タイムトラベルに「記述の確定」という概念を絡めた短編。
設定上のポイント
「願いが叶う」 | :二人の理論が食い違ったら、どちらが優勢なのか民意が判定する。 |
「確定記述」 | :整合性が必要。「辻褄を合わせなければならない」ということはコストとして捉えることができる。 |
「隙間理論」 | :「確定記述」の隙間に、記述されていない好きなことを埋められる技術。 |
……と書いてあらためて気付いたけど、日本語には、現在時制・過去時制というものはあっても未来時制というものがないようだ。
とはいえ、「二人はもっと深い仲になる」というのは明らかに未来について語っていることだと理解できたりはする。
[以下、ネタバレ含む]
「円城塔なのにわかりやすい」という感想をいくつか見たのだけど……そこまでわかりやすいかな?
いや、わかりやすいのは確かか。「たぶんこういうことを言おうとしてるんだろうな」というのはすぐわかるので。単純に季節を一個ずつ遡っていって1年前に戻ろうとしてるんだけど、実は一個ずつ遡ってるつもりが未来に進んでいました、と。
[←過去] | [未来→] | |||
こうしてるつもりだった | : | 春←夏←秋←冬← | 春 | |
でも実際はこうだった | : | 春 | →(夏→秋)→冬→(春→夏)→秋→(冬→春)→夏→(秋→冬)→春 |
でもよく読んでいくと、細かい叙述でひっかかる部分がある。「一つ前の春」「次の夏」とか。タイムトラベルを語るときの時制の問題・語用の困難。
あと最初よくわからなかったんだけど、個々の季節のなかでは時が過ぎてるよね?
『一つの冬を息をひそめてやり過ごす』p16
ある季節を最初から最後まで正順に過ごしたのち時間跳躍している、ということなのだろうか? たとえば、春[3月]→冬[12月→1月→2月]→秋[9月→10月→11月]→夏[6月→7月→8月]→… というように。
なんでわざわざこんなかたちで過去へ遡っているかというと、上述のトリック([春→冬]だと思ってたら[春→(夏→秋)→冬]だった)をやりたかったからではあるだろうけども。
過去へタイムトラベルするというとき、完全に逆順で時間を巻き戻し続けていくだけだと、過去に起こった出来事を“体験”することができない。過去跳躍した先の時点からある程度の時間を正順に過ごしてそれからまた過去へ跳躍、ってするなら、過去の客体的な出来事を体験できる。「時間を逆順そのままに体験する」っていうのは映像を逆回しで見るようなもので、過去遡行者は世界と相関することができない。
「時間」というのは不可逆に進行するものだけど、そこには「季節」とか「一日」というサイクルの要素が絡んでいる。
それって普段殊更に考えたりしないけど、よく考えると不思議なことでもある。なんでそうなってるんだろう、って。もし時間に循環要素がまったく絡まずただ線的に進行し続けるだけだったら、わたしたちの日常生活というのはどういうものになっていただろうか。
何らかのサイクルがあるからこそ、時間での位置を設定したり経過した量を測ったりすることができる。何も循環要素がなければ、タイムラインをひたすらカウントし続けて絶対位置だけを頼りに時間把握をしなければならない。……でも「カウント」することにも、何かのサイクル要素を使わないとならないよね? たとえば振り子だとか。もちろん、振り子だろうと惑星・恒星の周回運動だろうと時間から独立した完全なループではない。絶対時間の進行のなかでのいわば見せかけの円環であって、厳密にいえば螺旋のように進行しているものではある。でもそうやって「ループ」「同じことの繰り返し」だと扱われるものがなければ時間の進行を認識できない。そういう意味で「サイクル」と「不可逆進行」というのは、時間(という認識)を成り立たせるため互いに欠けることのできない基礎条件なのかもしれない。
SFマガジン2012年4月号収載
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