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 中島義道 “カントの時間論”




カントの時間論 (岩波現代文庫)

カントの時間論 (岩波現代文庫)





  • 西洋哲学での時間論の二つの潮流:
    • #1 アリストテレス等 時間を外的物体の運動との連関で思索する道
    • #2 アウグスチヌス等 時間を記憶や予期や知覚などの「こころ」のあり方との連関で思索する道
  • カントの時間論にはこの二つが共に流れ込んでいる。
    :『物体の運動を可能にするような客観的時間がとりもなおさず私の「こころ」のあり方を決める時間である』



序章 問題の提起


[本書のテーマ]
 「自己触発」と「観念論論駁」を基軸に、時間構成の理論をとくに自己認識論との関係において展開すること。

  • 第二版刊行に至る主たる事情:
    • 伝統的観念論の否定
       超越論的観念論は外的現象と内的現象の二元論を認めるが、その内、前者が強調されるところが、伝統的観念論と異なる。
  • カントの時間論の基本構造:
    • 私は外的対象を時間において規定する(認識する)ことを通してはじめて、私自身を時間において規定できる
      →時間における自己規定以前に、時間がすでに外的対象を規定するものとして登場している。私は、自己規定を通して時間を構成するのではなく、逆に、外的対象を秩序づけるような時間の内に、はじめて自己を規定する。
       


第1章 時間を構成する作用としての〈われ思う〉



[主題]
 客観的時間の構成以前に私に与えられているもの、すなわち時間を構成する私の作用、ならびにこの作用と根源的に連関している私の現存在を考察。

  • 〈われ思う〉は、外的な対象構成および内的な対象構成の両方における開始点
    • 外的対象の構成:
      • 純粋統覚としての〈われ思う〉→みずからの内に外的対象を構成する条件(=客観的時間を構成する超越論的総合)を含むとき、「超越論的統覚」とみなされる(間主観的な認識に到達)
    • 内的経験(対象としての自己)の構成:
      • 自己意識としての〈われ思う〉→ #1「無規定的な思惟する知覚」と、#2「私の場所を常に〈ここ〉と定める特権的な身体」に関連するとき、〈われあり〉と捉えられる:→客観的時間の構成を通して、内的経験(対象としての自己)の構成:「自己認識


第2章 時間の経験的実在性(I)――時間構成と物体構成――



[主題]
 物体を秩序づける能力という観点から、時間の「経験的実在性」を明らかにする。
[展開]
 いかにして客観的時間が構成されるのか。
 キーワード:*外的世界において運動する物体*の構成

  • 内的感官の形式としての時間:
    • 自己意識のレベル:
      • *私の無規定的な現存在*に与えられている単なる先後系列。直接的かつ根源的に自己意識に関連して与えられる。相対的な先後系列
    • 自己認識のレベル:
      • 客観的に規定された内的な先後系列。
        *世界時間(「外的感官の形式」としての時間)の内に一定の長さを占める*私の規定された現存在*の客観的な先後系列
        外的世界の構成後に、超越論的総合作用によって、外的感官の形式としての時間(=外的世界の基本形式としての時間。世界時間。)を構成することを通してはじめて構成される。→外的認識と並んで内的認識(すなわち自己認識)が成立
  • 時間の両義性:
    • 時間とは、表象されるかぎり、空間とのアナロジーに基づき一本の線としてとらえられるが(「純粋直観」としての時間 )、他方われわれは、この空間化された時間が時間それ自体でないことも了解している(「内的感官の形式」としての時間 先後関係)。
  • しかし、
    本来的な意味における客観的時間(:「外的感官の形式」としての時間(外的世界を統一的に秩序づけることのできるような時間))の構成は、運動する諸物体との具体的連関を通してはじめて可能。
    • 時間は、運動するものに対しての不動の基準(運動の尺度)としてとらえられることによって現象を客観的に秩序づける能力を獲得。
        内的な流れとしての単なる先後系列 → 運動の秩序を直接表現するような先後系列
        (「内的感官の形式」としての時間  → 「外的感官の形式」としての時間 )
  • 以上により、時間の三様相が揃う。
    • 「持続性」 :時間それ自体を表現する様相。全自然の根底に存する持続する基体。
    • 「継起」  :先後関係。因果性のカテゴリーとの関係。変化との関係。
    • 「同時存在」:客観的な時間と運動する(外的)物体の動力学的な関係。それ自身の内にすでに外的な諸物体の秩序を含んでいるような時間様相。


