“4 LUNI, 3 SAPTAMÂNI SI 2 ZILE”
Cristian Mungiu, 2007
非常にインパクトの強い映画だった。
[あらすじ]
1987年、チャウシェスク独裁政権下のルーマニアでは中絶が違法とされていた。
大学生オティリアは、ルームメイトのガビッツァの中絶を手伝う。
手術(というか「作業」と言った感じだが)の場所としてホテルを予約し、堕胎をおこなう違法な医者を連れてきて、合間には彼氏の母親の誕生パーティにも行かなければならないし...。
見つかれば本人にも医者にも重い刑が待っている。
朝から深夜まで、さまざまな障害に見舞われ続けるオティリアの一日を、緊迫感を持って描いている映画。
(以下ネタバレ含む)
朝の時点ではわりとのんびり、ほのぼのした感じすらある状態なのだが、ホテルの予約が取れてなかったことが判明するあたりから、だんだんと物事がうまくいかなくなってくる。
基本的には、典型的なトラブルメイカータイプのガビッツァに原因があるのだけど...。このガビッツァがもう、やることなすことすべてが人を腹立たせる感じで、そのおかげでここまで迫真の展開になってるわけではあるのだが、そんななかでオティリアはほんとに健気にがんばり続ける。なんでここまでしないといけないの?って状況だけど、乗りかかった船だから途中でやめるわけにもいかないし...。
この映画での「緊迫感」とは、出来事それ自体というよりもコミュニケーションのレベルでもっとも強く醸し出されている。
たとえば、ホテルの受付との、予約した/してないの論争。
医者・中絶希望者・その友人、という全員が危ない橋を渡ってる間での諸々のやり取り、交渉。
オティリアとガビッツァの、うんざりするし今更言ってもしょうがないことを、でも言わずにはいられない会話。
彼氏の家族・親戚のなかでの居心地のよくない空気。
彼氏との完全にすれ違ってしまってる言い合い。
など。
別にオティリアの内面がモノローグで語られたりするわけでもなく、手持ちカメラが人物たちの会話を何の情感も込めずに追い回して撮ってるだけで、出演者たちも感情を露骨に出した表情をしてたりはしないのだが、もうそんなのなくても状況だけでオティリアの心理が生々しく伝わってくる。
特に、彼氏との会話のシーン。
彼氏は、男性が一般によくしがちな至極自然な反応をしてるんだけど、ここに至るまでの経過をさんざん見てきた観客側からすると、この男がまるで見当違いの対応をしていることがよくわかる。
なんでそこでそう言うかなー、彼女がここで言って欲しいこと、して欲しいことはそういうことじゃないんだよー、って。人の気持ち察せないことで定評あるこの俺ですら、あー、今の俺、女性心理100%理解できてる自信あるな...って思えてしまうほどに。
いや、このシーンがほんとによくできてて、男女がどのようにすれ違ってしまうものなのか、女性が何をどのように考えるものなのか.....、なんか積年の謎が解明すらしたかのような気が。
最後のレストランのシーンも、激動だった一日の終わりとしてとてもふさわしい静かな描かれ方で、良かった。終わってしまうと、何事もなかったかのような一日のように見えてしまうというのが、逆に印象深く感じる。
このふたりの関係が今後どうなるのかにはあまり良い展開が予想できないし、この一日で主人公が得たもの、あるいは観客が得たもの、というのも、うーん、とりたててそういうのってないかな...?って感じではあるけれど。
でも、映画っていうのは必ずしもそこから何か教訓を得なくてはいけないものでもなくて、単に主人公と同一の時間・出来事・心理状態を観客に濃密に体験させるもの、っていうだけであっても全然いいと思う。そういう意味でのこの映画は、とてもとても良くできている。
2007年カンヌでのパルムドール受賞作品。
あと、老婆心的に言っておくけど、この映画はまかり間違ってもカップルで行ってはいけないと思います。かなり気まずくなると思う。