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ぼくがイーガンの短編のなかでもっとも好きなのは“ルミナス”というエキセントリックな数学バトルの話なのだけど、その続編である“暗黒整数”がSFマガジン2009年3月号に掲載されていて、ようやく読んだ。
前作は前哨戦、というよりファースト・コンタクトまでの話。今回は「相手」との間に一定のコミュニケーションが確立した後の話で、平衡状態·冷戦状態から偶発事件をきっかけに大戦勃発の危機となって犠牲者も出てしまう、という緊迫の展開だけど、語り口はいつもの通りシニカルなユーモアを伴っている。
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SFという小説ジャンルを、ぼくは〈世界原理のベースに自然科学の考え方·態度を据えて、外挿的に記述された小説〉というものとして捉えている。
でも普段読まない人たちにとっては、科学思考がどうとかいうよりも、宇宙船やらタイムマシンやらといった未来的な要素が出てくるものがSFだとイメージされているような気がする。そしてその物語は、異星人との戦いだとか、何か進んだ技術で破滅的な出来事がおこって人類が危機にさらされる、みたいな、ありきたりで浅い内容だと認識されているんじゃないかな... と半ば被害妄想的に僕は思ってしまう。(冷静に考えてエヴァ以降にもそんな通念が残ったままだとも思えないが...。)
実際は20世紀後期以降のSF小説は、そのような枠組みにとどまることなく幅広い試みで展開されてきてはいるわけだけれど、でも一般的なイメージがどうかというと、たとえばツタヤに行ってSF映画コーナーとされている棚のラインナップを見てみれば、そこにあるのは古典的なガジェットとプロットに依ったものがほとんどで、どうも世間ではSFというのはそういう表面的なレベルで定義されているように思えてならない。つまり、まずもって「SFっぽいもの」が出てくるかどうか、次に「SFっぽいプロット」に従っているかどうかというのが重要なことであって、自然科学の思考を基にしているかどうかはほぼ重要視されていないようだ。それは、ハリウッドの超大作SF映画とされるものにも科学考証が適当なものが散見されることにも表れているように思う。
ところでこの“暗黒整数”の場合、プロットはステレオタイプなSF像に準じているのに、一方でいわゆるSF的な構成要素はまったく出てこない*1。
このギャップが“暗黒整数”の最大のおもしろさだ。
プロットをひとことで説明するなら、作中でも口にされるウォー·オブ·ザ·ワールズという言葉が適切だろう。これの語源であるところの古典SF「宇宙戦争」と同様に、人類と人類以外の存在との間で殲滅戦争が繰り広げられるわけだが、“暗黒整数”での戦いの舞台はこの訳語でのような「宇宙」ではなく、なんというかそれこそ世界間、としか言いようのない戦場。しかもお互いが戦いに用いる道具は、軍だとか超兵器だとかではなくコンピュータのみ、さらにその攻撃手段は数論の証明を競うこと、というきわめて抽象的な戦いだ。
これだけ聞くとなんかぜんぜん意味不明だしなんでそんなので戦争が成立するの...?と思われるような気がするが、まあその仕組みの根幹は前作“ルミナス”で細かく語られてはいる。簡単に言うと、数学と物理現象は不可分、というようなアイデアに発しているのだけど、例によってイーガン得意の壮大なハッタリなわけで、あまり突っ込まずに流されて読むのがよいのだろう.... というか“ルミナス”はまだしも“暗黒整数”ではディテールにさっぱりついていけなかったところが多分にあったのだが、数学的に把握できなくてもテクストの論理形式を追っていくだけで話は理解できるので、そういう読み方でもいいのかな、と思った。
いずれにしても“暗黒整数”および“ルミナス”のすべては自然科学(数学含む。)のアイデアの上に築かれていて、SF的な構成要素が一切登場しないにもかかわらずこれこそが紛れもなくSFだと言える理由はそこにある。作品内の世界原理を提供するリソースとして現実世界のドミナントな準拠視点を使用しつつ、なおかつそこに少しばかりの虚構を加えて一気に未踏の情景へ飛び込む壮大な法螺話*2。SFのステレオタイプ的な見かけがぜんぜんなくても、「原理」だけで充分にインパクトを生み出せるということを“暗黒整数”と“ルミナス”は証明している。
だからもしSFというものを、未来的なガジェットが出てきて宇宙が舞台の話が展開するようなもの、というイメージだけで捉えている人がいたならば、この“暗黒整数”を読むと(まず“ルミナス”を読まなくてはならないが)その印象は根本的に覆されると思う。
“暗黒整数”の最初の方で出てくる一文:
通信は〈不備〉の小さな一部分をモニタし、修正することでおこなわれ、具体的にはバランスの不安定なひと握りの数論的真理を改変し、ふたつの系の境界を行ったり来たり揺り動かすことで、送信される情報をエンコードするのだ。
“暗黒整数”
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