立を基にした論考。どちらかというと、自由意志を安易に否定しようとする考え方への反論というあり方を取っている
 出発点は以下の通り。――脳が人間の行為を決めるといった見方は、自由意志という幻想にむしろとらわれている。現実が選択される〈起点〉としての自由意志にはいろいろな難点があるにしても、「脳が決める」という図式は〈起点〉を脳に移し替えたにすぎず、自由意志をめぐる哲学的問題はまったく解消されていない。


 「実は〇秒前に決まってる」とか「ミラーニューロン」とか、脳科学の先端というのは日常的常識を覆す刺激があっておもしろいものではあるんだけど、哲学問題としてあたらしさを加えたものではないというのは自分としても前から思っていたところではある。
 しかし往々にして、こういったあたらしい科学知見があたかも古典的哲学問題を完全に打破したかのように言われることは多い。心身問題でも同じ構図があって、自然科学に優位を置く立場が哲学での長い議論や思考の歴史を踏まえず、それでいて哲学に終止符を打ったかのように自らを見なしがちな傾向が通じる。汎用視座を目指す自然科学がそうした振る舞いをすることはわかるのだが、その視角がどこまで及ぶものなのか、そこで何が棄却され無視されているのかはよく見極める必要があるだろう。
 結局のところ問題をどのように記述するのかという点こそが重要だと思える。議論において用いられる概念はどのように使用されてきたものなのか、われわれは何を言わんとしているのか。長く論じられてきた問題では殊更に慎重であってよい。
 この本でも、議論上の劣勢を認めながらも嘆息を抑え切れずにいるような個所が出てきたりするのだが、そうした憤りは理解できるものがある。




[メモ]

  • 両立的自由と自由意志
          • 真の自由とは何かをめぐる対立
            • 両立的自由(社会的自由):したいことを妨害されずにするという意味での自由。社会的に承認される自由 (liberty)
              決定論と両立可能な自由。この立場は、古典的な自由意志を否定する傾向
            • 自由意志:何をするかを自ら決めるという意味での自由 (free will)
              →意志が行為選択の起点となる「起点性」、現実にした選択以外も可能であったという「他行為可能性」を担保したい立場

  • 分岐問題
          • 樹形図モデル上での「決断の瞬間」の困難
            • 分岐点まで同一であるはずの歴史が、そこからいったい何を根拠に分岐するのか。:意思決定が関与するかどうかに限らず、可能的な歴史が選ばれるあらゆる場面に伴われる問題。
            • 自然法則を決定論的に捉える場合、分岐問題は無化される。自然法則に非決定論的(確率論的)なものを認める場合、分岐問題は手つかずに残される。
            • 決定性を徹底的に強めれば、歴史は最初から全体が定まっていて分岐が成立しないものとなり、歴史の「初期状態」も特権的ではなくなる。→時間非対称な因果的見方との決別
               
          • 分岐問題の解決は以下のいずれかでしかあり得ない
            • 1) 諸可能性の分岐そのものを消去し、歴史は実在および可能性として単一と捉える。(単線的決定論
            • 2) 説明不可能な偶然を認めそれによって諸可能性の選択は為されるとする。
              • 1・2は共に、諸可能性のひとつを現実化する要因を世界から消去する。(→「無自由」)
            • 3) 多世界説。
              • 多世界説には実は分岐はない。分岐のように見えるのは、重複。多世界説での「可能性」はすべて錯覚であり、歴史は単純に一通りしかない。単線的決定論と共通。
              • 多世界説で「可能性」という概念が常識とまるで違ったものに変えられてしまう問題。
                →可能性概念は一般に、分岐問題を生じさせうるものとして流通しており、たとえ不明瞭な点があってもそれを簡単に切り捨てることはできない。われわれ人間の生活はその不明瞭さの上に成り立っているからだ。

  • 自由意志と偶然
        • 自由意志
          • 未来の諸可能性のひとつが過去のあり方や自然法則に縛られず現実化するという自由意志論では、自由意志が単なる偶然と区別つかないものになってしまう問題
          • 自由意志の定義と定義不可能性
            • 意志は何によって引き起こされるのか。(原因の無限後退に見える)
              しかし意志から目を逸らしても問題は片付かない。意志を持ち出さないなら、何が自由の担い手となるのか。
              • 「意志」であれ「人間」であれ「主体」であれ、「行為を自由に引き起こすもの」「現実を選択するもの」「因果的な起点性」という概念に何かが収まることを多くの人々が求めるという事実が重要。
          • 暴露啓蒙論法(「われわれが自由と見なしてきたものは、自由ではなかった」という「火星人の装置」の思考実験)
            • 自分の所有する自由意志を超越的な外部へ押しやることは自由の本質を解明せず、問題の先送りにすぎない。超越者としての火星人にとってのその自由とは何なのかがまったく明らかではないからだ。(この超越的な装置は結局、自然法則と等価にすぎない)
              →脳神経科学を使って為される主張がおこなっていること
        • 偶然
          • 偶然性を解明の対象とならない与件として受けいれることで確率論的な科学は可能になる(九鬼周造
          • 偶然とは何であるかを、われわれは実はよく知らない。
          • 自由意志と偶然は、何か同じもののふたつの異なった現れ。
            • 時間分岐すなわち諸可能性からひとつの現実が生じることをその原因のなさ・理由のなさ・無根拠さのもとで捉えたとき、その生成は偶然と見なされる。「偶然」は自由意志にとって存在への限られた道。
            • 諸可能性からただひとつの可能性を現実化させる要因は、時間分岐上に定位することができない。ただ偶然のみが無要因の要因として承認され得る。
              実際には選択などあり得ず、諸可能性のひとつが主語なしになぜか無根拠に現実になっていくにすぎない
            • とはいえ、偶然のみによって自由のすべてが説明されるとは考えない。

  • 他我問題の反転
        • 意思決定
          • 科学的見方:意思決定においては自覚的な決断の意識に先立つ脳神経活動が現実の選択を引き起こしており、自覚的意識は事後遡及的に形成される、 という見方。
            →しかし分岐問題から見ると、この「答」は不充分。心理的決断の有無によらず、意識現象にかぎらない全出来事に関して分岐問題は生じる。意識の科学的要因も、諸可能性のひとつを選ぶものとしてそれを分岐図上に定位することはできないという同じ問題が発生する。
             
        • 他我の構成
          • 他者の意識が見えないからこそ他者の身体行動の背後に自由意志の働きを想定する余地が生じる。
          • 他者の見えない内側はどのようなものとして構成されるのか
            • 当人にも不可視とされる「心」は、特定の理論のもとで観察した際に概念的に要請される。私が他者に腹を立てるのは、観察可能な立腹すべき事実(たとえば殴打)に加えて、人称的に不可視な領域(内面)があり、そこに立腹すべき「事実」(たとえば悪意による行為選択)を作話するから。(作話においては、他者の行動に、合理性の承認に結びつく何らかの規則性を見出せねばならない)
            • であれば自由意志とは本質的に二人称的なものである
               
        • 他者からの反転
          • 行為者の一人称的な意識の内部に自由意志の存在証拠を見出すことは難しい。
          • 私の内側に不可視なものはなく、それゆえ本来それは内側ですらない。他者の不可視な内側については、他者に私と同様のものを想定するという「移植」によってその承認がなされる。
          • 逆に他者から私への「不可視な内側」の移植もある。→自分自身を他者として見て不可視な領域を設けることによって自己を自由と見なし得る。私は私自身の行動を因果的・規範的にうまく解釈することで、内面抜きの私を通常のひとりの人間として思考し得る。(:他者化された私)
            不可視な他者の内面のうちに行為の〈本当の要因〉があると信じることによって、「私」は他者を自由な主体と見なす。
            そして自分自身を他者にとっての他者と見なすことによって、私は私自身を自由な主体と見なす

  • 自由の諸成分
          • 自由という概念は単一のものに還元できずさまざまな成分を持つアマルガム(合金)のようなものとして捉えるべき
            • 一人称的観点:両立的自由 時間単線性は〈理由〉と行為の一貫性として解される。単線性が物理的原因から心理的理由へと求められていく。
            • 二人称的観点:自由意志  ←諸可能性選択の起点←分岐における選択起点の時間的定位の不可視性 / 不可視の他我
            • 三人称的観点:不自由   分岐問題への応答は「一回ごとの生成における無要因としての偶然」もしくは「単線的決定論」のいずれかに帰着する。(〈偶然〉と〈原因〉の提供)
               
          • 他者は「私」化されることで、可視的な〈理由〉形成を伴う両立的自由の主体と見なされ、「私」は他者化されることで、不可視な〈起点〉性を伴う自由意志の主体と見なされる。
            両立的自由と自由意志は、三人称的観点での不自由の再否定として、自由の呼称を堅固なものとしていく。






 






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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell