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 神林長平 “アンブロークン アロー”






アンブロークンアロー―戦闘妖精・雪風

アンブロークンアロー―戦闘妖精・雪風






0.
 雪風シリーズの第三作。
 近未来、南極と超空間通路でつながった未知の惑星で不可解な敵“ジャム”と戦い続ける戦術偵察機部隊の物語。
 前作の最後で始まったジャムの総力攻撃を受けたその後の話が語られる。



1.
 わたしは、ドライな小説というものがとても好きだ。
 わたしが求めるドライな小説には、次のような条件をクリアしていてほしいと思う。
 まず、キャラクターやストーリーが感情に駆動されるのではなく、理詰めで展開していくこと。
 そして、登場人物たちの人生観や世界観が淡泊だったり達観していたりすること。
 さらに言うならば、小説内で恋愛関係がまったく生じないこと。
 ──だけど、そのような小説に出会えることはなかなかない*1。世の中は、ウェットな小説に溢れている。そういう小説をぜんぜん読まないわけではないし否定もしていないけれど... わざわざ探すような対象でもないかな、ぐらいには思っていたりするかもしれない。探しているのは、徹底して情動から遠く乾いているにもかかわらず、読み進めるわたしをわくわくさせて止まないようなもの。そのような小説をいつも求めている。
 雪風シリーズは、その条件を完全に満たしている理想的な小説だ。




 このシリーズの非-情緒的な雰囲気を生み出している理由のひとつは、主要登場人物たちが所属するFAF特殊戦という部隊が、その任務の性質上、非情で冷淡な人材で構成されているということに拠っている。だけど、それだけではない。だって淡泊な人間たちの組織であっても、激しい戦いのなかでウェットな人間関係に目覚めていく、なんていうプロットだってあり得るわけだし...。より大きな原因は、この小説が焦点を当てている「人間と機械との関係」とか「言葉と世界」とかいった抽象的で思索的なテーマにある。
 雪風シリーズの登場キャラクターを個人ではなく種というレベルで捉えるならば、人類/ジャム/戦闘知性体という三つとして整理できる。戦闘知性体とは、人類陣営に属する戦略コンピュータや自律思考機能を備えた兵器たちを指しているのだが、「彼ら」は単純に人類に使役される道具とも忠実な味方とも言い難い。基本的にジャムと戦うことを第一の目的として生み出された存在ではあるのに、その目的に沿って進化してきた結果、ジャムと戦うには人間などは非効率的な障害だと考え始めた知性体もいるからである。一方ジャムはと言えば、その正体も生態も目的もまったく不明の敵であって、どうも人間より機械知性に近いのではないかという示唆が為されてはいるもののそれも確かなことではなく、少しも解明されない謎として人類と戦闘知性体との前に立ちはだかり、両者の思索を刺激し続ける。
 この小説内で繰り広げられているのは単に人類とジャムとの戦争なのではなく戦闘知性体も加えた三者の対峙なのだ、という図式は、第一作から第二作へかけて次第に明確になっていく。これに伴って小説内容は、戦闘そのものやその合間の生活の描写から、主要人物たちによる三者の対立構造についての思考や議論へとシフトする。それはこの第三巻に至って極まり、ジャムによって認識のあり方を攪乱された世界でキャラクターたちが延々と存在論的問答を続ける様子には、第一作にはまだ残っていたリアリスティックなミリタリーSFの面影はもうほとんど感じられない。


 第一作の巻末解説で、「これは実際の戦闘機を飛ばすためのプロセジャーをひとつずつ丹念に踏んでいくように書かれている小説だ」というようなことを野田昌宏が書いているのだけど、それは単に戦闘機描写のリアリティだけを意味しているのではなくて、小説内で起こる出来事すべてが同様に細かな因果の筋道をもって綴られているということを含んだ言葉だったと思う。そして今作では、そのような透徹した組み立てが思惟のディテールレベルにまで及んでいる。登場人物たちの対話あるいはモノローグでは、感情の立ち入る隙がないままに、別様の可能性をひとつずつつぶしながら進む論理展開が克明に追尾される。
 ただでさえややこしいその思考の流れに加えて、ジャムが本格的に人間に介入したことでもたらされる言語感覚の混乱という事態が重なるため、読み手もまた思考と混沌のなかに突き放される。意識が複数の現実を選択しながら進むという状況は“猶予の月”にも似ているが、“アンブロークン アロー”ではジャムや戦闘知性体という異質な知性が関わるためにさらに複雑な様相を呈する。自分の頭のなかで保留タグを付けながらなんとか追っていくのだけれど、読み進めるにつれてタグは散乱し、放置状態に...。
 それなのに、終盤で少しメタフィクショナルな展開が現れた場面では心を動かされた。簡単に解きほぐせない込み入った世界が、あるひとつの視点から見たときには一貫性をもったものでもあったということがわかって、目が覚めるように思って。そこには何ら感傷的なやり取りがあったわけでもないし、通常の意味での会話が為されているわけでさえないのに、それでもそこにコミュニケーションが成立している、ということに対して爽快感を感じたのかもしれない。



2.
 前作のラストが好きで、あの終わり方できれいに完結したものとばかり思っていた。だから続編の登場にはけっこう驚いていたけど、今作のラストもなかなかきれいな終わり方だ。
 これは、ひとことで言うならば、ロンバート大佐からリン・ジャクスンへの手紙が届けられるというストーリーだと思う。とても奇妙なことに、手紙自体は冒頭で宛先に届いているにもかかわらず、それを届けるという行為がラストになってようやく完遂する。








*1:スタニスワフ・レムはこれに該当する良い例かな? ソラリスにおける恋愛描写は必要不可欠な例外事項としても。






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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell