- 作者: 円城塔
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2015/09/17
- メディア: 単行本
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おもしろかった。
円城塔って、SFのひとつの先鋭地点だと思う。
あまりこういうことから書き始めない方がいいとわかりつつ、でも同時に、どこかでこれに関して自分の意見を明確にしておきたいと思ってることがある。
未だに続く伊藤計劃のトリビュート・フェア的な状況について。
これ、今もときどき話題になって是非が議論されてるのを目にするんだけど。(というかちょうど今現在まさにそんな状況のようで。)
俺自身に関して言えば、伊藤計劃をめぐる今の風潮にははっきりと辟易している。
伊藤計劃の意義は肯定してるしどちらかといえば好きな作家。でもなんでいつまでも日本SFが伊藤計劃に引きずられなければならないんだ、っていう思いがあって。それには、伊藤計劃という名で日本SFを語り続けようとしなくてもここには円城塔という現在形で進行し続ける作家がいるはずなのに、というやる方のなさも理由の中に含まれている。
……もちろん伊藤計劃と円城塔はぜんぜん違うスタイルの作家だし、円城塔の感想を語ろうとしてるのに伊藤計劃をめぐる状況へのdisが必要なのか、ってのはあるんだけど、円城塔は『屍者の帝国』という作品で伊藤計劃あるいは彼にまつわる風潮と分かちがたく結びついてしまっているので。
『屍者の帝国』は、作品内容自体はつまらない、というか円城塔の特長がまったくもって不完全燃焼、だけど円城塔による伊藤計劃の引き継ぎが「屍者の使役」という小説内アイデアの実践になっている、という作品外でのおもしろさには価値があるというのが私意。もうこのことが伊藤計劃トリビュート問題を総括し切ってしまってる、とも言えるぐらい。
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- 延々と続く伊藤計劃トリビュート問題、っていうのは結局のところ作家としての伊藤計劃の問題ではなく、日本SFの生存戦略の問題だとは思っている。伊藤計劃自身は単に完成されたオリジナル長編を2作品残しただけ、「これからを期待させる」という段階で去ってしまった作家であって、あらたな地平を切り拓いたというようなインパクトを残したほどには至っていない、との認識。そのような作家がなぜ今のような扱われ方をされるようになったのか、というのは別個の現象として考える必要がある。……というようなことも含めて批判も擁護もさんざん既出、ではあるのだろうけども。
- 延々と続く伊藤計劃トリビュート問題、っていうのは結局のところ作家としての伊藤計劃の問題ではなく、日本SFの生存戦略の問題だとは思っている。伊藤計劃自身は単に完成されたオリジナル長編を2作品残しただけ、「これからを期待させる」という段階で去ってしまった作家であって、あらたな地平を切り拓いたというようなインパクトを残したほどには至っていない、との認識。そのような作家がなぜ今のような扱われ方をされるようになったのか、というのは別個の現象として考える必要がある。……というようなことも含めて批判も擁護もさんざん既出、ではあるのだろうけども。
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で、円城塔の『エピローグ』について。
『屍者の帝国』以来となるこの長編小説は、いつまでも「伊藤計劃以後」なままの時代風潮(あるいは戦略)をさすがにそろそろ終わらせ、円城塔以前・以後という次なるピリオドを区切るだけの力量を持った作品だと言いたい。
こういう小説書けるのは円城塔ならではだし、真骨頂。同時代での才という意味でなら何よりもまず円城塔こそを称賛すべきだろう、と思うのだが、類例が容易に生まれるようなスタイルではないからこそ固有名を冠するブームになっていない、というのはあるのかも。
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- と言いつつ、チャールズ・ユウの『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』っていうのは円城塔と同じタイプのSFだったなー…とも思う。あれがあったから、『エピローグ』が円城塔の久しぶりの長編作品って感じがあんまりしなかったというのもある。
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概要
この小説の概要を説明するのは難しい。ただそれは円城塔作品全般に言えること。
ジャンル
とりあえずジャンルとしては、SF/ミステリー/ラブストーリー。……ジャンルというか、これらの形式が小説構造およびキャラクター構造に組み込まれている、というような。
より適切なジャンル区分としては、メタ・フィクション。
設定
退転。
OTC/オーバー・チューリング・クリーチャ。
OTC構成物質、スマート・マテリアル。
対記述戦闘。叙述兵器。
バージョン管理ソフトのバージョン管理。
EaaS/イグジステンス・アズ・ア・サービス。
OTC計算。
超OTC級/OOTC/オーバー・オーバー・チューリング・クリーチャ。
こうした単語と設定に胸が躍る。
メタ・フィクション
見かけ倒しの言葉や場面がそれっぽく翻弄してくるだけ、ってわけではなく。テーマに絡んで、考え抜かれて構築されてて。実によくできてる、という感嘆に見舞われること数度。
一見、何が何だかわからないし、途中でちょっと見失いかけるパートもあったりはしたんだけど、「記述」「物語」という事柄を枢要タームと見ながら再読すると意味が読み解ける。
スマート・マテリアルというのは、不可解な超越的テクノロジーの結果であると同時に、物語のご都合主義的な奇跡の力。
であればそれによってできた存在であるところのアラクネは、ストーリーラインを駆動・展開させる小説上の機能をそのまま体現したキャラクターでもあると取ることができるわけで。
あるいは連続殺人第五の事件。「ナイフの刺される順番や位置、深さなどが毎回異なる」という謎の繰り返し。結局これも「ストーリーライン」というテーマ概念に回帰して意味が通じる。
……こういうテーマにすると何でもありだよなー、ってのはあるし実際何でもありな世界を描く小説になってるんだけど、小説全体のストーリーラインはこのテーマできちんと成立している。
向かう先は、ストーリーとストーリーの関わり合い・鬩ぎ合い。ストーリーそのものが登場キャラクター、みたいな。SF/ミステリー/ラブストーリーの相関・相克という様相へ。
でも最終的にはラブストーリー、なんだろうなぁ……。
思えば円城塔は『Self-Reference ENGINE』のときからずっと、SFの見かけでラブストーリーを書いてきた人だった。
ハード理系かつ人文系教養も含む難解SF小説。なのにどこかロマンティシズムな香りが常に漂っているのは、紛れもなくラブストーリーとして書かれていたから、なのか。
だけどこの『エピローグ』を読んで、円城塔はラブストーリーそのものではなく、ラブストーリーの形式こそを好んでいるのかも、と思ったりした。
引用
随所に、たぶん元ネタを伴っているものなんだろうなとうっすら気付くような語句が出現する。
衒学的。
知っている人にはわかる、伝わる。知らない人は意味合いを読み込めないまま引っかかる、あるいはそのまま気付かず通り過ぎる。
元ネタを知らないと楽しめない部分があるのではないか、すべてを知らないとこの小説を理解したことにならないのでは、と思ってしまったりもする。
作者はすべてを知っているはずであり、それによって決定的優位の座に置かれる、とも見えるけれど、どっちかというと、隠れキャラ、みたいな程度に捉えておくべきものなのだろう。
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- 自分が発見できたかぎりでは、エーコ、ヴァーリイ、ストルガツキー、ネーゲル、ピンチョン、エーコ、パトナム、クンデラ、あたり。ブレードランナー/トップをねらえ、とか。黒い剣や龍玉は言うまでもなく。たぶんアゾートなんかも。
――どうしてもこれ、作者の知識範囲を示すものとなるし、それを記すことで読者の知識範囲を示すものにもなってしまう。(というか逆か?)
- 自分が発見できたかぎりでは、エーコ、ヴァーリイ、ストルガツキー、ネーゲル、ピンチョン、エーコ、パトナム、クンデラ、あたり。ブレードランナー/トップをねらえ、とか。黒い剣や龍玉は言うまでもなく。たぶんアゾートなんかも。
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ベスターとブレイクを明示した個所の周辺を見るかぎり、直截に気づきがたい引用の数々も小説の意図的な仕掛けのひとつではあるようなのだが……。つまりこの小説が外部宇宙に連なっているということを示すような。
とはいえこういう傾向もこの作品で初めてというわけではなく、円城塔の前からのスタイルではある。小説の語りと引用が完全に融合したテキストが醸すユーモアは円城塔独特。
とくにローグのくだりはおもしろかった。
文体
艦隊戦の記述とか、圧倒される。
SF小説っていうかむしろ純文学のような。
その巨体にナイフが、ノコギリが、ノミが、マチ針が、五寸釘が、ストーリーラインが突き立ち、兵装群から悲鳴の叫びが上がる。
でももっとあからさまにSF文体なところもあって、
「敵艦影、三。天頂方向より接近。ダミー放出。並列存在を開始。複雑性迷彩が起動しました。OTT実行。成功。成功。失敗。失敗。失敗。当該宙域には、法則69805f9944ed4298311d0cdaa75da2629d6f3bb3756455d504243f1a6c565f75が適用されていません。法の網を展開。ランドスケープを構築中。残り三十光秒。法則間の空隙を確認。敵性非存在は裂け目に法則を継ぎ足しています。展開中の宇宙の七二%を掌握されました。ワープドライブ起動。ダミー法則をインストール中。対忘却対改変防御実行。無効化成功の可能性は二七%」
このあたり、OTCによるOTC戦闘の描写/記述、という難業を表したテクストであると同時に、SF/サブカルで見られるクリシェの引用的記述でもあって。
「記述」と「物語」というテーマを文体レベルで表現するのがとても巧緻。†という凶器、とか。
あと、すごく理系志向な作家と見られがちだけど、文体表現が細やかで目を奪われるようなところが多々ある。