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 ボルヘス “伝奇集”








“Ficciones” 1944
“El aleph” 1949
“Historia universal de la infamia” 1935
  Jorge Luis Borges





 “伝奇集” “エル・アレフ” “汚辱の世界史” の三つの短編集が収録されている。全321ページに対して50の作品ということだから平均してひとつあたり6ページ程度の短編なのだけれど、それぞれの密度がなかなか濃いもので、容易には読み進められない。
 各作品の性格を表すならば、「奇譚」といった語で最適かつ充分。短いページ数のなかで、不可思議な事件が起こり、結末で読者を感嘆させ、同時に幾ばくかの戸惑いを残しながら次の作品へのページをめくらせる。
 こうやって実際読んでみると、世の中でボルヘスがよく引用されることも理解できる。どの作品にも着想が詰まっていて、実に鋭く、世界の一断面を凝縮して言い表しているから。思索の足掛かりとしてさまざまに使えそう。


 読んでいて目に付くのは、年の表記がよく出てくること。出来事の生じた時期を示すものであったり、あるいは作中に出てくる書物の発行年であったり。そのような手掛かりがまったくなく時代背景が不明の作品もあるけれど、多くは、時代について何かしらのかたちで指し示している。
 各作品では、それなりの長さを持った期間のなかで作中時間が経過し、プロットと時間の経過とは強く結びついている。たとえば、最初の出来事 ― 話が飛ぶ空白期間 ― 次の出来事(最初の出来事を思い出す) ― 再び話が飛ぶ ― その後(結末)、といった具合に、概して三つほどの離散的な時間帯を経過してプロットが展開する。(すべてがそうであるわけではなく、たった一晩で話が終わるものもある。) こうした時間経過を「それから○年が過ぎて」などと書いたりすれば、はっきりと時代設定を語らずに済ませることもできたりするはずなのだけど、そうではなく、時間が飛んだときには明確に「○○○○年」と書いて次の出来事を語り始めている。
 特に意味もない些末なことであるような気もするけれども... 仮に何か意味を持ってこのようにしているのだとすると、その理由は、ひとつには時間設定から曖昧さをなくして、世界全体の時間のなかに個々の出来事を確実に位置付けるためのものだと思える。
 収録されている作品の舞台はさまざまで、アジア、ヨーロッパ、中東、南北アメリカ、と、場所の偏りをあまり感じさせず世界中に渡っているし、時代も、古代・中世・近世・近代と広範囲だ。場所も文化も異なる多種多彩な登場人物たちが繰り広げる物語の数々が同じ暦のなかにしっかりと位置付けられていることで、この本全体がひとつの歴史書のように見えてくる。各エピソードは、世界のどこでも日々生じ続けている出来事の集積のようにも思えるし、あるいは何かの・誰かの意図によって隠れた因果を持たされたもののように思えたりもする。いずれにしても、脈絡なく互いに無関係のはずのエピソードがあたかもひとつの軸線(「世界時間」)に沿って散りばめられているようだ。
 このことは、エル・アレフの冒頭にある「不死の人」という作品によって象徴されているようにも思う。
 不死者は次のように語る。

わたしは新しい王国を、新しい帝国を、つぎつぎと遍歴した。(p145)

わたしはホメーロスであった。まもなく、わたしはあのユリシーズのように、「人物」になるであろう。まもなくわたしはひとつの世界になるであろう。わたしは死ぬだろう。(p147)

 これらのフレーズは、この本それ自体についてのものでもあるはずだ。








目次



伝奇集 Ficciones
 第I部 八岐の園(1941年)
  プロローグ
  トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス
  アル・ムターシムを求めて
  『ドン・キホーテ』の著者 ピエール・メナール
  円環の廃墟
  バビロンのくじ
  ハーバート・クエインの作品の検討
  バベルの図書館
  八岐の園
 第II部 工匠集(1944年)
  プロローグ
  記憶の人・フネス
  刀の形
  裏切り者と英雄のテーマ
  死とコンパス
  内緒の奇跡
  ユダについての三つの解釈
  結末
  フェニックス宗
  南部


エル・アレフ El aleph
  不死の人
  死んだ男
  神学者たち
  戦士と囚われの女の物語
  タデオ・イシドロ・クルスの生涯(1829〜1874)
  エンマ・ツンツ
  アステリオーンの家
  もうひとつの死
  ドイツ鎮魂曲
  アヴェロエスの探求
  《ザーヒル
  神の書跡
  アベンハカーン・エル・ボハリー、おのれの迷宮に死す
  ふたりの王とふたつの迷宮
  待つ
  敷居の上の男
  アレフ
  エピローグ


汚辱の世界史 Historia universal de la infamia
 初版 序
 1954年版 序
 汚辱の世界史
  恐怖の救済者 ラザラス・モレル
  真とは思えぬ山師 トム・カストロ
  鄭夫人 女海賊
  不正調達者 モンク・イーストマン
  動機なしの殺人者 ビル・ハリガン
  不作法な式部官 吉良上野介
  仮面の染物師 メルヴのハキム
 ばら色の街角の男
 エトセトラ
  死後の神学者 エマヌエル・スウェーデンボリ 『天の秘密』(1749〜1756)より
  彫像の部屋 (『千夜一夜物語』 271、272夜より)
  夢を見た二人の男の物語 (『千夜一夜物語』 351夜より)
  お預けをくった魔術師 アラビヤの物語『四十の朝と四十の夜』を出典とする、ドン・フヮン・マヌエル王子の『パトロニオの書』(1335)より
  インクの鏡 リチャード・F・バートン著 『赤道アフリカの湖水地帯』より
  マホメットの代役 エマヌエル・スウェーデンボリ 『真のキリスト教』(1771)より
  寛大な敵 H・ゲリング 『ヘイムスクリングラ補遺』(1893)より
  学問の厳密さについて スワレス・ミランダ 『賢者の旅』(1658)第4巻14章