第3章 時間の経験的実在性(II)――時間構成と自我構成――



[主題]
 私の諸状態を秩序づけ自己認識を成立させる能力という観点から、時間の「経験的実在性」を明らかにする。
[展開]
 これまでのところ、
 自我は、*客観的時間によって構成される自我*としてではなく、*客観的時間を構成する自我*としてとらえられている。
 [外的世界の主体としての自我] / [自我の客体としての外的世界] というこの二項対立のなかに、自らを対象として(客体として)認識する自我がどのように登場してくるのか。
 客観的時間はいかにして*対象としての自己*をその内に秩序づけることができるのか。
 キーワード:「観念論論駁」「自己触発」

  • 「観念論論駁」
    • 1. 私は、私の現存在を時間の内に規定されたものとして意識している。自己認識
       →「私の現存在は規定されている」とは、「私の現存在が時間において規定されている」ということを意味する。:カントの自己認識論の核心
    • 2. あらゆる時間規定は、知覚内に「持続するあるもの」を前提する
       →客観的時間は、持続するものをその基体として前提する*運動する物体の動力学*を算入して構成される
    • 3. だがこの持続するものは私の中に属するものではありえない。というのは、まさに*私の現存在*がこの持続するものによってはじめて時間の内に規定されうるからである。
       →このようにして構成された客観的時間は、外的世界の構成をその内に含むが、内的世界の構成を含むものではない。
    • 4. したがって、この*持続するもの*の知覚は、ただ私の外の物によってのみ可能であって、私の外の物についての単なる表象によって可能なのではない。
       →「私の外の物」/「私の外の物についての単なる表象」という区別
    • 5. したがって、私の現存在が時間の内に規定されることは、私が私の外に知覚する物の現存在によってのみ可能である。
  • 観念論論駁は、「私の現存在の無規定的な意識(自己意識)」/「私の現存在の規定的な意識(自己認識)」との区別のもとに成立している。
     あくまでも「 私の現存在の規定的な意識(自己認識)」が外的対象の現存在を証明する。
  • 私は具体的な外的世界の認識を通じてはじめて、私自身をこの具体的な私として認識できる
    :私があらかじめ構成した世界の中に、私自身の固有の世界が構成される。
  • では私はいかなる根拠に基づいて、私のさまざまな状態をそれぞれ客観的時間における正しい位置に秩序づけることができるのか。
  • 「自己触発」による
    • 私は〈物自体〉によって触発されて、世界時間を他の人々と同様に構成しそのことによって・つまりこうした私自身の構成作用によって触発されて、この世界時間のある特定部分を自分の時間として、他の人々と同様にでなく切り取り、そしてその内に私の特定の過去・特定の現在・特定の未来を秩序づける。
      私は、私の内的世界ですら外的世界を構成することを通して構成する (:内的世界と外的世界とのあいだの特有な不対等性)
    • あくまでも私は*外的世界を構成する*ことを通じて*内的世界を構成する*のであって、この逆ではない。
    • そして〈物自体〉からの触発はすなわち物質に根源的に内在する動力学的秩序からの触発であるので、内的客観的先後関係は任意ではありえない
  • 私の時間の構成とは;
    • 私が現存在するかぎり、私は時間を構成する作用自身として常に流れる現在に留まりつつ、〈物自体〉に触発されて客観的時間=世界時間を構成しつづけ、そして、まさにこの構成作用に触発されて、私の過去および私の未来、そしてさらにそこで私が私の過去や未来に出会う特権的な場所としての私の現在をも構成する。
  • 時間は現象から独立には構成されえず、諸物体と自我との不可分の関係を通してのみ構成されうる。
    時間構成とは、物体構成と自我構成とをその内に含まねばならず、まさにそのことによって、時間は物体と自我とを秩序づける能力として「経験的実在性」を獲得する。

第4章 時間の超越論的観念性



[主題]
 「アンチノミー」との関連で、時間の「超越論的観念性」の意味を考察。
[展開]
 時間の「超越論的観念性」は、時間とは結局のところ時間を構成する自我の作用から独立にはありえないという論点(第一アンチノミー)に行きつく。
 そしてさらに根源的には、「超越論的観念性」は、自由な人間の行為という端的に実在的なものから見返される(第三アンチノミー)。
 時間がいかに物理学を基礎づけ外的・内的世界を秩序づける能力をもとうとも(時間の経験的実在性)、時間は実在的な私の自由な行為を秩序づけることができないゆえに、観念的であるにすぎない(時間の超越論的観念性)。

  • 時間が経験的実在性を得るのは、時間が自分自身の内に(外的および内的)現象の秩序と同じ秩序を含みもっているから。
     そしてこの経験的実在性そのものが、超越論的視点からは観念性にほかならないと主張される。
     :cf. 第一アンチノミー
  • 第一アンチノミーにおいて究明された時間とは、過去時間である。
     客観的時間の構成とは、厳密に解すれば、過去時間の構成にほかならない。
  • 認識主観と行為主観の区別











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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell