“舞い降りた桜 ザハ・ハディドとめぐるドイツ銀行コレクション”@原美術館。
ドイツ銀行コレクションからの現代美術作品150点の展覧会。ザハ・ハディドによるインスタレーションを伴う。
[廊下]
Kara Walker
切り絵。ポップな見かけによらず、描かれているものはけっこう奇妙。
[ギャラリーII]
笠原 恵美子
ハンカチーフシリーズ。幾何学的な2Dパターンが毛によって描かれていることで方向性と立体感が生まれる。
Andreas Slominski “Transportation für Hustensaft 液状咳止め薬の輸送システム”
ジャイロスコープ。
[階段]
やなぎ みわ “かごめかごめ”
階段の途中にある扉に仕込まれたディスプレイによる映像作品。CGによってつくられた廊下に次々とあらわれる女性たち。看護婦、エレベーターガール、ウィンドウショッピング、スチュワーデス、など。主として女性の定型的な制服が抽出されているのだが、その色だけはすべて白で表現される。しかしその服形状、または彼女たちの身振りが、それらの職業的役割モデルを明確に示す。たぶん言葉の違う国でも通じるほどに。
舞台は、どことなく古風な洋館を思わせる一直線の廊下。両側に並ぶ扉が、エレベーターのドアになったり病室の戸になったり、あるいはショーウィンドウになったり。同じ舞台、最小限の美術操作、照明の変化、衣装の抽象化。とするとこれは演劇の一種なのか。
これ、欲しい。家に欲しい。こういう小さな映像をのぞき込むように見るのもいいと思うけど、等身大のディスプレイで見せるのもありじゃないかな。そういう映像が壁で流れ続ける部屋というのもおもしろいかも。
それにしてもこのような映像作品を「所有する」というのはどのようなことなのだろう。その何らかの権利を所有するということなのか。
[ギャラリーIII]
Andreas Gursky “Atlanta”
巨大なホテルのアトリウムの写真。クリーニング中のワゴンとか。広範囲を対象に含める写真なので、視線の消失点が複数重ね合わされている。そのぶれがごくわずかに感じ取れる。
[ギャラリーIV]
Tobias Rehberger “Untitled (8 from the series)”
簡単に彩色されたドローイング。高山を描く。画面のあちこちに○や△や□や×の記号が配置されているけど、何を意味しているのかわからない。
[ギャラリーV]
Olaf Nicolai “Nach der Natur I”
自然を写した写真の鮮やかな色彩が、内照式光源によって人工的に増強される。
[インスタレーションおよび空間デザイン]
Zaha Hadid
中庭とギャラリーVに設置された構築物。白い曲面の立体的オブジェクト。きわめて優美な曲線で構成されていて、鋭角的な要素は一切ない。
中庭のものは巨大で、力学的にどのように成り立っているのかを不思議に思わせる。雨上がりだったために、その表面は雨水でうっすらと汚れていて、おそらく晴れの日であれば抽象的な立体として見えたであろうこれらの構築物に強力な物質性をまとわせていた。ギャラリーVのものと比べるとそれが際立つ。雨という外的な事象が、意図された抽象性を浸食する。
またこれらとは別に、館全体にわたって床の仕上が改変されている。いつものフローリングの床が、白い樹脂シートで覆い尽くされている。ところどころにはグレーのやはり曲面形状が散りばめられて。
最初はザハ・ハディドが作品の選出・全体構成を企画しているのかと思ったけど、そうではなく単にインスタレーションと床のデザインをしただけみたい。
そうするとなぜザハ・ハディド?という疑問が浮かぶが、彼女の空間デザインが、これだけの数の作家・作品量に対するひとつのまとまり、統一的な下地を与えている、と見えないこともない。
次に、ドイツ銀行コレクションとは何か?という疑問が続く。「職場に美術を」という概念のもとに作品収集が始められた、とあり、50000点に及ぶコレクションが行内やオフィスに展示されているとのことだが、その動機がよくわからない。企業コレクション。経済活動と芸術活動とは、どのようにリンクするものなのか。
見ていたときは、膨大な量の作品に飽和状態で充実感があったけど、帰ってからよく考えると、どうも奇妙な展覧会で、いろいろ疑問が浮かぶ。これらについて考えてみよ、と言われているかのよう。そのように疑うことを強いるのがもしかしてテーマなのか? ブルデューとハンス・ハーケの対談本(「自由-交換」)が手元にあれば読み返してみたいところだけどたぶん実家に置いてきたし、ぜんぜん内容思い出せない。
アートは社会から自律して活動するが、社会と無縁に活動するわけではない。このふたつは同じものではなくて、通常、矛盾せずに並行することができる。そして、経済活動の一環として企業に包摂されるアート、ということ自体をテーマとして語るアート(展覧会)というものも可能。
たぶん、やなぎ みわ“かごめかごめ”を見るだけで充分価値あり。あれが階段の踊り場にあるというのがポイントで、移動の途中の空間に、廊下を映した映像があるという二重性、あるいは壁に空いた穴をのぞく人々にひきずられて見たり上下に移動する人の動きを乱したりという場所設定の妙。