supercarが解散する。
http://www.supercar-net.com/
ありえる話だ、と思った。
(cymbalsの解散のときとどっちがショックだったかな...。)
曲の世界と詞の世界の調和が絶妙だったのだが、相克もあったのかも。
デビューからずっと進化し続けたバンドだと思う。無数のフォロワーを生みだしたし。
Futuramaのときの赤坂ブリッツで見たライヴが、最高だった。
各アルバムのいちばん好きな曲を書いてみる。
スリーアウトチェンジ M-8 “Lucky”
JUMP UP M-2 “Sunday People”
OOKeah!! M-2 “Sun Rider”
OOYeah!! M-7 “IONADISCO”
Futurama M-4 “White Surf style 5.”
HIGHVISION M-9 “NIJIIRO DARKNESS ”
ANSWER M-11 “SIREN”
こんなに幅が広いので、全体を通してのこの1曲っていうのが選べない。
でも強いて言えばやっぱりLuckyかな。
[追記]
1/21、supercar解散-全メンバーインタビューを読むために、rockin'on JAPANを買った。ひさしぶりに。(音楽雑誌買うこと自体がひさしぶりだ。)
メンバーの写真見て思ったけど、supercarって、やっぱり貫禄あるなー...。2ndまではまだ若々しさがあったけど、それ以後って、なんかすごく風格が出てきてた気がする。4人とも。そんなに年とってるわけでもないのに。個性・キャラが確定していったってことだったのかも。それぞれが、自分のスタイルをきちんと築き上げてた。バンドとしては、すごくいいバランスだったと思う。
音に関しては、ボーカル-作詞と作曲にねじれがあることがsupercarの最大の特徴だ。
中村弘二の、ボーカリスト・作曲者としての個性。いしわたり淳治の、作詞者としての個性。
昔ジミー・ペイジは『歌詞はボーカリストがつくるべきだ』と言って、ある時期からロバート・プラントに詞を書かせるようにしたというが(渋谷陽一の何かの文章より。)、たしかにふつうは、ボーカリスト自身が詞を書いた方が、思いが込められていい歌になると思う。
ところがsupercarの場合は、ナカコーに作曲者としての才能が備わっていて同時にその延長として特異なスタイルのボーカリストでもあるために、ジュンジの独特の歌詞世界がアレンジ/再解釈され、そうした相互作用の結果としての希有な楽曲に結実されるに至る。もともとジュンジの詞の時点で実験的であるのに、さらにナカコーはそれをときには原型を大きく逸脱さえするほどな歌い方をしてしまう。(日本語詞なのに歌詞カード見ないと何歌ってるか絶対にわからない“IONADISCO”。あるいは“Sun Rider”後半の、なんて言ってるかわからない英語もどきなカウント。フルカワミキの“STROBOLIGHTS”もその一環か。)
能力のブレンド。supercarの曲は、このふたりがいなければ成立しない。
インタビュー読んでも、解散の理由ははっきりしない。でもやっぱり最後まで淡泊感を保ったままだった。よく見ると微妙な温度感もそれぞれから感じられるんだけど、決して熱くはならない。ただし、ジュンジだけはそうでもないようだ。わけもわからず振られたようにも見えるぐらいに。ちょっと切なさを感じてしまった。
惜しい気持ちもあるけど、衰える前に解散、という方が良いのかな、バンドとしては...。
これで完結したひとつの歴史になったのは確かだ。
今までに残したアルバムのなかに、駄作はいっこもなし! と断言できる。
まず根底にある世界観に、共感する。その視点に、そのスタイルに。
そしてその音は、確たる存在感を持った別世界に連れていってくれる力を持っている。
SUPERCAR
1998-2005
MIKI FURUKAWA Bass, Chorus, Vocal
KOJI NAKAMURA Guitar, Synthesizer, Effects, Programming, Vocal, Chorus
KODAI TAZAWA Drum
JUNJI ISHIWATARI Guitar
“ALL WORDS BY JUNJI ISHIWATARI / ALL MUSIC BY KOJI NAKAMURA”
[さらなる追記]
DVD “LAST LIVE 26.Feb.2005@STUDIO COAST” も見たのでその感想:
http://d.hatena.ne.jp/LJU/20050723/p1