メモ 一部ネタバレあるかも


円環の廃墟
造物主と被造物の関係。


バビロンのくじ
偶然の支配が貫徹する世界。

もし くじ が偶然を強化するもの、宇宙の調和の中に定期的に混沌を注入するものであれば、偶然はたったひとつの段階に対してではなく くじびき のあらゆる段階に干渉してしかるべきではないだろうか? (p47)



ハーバート・クエインの作品の検討
「逆行し、分岐する小説」

それからこうもいった。造物主 (デミウルゴス) たちや神々ならば無限の案をえらぶだろう。無限に分かたれた無限の物語をと。(p52)



バベルの図書館
有名な作品。
全宇宙・全歴史を記述し尽くす図書館。無限という概念を示す。(図書館=宇宙が無限の大きさを持つとして、そこから無限の意味が引き出され得るのは、書物ではなくその観察者の働きに他ならない。cf. 円周率πの中に有意な文章を見出す可能性。)
「図書館」というビルディング·タイプを語る際によく言及されている。
書物の凝集する無限の迷宮というイメージで語られるが、ここに棲まう人々のためのトイレや睡眠の場所などのいわば付随的な空間についての描写があることが意外だった。
また、棚の高さが「ふつうの図書館の本棚の高さをほとんどこえていない」ことも銘記に値する。
書物が人の手に繰られる物である以上、踏み台や梯子でしか到達できないような高さの本棚をつくるのは不合理なのだ、と思う。


八岐の園
分岐する未来。

空に、陸に、海に、無数の人間がいるが、実際におこりつつあることはすべてわたしにおこっているのだ・・・・・・。(p63)

彼らにわたしはこの忠告を与える、「だれでも、なにかすさまじい事業に従事するものは、あたかもそれがすでに成就されたかのように行動し、未来が過去のようにとり返しのつかないものとして自分に課するべきだ」と。(p65)



記憶の人・フネス
体験のすべてを記憶する人物。「ラギッド・ガール」を思い出した。
ライフログ


裏切り者と英雄のテーマ
筋書きに沿って現実を物語と化すこと。


神学者たち
対を成す二人の神学者。その正負の関係が、作中でのヒストリオン派の思想にまさに適合したものとなっている。


戦士と囚われの女の物語
神学者たち」の内容にも関連するような話。


アステリオーンの家
バベルの図書館にも似ている。無限の家。
アステリオスとはミノタウロスのことであり、この比類なき家は、ミノスの迷宮に他ならない。


もうひとつの死
ピエトロ・ダミアーニ『全能について』の『天国篇』第21歌2行:“神はかつて存在したものを存在しなかったものにすることが出来る”

神学大全』には、神が過去を作り変えることは不可能とされているが、原因と結果との錯雑した連鎖関係については言及がない。その関係はあまりにも広くまた密接であるために、たとえとるに足らぬと思えるたった一つの昔の事実も、現在を無効にすることなく抹消するのは不可能だろう。過去を修正することは、ただ一つの事実を修正することではない。それは、無限に及ぼうとするその事実の結果を抹消することになる。換言すれば、それは二つの世界史を創ることになるのだ。(p184)

そして、物語の語り手自身とのこの歴史改変との関係。



ドイツ鎮魂曲
ここにも円環が閉じることについての言及がある。


アヴェロエスの探求
登場人物たちは演劇なるものの知識を持たず、その様子を人から聞いて、自分の知識にないものを想像しようとする。
あるいは、アリストテレスの書から、イスラム圏で馴染みのない「喜劇」と「悲劇」という言葉を何とか解釈しようと試みる。
そして、そのように「自分の知識にないものを想像しようとする者たち」を想像しようとする作者もまた、登場人物と同等なのだ。

最後のページで、わたしの物語は、それを書いている間のわたしという人間の象徴であり、その話を書くためにはその人間でなければならず、そしてその人間であるためにはその話を書かねばならず、という風に無限に続くのだということを悟った。(わたしが彼を信ずることをやめた瞬間に、《アヴェロエス》は消散するのだ。)(p200)



《ザーヒル
貨幣/硬貨について。

お金ほど非物質的なものは存在しない、なんとなれば、いかなる貨幣も(たとえば20センターボ相当の硬貨でも)、厳密に言えば、可能な未来の目録なのだからと。お金は抽象的なものだ、とわたしはくり返した。お金は未来時制だ。〜略〜 それは予見出来ない時間、ベルグソンの時間であって、イスラムストア学派の硬直した時間ではない。決定論者は、この世に可能な事、すなわち起こり得る事は一つしかないということを否定する。貨幣はわれわれの自由意志を象徴しているのだ。(p204)



アレフ
「あらゆる地点を包含する、空間の一地点」「あらゆる角度から見た世界中の場所が、まじり合うことなく存在する場所」
それは自分自身を再帰的に観察することも可能。
「物語の円環」


仮面の染物師 メルヴのハキム
「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」に出てくる謎めいたフレーズの出典がこんなところにある。


インクの鏡
アレフ」に似たところがある。


学問の厳密さについて
世界と同じ大きさの地図について。(スワレス・ミランダ 『賢者の旅』(1658)第4巻14章)








伝奇集 (ラテンアメリカの文学 (1))

伝奇集 (ラテンアメリカの文学 (1))






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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell