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 小山裕 “市民的自由主義の復権 ――シュミットからルーマンへ”






市民的自由主義の復権: シュミットからルーマンへ

市民的自由主義の復権: シュミットからルーマンへ






 「国家」や「政治」といったものを成り立たせるためにはどのような社会構造が必要となるのか。
 この問いに対してルーマンは「機能分化」という概念を提示した。本書は、ルーマンがこのような概念の提示に至った背景と動機を論じている。
 出発点としては、近代の国家類型であるところの「法治国家」、およびそこに伴われる「市民社会」「自由主義」といった概念。
 これらの概念が19世紀から現代に至るドイツでどのように語られてきたかという思想史を通じて、ルーマンの社会理論がシュミットへの対抗として形成され市民的自由主義の系譜に連なるものであることが示される。





1.

  • 軸としては大きくふたつある。
    • A. 法律実証主義への批判。
      • まずシュミットによっておこなわれた批判が採り上げられる。
        法治国家における実定法・成文憲法を成立させる諸前提を不問とする法律実証主義への批判;法律実証主義は、市民的法治国家の国制を成立させる現実的な政治的決断・「政治的なるもの」を軽視している。
        →この提議を受け、法治国家を成り立たせるものをどのように捉え理論化するかについてその後のドイツで議論されていく。
    • B. 全体主義への批判。
  • シュミット以後、同じように法律実証主義批判を動機としながらも全体主義へ帰結しない別のバージョンの模索として、次のふたつの方向が展開された。
    • 社会民主主義(ソーシャル, ソーシャル・デモクラシー) … ハーバーマス:社会構造は転換した、という認識。
    • 市民的自由主義(リベラル, リベラル・コンサバティブ) … ルーマン: シュミットとは別様に「政治的なるもの」の問題へアプローチした。→社会構造の理論化
  • 本書はこのふたつのバージョンの後者、ルーマンによる社会理論を扱っている。
  • キーワードとしては、
    • 機能分化
      • シュミットは19世紀の社会構造「国家と社会の区別」に対し、私的領域としての社会の自己組織化を通じた全面国家概念を展開。
        一方、ルーマンは「国家と社会の区別」という社会構造を「機能分化」と捉え直した。機能分化社会は、分化の解消すなわち「コミュニケーション領域全体の政治化」による全体主義化という危険を潜在的な問題として抱える。
        →全面的政治化を妨げるメカニズム・つまり機能分化という社会構造を維持する機能は何か。:権力分立と基本権という制度。
    • 二値コード
      • 政治構造を記述するにあたって、機能分化概念より具体的な道具立てとして示されるのが「二値コード」。
        • 否定という操作:[Aの否定] / [非A以外のAの否定]の否定
          ひとつの肯定に対して、そのつどひとつの代替案しか存在しない、という特徴。別様可能性の開示と限界付けの同時達成を可能とする構造。
        • 二値パラディクマ:[肯定/否定] は、第三値を排除する安定的パラディクマ。 →言語の対論的性質を表現し得る
      • 二値コード化によって、
        • 常に反駁可能性が保持され、合意が妨害される。→絶えざる対論:社会の進化。開かれた未来を可能にする。
        • どこかの時点で決断が必要となる。→議論の精緻化。
      • こうした社会構造によって、政治における討議が可能となる。
        静態的・位階的秩序像とは異なる動態的・民主的秩序像を考えるためのコミュニケーション概念。
      • 近代デモクラシー政治における具体的なコードとしては:[与党/野党] の区別という二値コード
        • これは [保守的/革新的] という区別よりも基底的であり、[上位権力/下位権力] という区別よりも安定的。(現行の統治の否定が政治システムそれ自体の崩壊に直結しない)
    • こうした政治理論によって、獲得された合意が無効化される可能性を常に孕みつつ、あらたな別の決定が繰り返し可能になるために幅広い選択を維持するという意味で未来の多様な可能性が開かれ続けることが示される。


2.
 ルーマンを扱う日本の書籍には、この本のように「ルーマンの社会理論にどういうバックグラウンドがあるのか・どのような動機に基づいて考察/展開されてきたものだったのか」という視点で書かれたものはあまりなかった気がする。また、「ルーマン保守主義テクノクラートと見られがちだ(けどそんなことはない)」…みたいによく言われるところを、ここではルーマンははっきりと自由主義保守主義(市民的自由主義)の系譜なんだと位置付けていて、それもめずらしいと思う。
 そもそも、ルーマンは社会理論の提示・社会の記述をおこなっているだけで社会がどうあるべきだみたいなことはあまり言ってない、ってこれまで思ってたんだけど、この本だと、全体主義への対抗として機能分化社会をルーマンが推していると読むことができて、そうしたところも新鮮だった。

いかに普遍的であることを標榜していたとしても、それが単なる人類学的・人間学的メカニズムだけでなく、ある歴史的経験の集積の理論化のために準備されたものであるならば、その形成過程それ自体の内にそうした経験に対する理論家自身の判断が刻み込まれる。
(はじめに)


 ルーマンに「べき論」のような規範的主張があるのかどうかについては、この本の注釈で触れられている井口暁『ルーマンの政治理論は何を目指したのか(上)』もおもしろかった。これはシュテファン・ランゲの論考『ニクラス・ルーマンの政治理論:国家社会の解明』を検討したもの。

ルーマンは、何らかの社会状態を「よりよいもの」とみなすことはしない、つまり「進歩」については論じないと明言しているにもかかわらず、実際には機能分化した社会を選好していなかったかどうかを検討してみる必要がある。
井口暁『ルーマンの政治理論は何を目指したのか(上)』 京都社会学年報第22号(2014)


 この論文の(下)がまだ読めてないんだけど……。




3.
 あと、注意点として。

『市民的自由主義復権』と題する本書は、しかし、市民的なるものや自由主義的なるものの擁護を目的に書かれたものではない。ましてや市民的自由主義というものに何か普遍的な価値を見出しうるという確信を著者が有しているわけではない。
(はじめに)


 これは筆者の序言ではあるけれど、わたし自身としても念のため同じことを言っておきたい。


 それと最後に。
 この本の論述展開そのものは明快なんだけど、誤植がけっこう多いのが気になった。


 






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―Angela Mitchell