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 2015
 Daniel H. Wilson, John Joseph Adams
 ISBN:B079NBKCX3



スタートボタンを押してください ゲームSF傑作選 (創元SF文庫)

スタートボタンを押してください ゲームSF傑作選 (創元SF文庫)






 コンピュータ・ゲームに関わる作品を集めた短編集。原書26作品のうち12作品を邦訳。
 題材としてポテンシャルを感じさせつつも全体としてはどこか消化不良だったというのが読後の評価。

  • 『猫の王権』『キャラクター選択』『アンダのゲーム』『時計仕掛けの兵隊』は比較的良かった。
  • 『リスポーン』『救助よろ』『1アップ』『リコイル!』『ツウォリア』は、おもしろくないことはないけれど刺激的と感じるまではいかなかった。
  • NPC』『神モード』『サバイバルホラー』はだいぶ理解しがたい。何を語ろうとしているのかはわかるんだけど、そこにおもしろさを見出せないという意味で。


 とはいえ全体を並べた構成自体はうまくできていて、「ゲーム」に関する共通概念がよく把握できる。命の代替性、キャラクターの可換性、「現実」との並行、自律知性、ミステリ的小説構造との類似、など。複数の作品に共有されるテーマによって、ゲームというものの持つ特徴が浮き彫りにされてくる。
 「リセットしてやり直す」みたいな、現実の生と異なるゲームならではの特性というものは、それこそコンピュータ・ゲーム黎明期から日常会話にも滲透してきた。各作品を見ても、前提となっているゲームの約束事や仕組み、ルールといったものは何も特別ではなく、充分に馴染みあるものだ。ゲームを通じて醸成されてきたこのような感覚が、現在のわれわれの文化に広く根を下ろしていることがあらためて確認できる。こうした感覚が現実の生活・社会に接続してそれらを変容させる、というテーマを扱った作品がいくつかあって、そうしたものは特にこのアンソロジーの意義に即していると思う。

 収載作品のほとんどが技術的・時代的に現在と大きく隔たっていないものであるというのは、この短編集の際立った特徴。SF通史を眺め渡し、遠未来・遠宇宙SF、近未来サイバーパンク、直近の国際軍事リアリズム、といった趣向のグラデーションを描くとして、これら「ゲームSF」の場合はもはや未来ではなく、ほぼ同時代に位置することになる。もちろんゲームSFだけが現在のSFのすべてを包括しているわけではないし、今だって遠未来・近未来のSFはいろいろ出ているけれど、このように同時代を描くものがそのままSFとして通用するのはひとつの先鋭的な事態と言える*1。「消化不良」な読後感も実はこれとつながる面があるかもしれない。
 現実の技術変化加速に伴い、われわれは既にしてSF的未来の中に生きているのだ……と簡単に言えるのかどうかはともかく、むしろ気になるのは、「未来」という概念は何であったのか、それらは何を語るものであったのかということ。もし「未来」が語られなくなりかつてそれが語っていた事柄が「現在」に圧縮されるようになったとすれば、それは何を意味するのか。SFが「未来」という概念から切り離されたとして、それはひとつの小説ジャンルに留まる話というより、時間認識一般の変容を示す問題だとも思えるのだが、「ゲーム」というトピックにはそうした観点での重要性が含まれているはずだ。




『猫の王権』 チャーリー・ジェーン・アンダース “Rat Catcher's Yellows” Charlie Jane Anders, 2015


 現実世界の難問を思考し始めたところなんてかなりわくわくするんだけど、急速な社会変化みたいな方向にはいかず、もっとパーソナルな面へ引き返してくる。シンギュラリティ突破側と、“神々”に取り残されてしまう側、みたいな対比。刺激は薄いんだけど、こうした視線自体は有意味なものだとは思う。
 また、主人公のセクシャリティ設定については、『キャラクター選択』でのジェンダー観念の描写と補完的なところがある。



『キャラクター選択』 ヒュー・ハウイー “Select Character” Hugh howey, 2015

 アイロニカルな主張。『リコイル!』に似た感じもあるが、ジェンダー設定と絡みこちらの方がさらに構図が明確。とはいえこうした皮肉が成り立つには、現在の軍事ドクトリンに対する批判的視座が前提として共有されていることが必要であって、近年の日本における「アイロナイズ」がこれと真逆へ向かう風潮と比べると、文化的状況の差異がはっきり感じられるところではある。
 ところで、これ何気に主人公だけでは解けなくて、正規ルートを一回自分で攻略すること、もしくは本編内でそうであったように、他の人物のたすけを借りることが必須になるという点は重要かも。



『アンダのゲーム』 コリイ・ドクトロウ “Anda's Game” Cory Dogtorow, 2004

 ゲームを通じた現実社会への関与の実践を描いたもののひとつ。社会問題の戯画的な象徴描写が詰め込まれている感じがあり、単純な図式に還元されるようにはなっていないんだけど、それでも主人公側の行動原理としてこのようなものが設定されるという点、『キャラクター選択』と同様に読者へ何が共通言語として期待されているのかが覗える。



『時計仕掛けの兵隊』 ケン・リュウ “The Clockwork Soldier” Ken Liu, 2014

 これがもっとも良かった。シェヘラザードによる『千夜一夜物語』の語りをなぞるような構図で、「物語」の効力というものがテーマとなっている。
 自分がつくったテキストゲームをプレイさせることが「語り」と同等のものとして示されているのが非常におもしろいと思う。ナラトロジーでいうところの「物語行為(ナラシオン)」が拡張されている感がある。
 テキストゲームが小説・文学とは異なる形態で「語られる」物語なのだとして、それが「語られる」様子を綴るこの小説は、ではどう捉えればよいのか。
 シェヘラザードの延命と同様、物語行為のパフォーマティヴな側面が重要なんだけど、物語を通じて自分の境遇を理解させることがまずあるとして、さらに「読み(=テキストの読みあるいはテキストゲームのプレイ)」を通して自我の確認とその追体験がおこなわれているというところにこの作品の深みがある。









*1:各作品にどれだけ “SF” という自己認識があるかは不明だが、少なくともこのアンソロジーがそのように括っていることは重要。






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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell