“What Is History?”
1961
E. H. Carr
ISBN:4004130018
歴史哲学の古典。最近新訳が出ているけど、読んだのは旧訳。
歴史は確かめられた共通の基礎的事実からなるものではなく、歴史的事実は歴史家の解釈に決定されるとともに、歴史家も歴史的事実から解釈をつくりあげるという相互的関係にある──というのが中心的主張。
Ⅰ 歴史家と事実
- この書の主題:「歴史とは何か」
- 以前は「歴史は確かめられた事実の集成から成る」「すべての歴史家にとって共通な基礎的事実というものがある」という常識的歴史観があった。しかし、現在の歴史哲学はそのようには考えない。
- 歴史的事実というものは、歴史家の解釈から独立には存在しない。
- かつては誰かが知っていたであろう無数の事実全体のうちから生き残って、これが歴史上の事実であるということになったのは、それが保存する価値があると考えていた人たちによって選び出され決定されたもの。
- 歴史家は、自分の解釈にしたがって自分の事実をつくりあげ、自分の事実にしたがって自分の解釈をつくりあげるという不断の過程に巻き込まれている。
- 「歴史とは何か」に対する最初の答としては、歴史とは、歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である、ということになる。
Ⅱ 社会と個人
- 歴史研究の対象
- 歴史家の研究対象である人々は、社会における諸個人として無意識的に協力し合い一つの社会的な力を形作っている。
- そしてそれを研究する歴史家も個人であると同時に歴史および社会の産物である。
Ⅲ 歴史と科学と道徳
- 歴史は科学である。
- 科学者の研究法も歴史家の研究法も根本的には変わらない。科学的真理というのが専門家たちの間で公に認められている命題であるのに対し、歴史というものも、確かに事実に基づいたものではあるが厳密に言うと事実ではなく、むしろ、広く受け容れられた判断の連鎖というべきものである。
- 歴史は一回かぎりの特殊的なものであり一般的なものを扱わないというのは誤解で、歴史家は既に言葉を使うことによって一般化を運命づけられており、一般化を通して、ある出来事から得た教訓を他の出来事に適用しようとするし、また、将来の行動のために有効な一般的な指針を与える。
歴史の機能は、過去と現在との相互関係を通して両者を更に深く理解させようとする点にある。
Ⅳ 歴史における因果関係
- 歴史家と原因の関係には、歴史家と事実の関係と同じ二重の相互的性格があり、原因が歴史的過程に対する歴史家の解釈を決定すると同時に、歴史家の解釈が原因の選択と整理とを決定する。
- 歴史家の世界は、現実の世界をあるがまま映し取ったようなものではなく、むしろ、歴史家に現実の世界を理解させる作業上のモデルである。
- 歴史は、歴史的意味という点から見た選択の過程であり、この選択の規準は、ある目的に役立つ説明かどうかという区別である。
- ロビンソンの死は、煙草を切らしたからなのか。それとも、運転手が酩酊状態にあったからか、壊れたブレーキのせいか、見通しのきかない交差点のせいなのか。
- 飲酒運転を抑制し、ブレーキのコンディションを精密に検査し、交差点を改良するといったことは、交通事故を減らそうという目的に適う。しかし偶然的原因は一般化できないので、人々の喫煙を禁じたら交通事故による死亡者が減るなどと考えるのは意味がない。
- 目的の観念は価値判断を含み、価値判断は歴史における解釈に結びつき、解釈は因果関係と結びついている。
Ⅴ 進歩としての歴史
- 私たちが事実を知ろうとする時、私たちが出す問題も、私たちが手に入れる解答も、私たちの価値体系が背景になっている。
- 価値は事実のうちへ入り込み、その本質的な部分になっている。私たちはすべて私たちの価値を通して獲得している。
- 歴史における進歩は、事実と価値との間の相互依存および相互作用を通して実現される。
- 客観的な歴史家というのは、この事実と価値とが絡み合う相互的過程を最も深く見抜く歴史家のこと。
Ⅵ 広がる地平線
- 現代の世界は、近代の世界の基礎が作られて以来、この世界を襲ったいかなる変化に比べても、更に深い、更に烈しいと思われる変化の過程にある。
- 社会の中の人間に適用された理性の主要機能は、もう「探究すること」だけでなく、「変更すること」となっている。
- 私が懸念するのは、理性への信頼が薄らいで行くことではなく、不断に動く世界に対する行き届いた感覚が失われていること。