::: BUT IT'S A TRICK, SEE? YOU ONLY THINK IT'S GOT YOU. LOOK, NOW I FIT HERE AND YOU AREN'T CARRYING THE LOOP.

 [ABOUT LJU]
 [music log INDEX] 
 

 ゴーメンガースト三部作



The Gormenghast Trilogy
  “Titus Groan タイタス・グローン” 1946
  “Gormenghast ゴーメンガースト” 1950
  “Titus Alone タイタス・アローン” 1959
 Mervyn Peake マーヴィン・ピーク





0.
 このLOGは、基本的には自分が新たに読んだり見たりしたものについて書く場所のつもりでいるのだけど、過去に触れたものについても機を見て記録していこうと思っている。自分に強く刻まれているものは、なるべくきっちり文章にして保存しておきたいのだ。
 そのような考えのもとで既に以前、グレッグ・ベアの “久遠” については書くことができた*1トールキン世界での不死性についてもまとめておくことができた*2。いずれはギブスンの “カウント・ゼロ” について書く必要があるだろう。また、Prefab Sprout の “Ice Maiden” についてもいつか必ず書かなければと思っている。

 そして今ここで、マーヴィン・ピークによるゴーメンガースト三部作について書いておきたい。(重要なのは最初の二作のみだが。三作目だけは少し異質、そしてかなり微妙。)
 これを最初に読んだのは随分前のことだけど、その当時、通勤時の電車での30分は毎度、一瞬にして過ぎ去った。一作目にしても二作目にしても600ページを越す内容なのに、平日3〜4日程度で完読していたはずだ。すべての自由時間はこの本を読むことに費やされた。物語がどのように進んでいくのかということから自分を引き離すことができなかったためだ。
 この小説の筋運びは、ほぼ完璧と言ってもいいと思う。ただし、同程度に完璧な小説は世の中にいくらでもあるだろう。そしてこの小説は、それほど突飛なものでもない。展開の意外性という面でも、洗練されたミステリなどと比べればたかが知れているかもしれない。
 それではなぜぼくがこの物語にはまったのか。キャラクターの魅力によるものなのか。主人公とアンチヒーローの対置によるテーマ構造のためなのか。
 それらもある。けれども、無視できないのは、文章それ自体。
 この小説での重要な魅力はプロットを描き出す文章表現こそにあって、それこそがおもしろさを牽引する真の源泉だ。



1.
 しかし文章について説明する前にまず、ゴーメンガースト・シリーズが《何ではないか》ということを列記しておきたいと思う。
 こんな否定神学みたいな説明の仕方がいいのかどうかはわからないけど、この小説の場合、先入観と実際の内容とに殊更に大きな乖離があるような気がするからだ。おそらく、本の帯を見たり、付属の解説文を見たり、あるいは冒頭を流し読みしたりしたときの印象は、読み通したときの感想とは異なっているはず。

・ゴシックホラーではない。
  重苦しくシリアスな物語に見えるが、暗い話ではない。明るいわけでもないけれど、ところどころにコミカルな部分があって、その印象も強い。
ファンタジー小説ではない。
  現実の地球での歴史事物につながるような言葉は注意深く排されている。だから異世界の話に見えなくもないけれど、でも、魔法や神々などが登場するわけでもない。
  超自然的な事象は出てこなくて、あくまでも現実的な摂理のなかで話が進行する。
・宮廷劇ではない。
  “城”とその支配者一族に焦点が当てられた話ではあるけれど、宮廷内の権力闘争を延々と描いているわけではない。
  たしかに主要人物のひとりには上昇志向の強い者がいて、その成り上がる過程が全体のプロットを引っ張ってはいる。
  しかし権力獲得に生のすべてを賭ける程こだわっているのは彼ぐらいのものである。
封建社会的な物語ではない。
  伝統を脈々と維持し続ける“城”は、一見、近代以前の因襲的社会のように見える。
  けれどもそれは表面的なところだけであって、登場人物のメンタリティやものの考え方は、実際のところ近代人と変わらない。

 ……たぶん、一作目の序盤は、誰にとってもかなり読みづらいものだと思う。実際ぼくが読んだときもそうだった。けれども、命名式のあたりで印象が変わり始め、火事のシーン以降で決定的に心を捉えられることに。二作目に入ると、一作目で蒔かれた種がすべて芽吹き、一瞬も目を離せぬ佳境の連続へと加速する。早朝の追跡劇や、落雷の衝撃、城を文字通り覆い尽くす最後の大異変。



2.
 そして何よりも、文章そのもののすばらしさについて書かないわけにはいかない。
 そもそもゴーメンガースト・シリーズを読もうと思ったきっかけは、ネット上のどこかで次の文章を目にしたことだった。――今、検索してみたら見当たらなかったので、残念なことにもう消えてしまったサイトかもしれない。だからあらためてここに銘記しておきたい。



足早に領域から領域へ、日の射さぬ路地の世界から鼠が誰はばかる事無く保有権を主張しているパノラマ並みの廃墟へ――廃墟から通路が下生えによってほとんど塞がれ彫刻を施された壁の面が海緑の蔦に覆われて冷え切っているかの奇妙な領域へ――移動しながらスティアパイクは狂喜した。総てに狂喜した。これら未開の地を探検する度胸のあるのが自分一人である事実に。自らの落ち着きの無さに、知性に、独裁的だろうとなかろうと最高の権力の手綱を我と我が手に収めようとの情熱に狂喜した。




 ぼくが最高度に心酔する小説翻訳者は、瀬田貞二黒丸尚浅羽莢子の3人で、この小説は、そのうちのひとりである浅羽莢子の翻訳によるものだ。上に引用した部分は、原文も充分にひねくれているのだが、浅羽莢子の訳によって輪を掛けて「濃い」文章となっている。このくだりは、ピーク節……というか浅羽節の最たるものだと思う。
 ただし、濃い文章ではあっても、決して意味が掴みづらいものではない。ここには、声に出して読んだときの気持ちよさのみならず、文字を目で追うときの視覚的刺激としての快楽があるように思う。漢字の比率が多く、読点が著しく少なく、それでいてなおリズムがあり、澱まぬフローがある。
 上述部は一例にすぎず、全編がこのようなトーンで綴られている。こうした言い回しが苦手な人にとってこの本は苦行でしかないだろうけれど、浅羽訳の中毒者であれば至福の連続のはず。

 それから、別の個所。ここは原文もまたすばらしい。

His future was ruptured. His years of self-advancement and intricate planning were as though they had never been. A red cloud filled his head. His body shuddered with a kind of lust. It was the lust for an unbridled evil. It was the glory of knowing himself to be pitted, openly, against the big battalions. Alone, loveless, vital, diabolic - a creature for whom compromise was no longer necessary, and intrigue was a dead letter.



 併記はしないけれど、もちろん翻訳文の方も非の打ち所がない。引用部最後の文は特に、英文も訳文も共に暗記して自分の心のフレーズに留めていたりする。……人生訓を謳うような名文とは真逆の破滅的な一文ではあるのだが。また、この一幕の間接的原因を成す言葉がある女の子によって発せられたシーンも、不可分の組み合わせとして同様に強い印象を残している。――けれどもそうやって抽出し始めていくと、きりがない。
 これらはまず第一に修辞の良さとして気に入っているのではあるけれど、しかし、文章を気に入っているということと、物語のシーンとして気に入っているということは、結局のところは同じことだとも思う。もちろんプロット自体も好きなのだが、それがどのような言い回しで描かれるのかという点も、物語の体験という意味では重要なのだ。








ゴーメンガースト (創元推理文庫―ゴーメンガースト3部作)

ゴーメンガースト (創元推理文庫―ゴーメンガースト3部作)

タイタス・アローン (創元推理文庫―ゴーメンガースト三部作)

タイタス・アローン (創元推理文庫―ゴーメンガースト三部作)






music log INDEX ::

A - B - C - D - E - F - G - H - I - J - K - L - M - N - O - P - Q - R - S - T - U - V - W - X - Y - Z - # - V.A.
“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell