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マーガレット・アトウッド “侍女の物語”



“The Handmaid's Tale”
 1985
 Margaret Atwood
 ISBN:4151200118



侍女の物語

侍女の物語






 前から読もうと思っていてようやく読んだ。

 近未来ディストピア小説
 宗教右派によるクーデターで原理主義国家へと変貌したアメリカ。環境汚染による出生率の異常減少とも相俟って、極端に女性抑圧的な統制社会が生まれていた。出産能力がある女性は〈侍女〉と呼ばれてエリート層の男性へ派遣され、儀式めいた性交を通じて妊娠することを期待される。秘密警察、公開処刑、教育施設、反乱組織……といった当然ありそうな要素も伴って、まさしくディストピアと言うべき世界が描かれている。
 まったく荒唐無稽な設定でもなく、現実世界でも歯車が狂い始めれば充分こうなりそうなところに迫真的な恐怖がある。
 原作は1985年発行だからけっこう前の作品だけど、折に触れて耳にすることのある小説だった。2017年にhuluでドラマ化されたものがわりと人気が出ていたり、エマ・ワトソンが女性権利拡大キャンペーンで用いたりもしていて、現在でもなお通じるテーマ性を持っていることが覗える。
 トランプ政権に代表される現代アメリカの排外化・右傾化と絡めて語られることも多く、つまりここで語られているものは人類が既に克服した過去の宿痾ではなくて、油断すれば容易に到来する現実の脅威だと多くの人々が捉えているということなのかもしれない。


 というわけで以前から基本設定については知識があったのだが、実際に読んでみると、いくつかの点で予想と違っていたところがあった。
 ひとつは、抑圧-非抑圧の構造が一面的ではないというところ。
 この世界は、言ってみればリベラルが完全に敗北したような状況にあるのだが、しかし「勝者」の側も必ずしも世を謳歌しきっている風でもない。出生危機という事態にあるとはいえ、「支配側」にいる男性たち、そのさらにトップに位置する「司令官」でさえも、状況に倦み疲れているような面が見られる。末尾の注釈によれば司令官はこの社会体制の生みの親に当たる人物である可能性が高いが、その彼がギレアデ以前の文化遺物を隠し持っていたり、主人公とスクラブルをおこなう奇妙な時間に固執したり、あるいは娼館での遊蕩というような自ら排斥したはずの不道徳に耽っていたりする。
 道徳を主張する保守強硬派が不道徳な事件でクローズアップされることは現実にもよくあることで、そういう意味からすると意外性はないのだが、しかし「革命」からそれほど経っていない時点でこのような倦怠が上層にも行き及んでいるというのは、ディストピア小説としては予想外のものがあった。支配を貫徹することの難しさというより、男性優位社会の抑圧性は他ならぬ男性側も抑圧しているのだ…ということが体現されているのだと思うが。


 もうひとつは、こうした社会体制への移行が非常に早く済んでいるという点。
 年数がはっきり書かれていない上、どうもこの小説全体が後代の世から再編集されたものらしいのだけど、娘の年齢に関する作中の記述から考えるかぎり、ギレアデが誕生してから物語の時点までたった3年しか経過していない。当たり前のように現代社会を生きていた主人公が、瞬く間に前時代的社会へ投げ込まれていく過程。こうした変化の描写はあまりにも性急すぎるだろうか。ヴァイマル共和国から第三帝国へはもっとかかっている。だがイラン革命はどうか。あるいは、トランプの政権獲得というのも、革命……とまではいかないにしてもそれに近い面がある出来事だと思っているのだが、共和党予備選から数えても現時点でたった3年しか経っていない。より憂うべき事態がまだ訪れていないとして。
 全体統制社会への転落は一瞬で起こり得ると思うし、一方で、その前兆はきちんと知覚できるものでもあると思っている。


 また全体的に、思っていたほど鬱屈的でどうしようもなく重い、というほどではなかった。相当構えて読み始めたのだが。
 これはひとつには上で書いたように、「司令官」がどうにも疲れているような描かれ方をされているところからも来ている。
 それと、オープンエンド的な終わり方で主人公の行く末を濁していることもある。これ、「注釈」を読むとおそらく脱出に成功した可能性に比重が置かれているように読めるのだが、実際の行く末はともかく、「反乱組織」や「地下鉄道」といったものがそれなりに活動しているのも、希望を感じさせるところがあったと思う。


 物語的な特徴という点では、全体が「再現された記録」という形式を取っているところが重要だ。
 注釈で語られているように、これらの記録の順序がただしいものかどうかが不明。そして主人公の置かれた境遇から、細部がぼかされたり、重要な情報が伏せられたりしている。ということは、物語としてミスリーディングされている可能性も充分あるのだろう。
 それから、構成。「夜」と「昼」のパートが交互に訪れる。昼のパートの章題はさまざま。だが夜のパートはどれも同じ「夜」という章題。ただしひとつだけ、「うたたね(Nap)」というパートがある。これがテープの再現なのだとして、章題もまた「編集者」が付けたものなのだろうか。


物語は手紙に似ている。親愛なるあなたに、とわたしは言おう。ただ、名前のないあなたに、と。名前をつけてしまうと、あなたを事実の世界に結びつけることになり、そうするとより危険になるからだ。外の現実の世界で、あなたが生き残る見こみがどれだけあるだろう。わたしは古いラヴ・ソングのように、あなた、あなたと言おう。あなたはひとり以上の者かもしれない。
あなたは数千人の人間かもしれない。

でも、わたしは悲しく、ひもじく、惨めなこの物語を、逸話が多く遅々として進まないこの物語を語りつづける。結局のところ、わたしはこの物語をあなたに聞いてもらいたいから。わたしは同様に、チャンスさえあれば──わたしたちが会えるか、あなたが逃亡するかすれば──あなたの物語も聞いてみたい。未来か、天国か、牢獄か、地下か、どこか他の場所で。とにかく、それはここでないことだけは確かだ。何であれあなたに語りかければ、わたしは少なくともあなたを信じることになる。あなたがそこにいることを信じることになる。あなたを存在させることになる。我話す、ゆえに汝在り。










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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell