::: BUT IT'S A TRICK, SEE? YOU ONLY THINK IT'S GOT YOU. LOOK, NOW I FIT HERE AND YOU AREN'T CARRYING THE LOOP.

 [ABOUT LJU]
 [music log INDEX] 
 

 トマス・スウェターリッチ “明日と明日”



“Tomorrow and Tomorrow”
 2014
 Thomas Sweterlitsch
 ISBN:B014F70OS6



明日と明日 (ハヤカワ文庫SF)

明日と明日 (ハヤカワ文庫SF)






 拡張現実と仮想現実の技術がより発展した近未来のアメリカが舞台。
 テロによる核爆発でピッツバーグが消え去り、膨大な命が都市とともに失われて10年が経過。
 消滅前のピッツバーグを体験できるようにつくられた仮想都市上で保険調査をおこなう主人公の物語。

 「追憶のための仮想都市」という設定がこの小説の根幹にある。
 街灯のCCTVや人々の網膜カメラからの映像をもとに再現された都市。実際と同様に歩き回ることができるし、時刻も思うがままに変えることができる。このあたりの技術的なリアリティがどこまであるかはあまり突っ込む必要はなくて、「都市」と「記憶」というテーマのために与えられた前提として受け入れるべきものなのだろう。終盤、記録された都市と実際に破壊された場所への訪問が重ね合って体験されるところがひとつの極致で、おそらく作者が最初から思い描いていたシーンだと思わせる。
 記憶と都市に関わる要素は他にもあって、作中のアーティストがゲリラ的に展開するインスタレーションも現実の都市に埋め込まれた記憶として作用しているし、心理療法としてのメモリマップというものも、仮想都市のアーカイヴと類比的なものとして示されている。(なお、この仮想都市が〈アーカイヴ〉と呼ばれていることは、デリダのアーカイヴ論を踏まえているはず。)



 この物語は、悲劇的に失われたひとつの都市を巨大な空白のように中心に据えて構成されている。
 空白・追憶としての都市、というと、建築家ダニエル・リベスキンドが思い起こされる。
 リベスキンドは、ホロコースト博物館や911跡地のマスタープランなど、悲劇と空白というテーマで建築・場所をつくることに一貫して取り組んできた。たとえば911跡地で、WTCの2棟が建っていた場所に何も再建せず空白としての池と滝だけがつくられたのは彼のプランに基づいている。また、ベルリンのユダヤ博物館でも、複雑に折り込まれた建物を何もない空白が意図的に貫通していたりする。
 彼の建築論におけるキーワードは、「空白」と「トラウマ」だ。
 リベスキンドが言うには、トラウマをもたらした空間を精神分析的に語り説明することと、実際にその空間へ赴くことには大きな違いがある。精神分析的にトラウマへ対応し得たとしても、悲劇の空間から実際にもたらされる知覚の体験は、そうした治療を超えるし、修復され得ない。

克服・治癒され得る単一の悲劇のトラウマではなく、コミュニティの破壊によってつくられたトラウマ。現実だが同時にバーチャルでもあるその存在。
(I am involved in) Not the trauma of a singular catastrophe, which can be overcome and healed, but a trauma which is structured by the destruction of a community and its real yet also virtual presence.
Daniel Libeskind, lecture, Berlin, 1997 - The Space of Encounter, 2001


 『明日と明日』の〈アーカイヴ〉は、悲劇が起こる直前までのその場所を完全に再現しているという点で、「メモリアル」というものの究極と言える。
 一方で、この仮想都市が模している実際の場所は再建されないまま空白としてあり続けているわけで、そこに巨大な対比がある。
 また、主人公にとってもっとも大切なものが作中で再び失われることになり、その後も回復されないという点も重要だ。
 これらはいずれも、「空白」「トラウマ」の治療可能性/不可能性という問題に沿っている。

 主人公は結局のところ、トラウマを完全に治療したとまでには至らない。それでも何とか未来へ向かう姿勢で物語が終わるのは、仮想都市のメモリアルだけでなく実際に「空白」の場を訪れたという体験によっている。トラウマの場へ生身で赴いたということのほか、放射能汚染や肉体的損傷など、身体の強い知覚体験が伴われた訪問(同行者であるアルビオンにとっても、二重の意味でトラウマの場への訪問となっている)。心療的処置よりも「空白」の身体的体験に意義を見出すのは、リベスキンドの考え方に通じるものがある。
 主人公がアルビオンを求めて再び〈アーカイヴ〉を訪れようと考えることは、それ自体は過去の記録への没入というかたちを取っているにせよ、はっきりと、とらわれ続けてきたひとつの過去からの離脱になっている。主人公が最後に想像する道の描写は、そのまま未来につながるイメージであって、回復の路程・途上であることの象徴だ。
 喪失、焦燥、困惑、苦痛といったトーンが全体を覆う小説だけど、そういった過程を通じて最終的には、劇的に癒やされることはない傷を持っていかにして生きるのかというあり方が静かに示される。












music log INDEX ::

A - B - C - D - E - F - G - H - I - J - K - L - M - N - O - P - Q - R - S - T - U - V - W - X - Y - Z - # - V.A.
“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell