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 レム “大失敗”

FIASKO‐大失敗 (スタニスワフ・レムコレクション)




“Fiasko”
 1987
 Stanisław Lem



0.
 スタニスワフ・レムの最後の長編。
 レムが何度か取り上げてきた「人類と地球外知性のファースト・コンタクト」という題材が、ここでも挑戦されている。“砂漠の惑星”や“ソラリス”のように、人類の常識では計り知れない異質な生態、そして決定的にすれ違うコミュニケーション、というモチーフが描かれるのだけど、それらは今まで以上に踏み込んで追求されている。ボリュームも膨大、プロットも設定も凝っている。散りばめられた人名や語句は神話などに出自を持ち、秘めた含意を暗示する。本筋から離れるような挿話が随所にまぎれこみ、テーマとの象徴関係をあれこれ想像させずにはいられない。主題自体がそもそも一筋縄ではいかないものなのに、それに加えてこのように緻密に配された複雑な意味構造。結果として全体は、難解ではあるのだろうけれども同時にさまざまな思考を促すもの・多様な読み方へと開かれた小説になっている。

 小説家でも音楽家でも画家でも、生涯のうちに傑作を生み出せた者は数多くても、最晩年に至るまでその力量を上昇させ続けたと断言できる者はそれほどありふれてはいないだろう。レムのように、一貫したテーマを追い続けた作家が最後にその集大成とも言える作品に到達することができたのは、とても幸せなことだと思う。そしてそのような最高傑作のタイトルが“大失敗”というものであるのは、なかなか諧謔的ではないだろうか?



(以下ネタバレ含む)



1.
 この小説で起こる「大失敗」は、その語に恥じず、容赦ない。
 “天の声”でも、作中の星間通信解読計画が失敗プロジェクトだったということが何度も言われているのだが、この書におけるファースト・コンタクト計画の失敗は、“天の声”でのように何の成果も生まなかったという程度にはとどまらず、絵に描いたような大惨事を引き起こすまでに至る。最初は、意図しなかった事故に始まってはいるものの、「相手」の反応の不可解さに翻弄されることで登場人物たちは確証のない仮定と疑心に駆動され、やがて後戻りのできない破壊行動の連続へはまり込む。
 たとえばもし、この本の中盤で、地球外知性との交流を求めて未知の惑星への途上にある宇宙船内の情景を見た読者が、続く200ページばかりを飛ばして終盤の状況を覗き見たとすると、乗組員の間でなぜか準備されている壊滅的な惑星攻撃計画の様子に、〈いったいなぜこんなことに? わざわざ星間を渡って、何しに来たの?〉という疑問に駆られることだろう*1。けれどもこの間のギャップは、順に出来事を追っていくならば納得はいかなくても理解はできるもので、小さな行き違いの積み重ねが不可逆的な転落に帰着することがよく実感できる。また、プロジェクトのメンバーにはなぜかドミニコ会修道僧が加わっているのだが、彼の存在理由も終盤でのクルーの葛藤と苦悩、神学的ともいえる議論内容を考えるならば頷けてしまう。
 皮肉なことに、人類側の攻撃は常に、〈われわれとコミュニケートせよ〉という命令を伴ったものとしておこなわれる。計画の目的は、地球外知性であるクウィンタ星人とコミュニケーションを取ることで一貫している。しかしそのためのどのような穏便な努力も空回りし、無関心か否定的反応しか引き起こさないことによる苛立ちが、いつしか、脅迫と実力行使をもってしてもこちらと対話させてやるという態度に変わっていく。こちらに関心がない相手を強制力で振り向かせようという試みなんて、良い結果を生むはずがないと思うけれども.....しかしそれは当事者たちもわかっていることなのだ。それなのに。

 クウィンタ星人と人類の間にはコミュニケーションがまったく成立していないようにも見えるけれど、見方を変えればこれはこれでコミュニケーションのひとつのありようを示してもいる。というのは、ここでの相手は、その形態はともかく進化の過程および文明の様態に関してある程度の共通点が推測される者たちであり、だからこそお互いに一定の意思を通信し合うことができているからだ。つまり、これまでの作品で見られたようなそもそも何一つとして共通の言語が確立できていない相互接触よりも一歩先に進んだ状況が描かれている。互いの意図が相手に通じていないのではなく、要請は伝わっていて、その上で、相手の希望に沿うつもりがない。実際のところ、ファースト・コンタクト自体は既に済まされている。だけど人類の目的は接触そのものではなく、「有意義な」対話だ。お互いが情報を交換し合い、有益な知識を得ることができるような、理想的な文化交流。そしてもはやこの理想からは程遠い。

 この小説には、人類とクウィンタ星人以外に実はもうひとつの知性体が登場している。それは宇宙船に搭載されクルーの活動を不可欠に支える人工知性体だ。コンピュータの「最終世代」に属すとされ「神」の名を冠するこの知性体は、乗組員と自然言語で会話し、戦略策定のアドバイスから乗員の精神的なサポートまで幅広い活動に従事する。その流暢な言動は人間と区別つかないが、作中では人間との決定的な違いについて念を押されてもいる。複数勢力に分裂し戦争を繰り返すクウィンタ星人と比べるならば、理性的で万能なこの人工知性の方が人類よりよほど異質な存在とも言えそうなのだが、人間とこのコンピュータには深刻なコミュニケーション上の問題は発生せず、そのような齟齬はむしろ人類同様の性向を持つクウィンタ星人との間に現れる。彼らとの間には〈言葉は通じているのに、相手の意図がわからない〉という状況があるのだが、これは何も相手が地球外知性体ではなくても、同じ人間のなかでも起こることだ。
 つまりここで描かれていることは、人類と地球外知性の遭遇にのみ起こるような非日常的な出来事ではなく、むしろ人間同士の日常的なコミュニケーションが孕む問題を言い当てているように思える。同じ言葉を話していようと、誤解や不合意は生まれる。それでもわれわれは言葉を用いるしかない。意見の不一致や意図の食い違いがあろうとも、相手に何かの反応を起こさせ、こちらがそれにまた反応することが続く限り、コミュニケーションは継続する。







*1:異星人による地球侵略という古典的なプロットは得てして非合理的と捉えられがちだが、何光年・何十光年もの彼方からやって来た異星人が地球を攻める理由があるとしたら、この本での地球人と同じような経緯によるものかもしれないと思わせる。






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―Angela Mitchell