::: BUT IT'S A TRICK, SEE? YOU ONLY THINK IT'S GOT YOU. LOOK, NOW I FIT HERE AND YOU AREN'T CARRYING THE LOOP.

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 “第9地区”






“District 9”
 Director : Neill Blomkamp
 SA, NZ, 2009/2010(JP)







 ひとことで言うなら、パンクな映画。

 物語設定・舞台設定は非常に明快だ。南アフリカヨハネスブルグに異星からの宇宙船が漂着して、帰れなくなったエイリアンたちが難民のように住み着いてしまった、という状況。
 明快とはいっても、それは単純ということを意味しない。
 映画の冒頭は、関係者や識者へのインタビューという擬似ドキュメンタリーのような形式で構成されていて、基本的な設定が社会風刺的なものとして意図されていることが自ずと伝わってくる。ヨハネスブルグという、ただでさえさまざまな社会問題を濃縮して抱えた都市に、お互い不本意に共存するはめになってしまった人類とエイリアンという設定が加わっているわけだから、事態がより込み入ったものになるのも当然のこと。ここではもう、単純な善悪だとか合理·不合理なんていう仕分けは不可能だし、どの切り口で切っても、移民問題、格差問題、異文化理解、倫理、人権…… といった、それぞれがコントロバーシャルであるテーマにつながっていく。この映画での“エイリアン”が現実社会でのわれわれの“隣人”を意味していることは歴然としているので、最初の舞台説明がひととおり終わって主人公がエイリアン居住区に入っていく頃には既にもう、状況から連想させられる思考で頭が溢れそうにもなっている。

 とはいっても、筋書き自体は難しいものではないし、全体のテイストはわりとユーモラスだったりもする。社会派的な映画…?と思うのも序盤までで、そのあとは急にホラー/スプラッター映画のような展開となり、続いて王道的なアクション映画、最終的にはヒューマニスティックな一面すら姿を見せる。映画のプロット展開としては非常に正統派のつくりをしていると思う。エイリアンの装甲兵器を手に入れたあたりのカタルシスなんかは特にそうだ。
 けれども“ヒューマニスティック”という言葉も、この映画を表現する語としてはとてもシニカルに響く。終盤の展開を、映画によくありがちな「人間と異星人の相互理解」みたいなことで簡単に片付けられないのは、この構図を現実の人間の問題へと容易にスライドさせることができるからだ。冒頭で、ヨハネスブルグ市民がエイリアンについてどう思うかというインタビューに対してする返答は、実際の世界に住むわれわれがそれぞれにとっての“好ましからざる”隣人について語るようなことと、まったく異なるところがない。


 さて、以上のような前提を踏まえつつも、この映画を見てわたしが感銘を受けたポイントは、主人公とエイリアンが超絶的な武器を携えて研究所に殴り込みに行くあたりのパンキッシュなノリに尽きる。縁故関係でたまたま重要職に就いたような主人公が、妙な経緯で、人間ともエイリアンともつかない立場に変わってしまい、自分が迫害していたエイリアンのひとりと利害を一致させて人間側に刃向かう……っていう構図。やぶれかぶれだとか自暴自棄だとか死にものぐるいだとか、そんな言葉を漂わせながら、チートすぎる武器をぶっ放す。人間社会に戻りたいがためにおこなっていることではあるのだけど、まあこんなことすればするほど人間社会に戻るのは難しくなるよな、っていう悲喜劇。そうは言っても他に選択肢はないし。そうこうしているうちに、あんな軟弱そうだった主人公が、最後の方ではなぜか英雄的なキャラになってしまう。それも、ただ状況に流され続けた結果としてそうなっただけであって、裏切りを重ねたあげくに、でもいつのまにかそのような行動に至っていた、というのがなかなか好感持てる描写だった。
 あまり大きな声で言いたいことでもないのだけど、他者との共存とは、理性による合意でたどりつけるようなものではなくて、ただ同じ時間を共に過ごしたという事実によって到達する方が可能性が高いものなのだと実感した。




[その他メモ]
 エイリアンの描写について。
 観客に生理的嫌悪を感じさせる意図でこうしたデザインになっているわけだけど、物語が進展するにつれて外観があまり気にならなくなってくる。映画としてそのようにつくられているからではあるとしても、最初と最後でまったく同じ外見なのに観客の心情としては正反対ぐらいに変わる効果を出していることは、興味深い。
 また、SFの文脈でいう地球外知性体の種類は、人間とほとんど変わらないような異星人から、人類の基準からしてあまりに異質な身体を持つもの、さらにはおよそ生物や知性という概念が通用すると思えないようなタイプのもの*1までさまざまなものがあり得るわけだけど、この映画でのエイリアンが、外観や身体能力での差は大きいものの、言葉は通じなくもないし*2、親子愛やら友情など人間にも共通する感情も持ったタイプであることは、きわめて自然な選択だと思う。ほどほどに似ていていて、ほどほどに違っているからこそ、互いの衝突が生まれる。




[さらに雑駁なメモ]
 エイリアンのインターフェイス技術がかっこよかった。
 あんなスラムで生きてたのに、本当はこんなすごいテクノロジーを操るエリートだったんだね... っていうギャップも含めて。





official : http://d-9.gaga.ne.jp/
IMDb : http://www.imdb.com/title/tt1136608/

*1:恒星内に生じる知性体とか、異なる数学体系に依拠して生きる知性体とか。

*2:お互いに、スピーキングはできないけどリスニングはできる程度。






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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell