全2巻完結。
ある日めざめると見知らぬ異空間にいて、そこから脱出しようとする……という系統の物語設定。
謎解きの試行錯誤がおこなわれるのは主に前半で、後半は世界の真相を知りそれに対抗していく展開へ移行する。状況の仕組み自体はわりとシンプルに解明されるし、そんなに込み入ったものでもない。テーマとして焦点が当たっているのは、後半での対抗行動とその帰結。
一般にこの種の‘異空間脱出物’では舞台の枠組そのものは強固で不動のまま残ることが多い気がするんだけど、この作品では、単に抵抗するだけにとどまらず構図を逆転させてしまうというのが大きな特徴であり、そこに魅力が集約されている。
逆転を成し遂げる要因はひとえに主人公の気質。それは下の台詞に象徴される。
この異世界は、彼女のキャラクターが最大限に活かされる構造を持っている。
主人公たちが閉じ込められたのは、無限に空間が続き、局所ループや超幾何学的な接続から成る迷宮。建物や家具・備品など現実世界のありふれた日常物を構成要素としてはいるものの、その組み合わせはシュールリアリスティック。現実の不完全な模倣、あるいは失敗作、といった風景に見える。
実際この空間は、異星知性体が地球を模してつくった空間に生じたバグのようなものなのだが、この「バグ」ということばが全体を通してキーワードとなっている。ゲーム会社でデバッガーとして働く主人公は、ゲーム仕様の穴を突く攻略を何よりも喜びとしており、そんな彼女にとってこの世界の探索は常に興奮を喚起する連続。裏世界の随所で見出される不備を絶妙に利用し、敵との応戦、重要アイテムの発見、そして支配関係の逆転へと進む。
作中で彼女は「現実社会には馴染めないが、既成概念にとらわれずシステムの穴を見通せる人間」と評されている。それは才能であり、欠点でもあると。だがこの異常世界では、異変を許容できず押しつけられた虚構をただ甘受している他の人々と違い、どんなときも合理的に思考し、選択肢を試し続ける彼女のようなタイプこそが状況を打開できる可能性を持っている。
この作品は「システムに閉じ込められ/そこから脱しようと試みる物語」のバリエーションのひとつではあるけれど、世界設定を主人公のキャラクター設定と特に密接に関連付けることで、明瞭なテーマ構造、印象に残る人物造形を描くことに成功していると思う。
その他メモ
- 爽やかでポジティブな雰囲気を感じさせる終わり方なんだけど、でも結局これってひきこもり的な状況でしかなかったりする。社会関係に開放された結末というわけではないので。
- この才能が現実社会でうまく開花する、という方向もあり得たはず。社会にもバグがありそれを利用して生き抜く/逆転する、というような。
- ただそういう展開はそれはそれで野暮になっていたとは思う。別に耽溺や社会的後退を肯定する物語があったっていいんだし。
- 社会性という水準では何も解決していない/むしろ否定してしまってるような結末であるにもかかわらず、爽快感・積極性を感じさせるのは、規範的期待と別に、作品構造・内的ロジックとしてきれいに成立しているからだと思う。
- 「主人公」というのももうひとつのキーワード。
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- 敵キャラがいて初めて主人公は輝く。
そう、だけどこの敵はあくまでも「敵キャラ」でしかない。言語コミュニケーションによって相関し影響し合うような他者ではない*1。
だとしても彼女は今後、飽きずにこの迷宮を遊び続けられるのだろうか、という疑問はある。世界にいくらでもバグが内包されていて際限なく探求を継続することができたって、やがてはそれ自体に倦むのではないのか*2。
ふつうに発想するならば、その次はもっと上位のバグへの挑戦、たとえば言語や認識の盲点といったまったく別の相に移行させたくなってくる。 - とはいえこうした疑問はやはり「社会的にのぞましいあり方」を規範的に前提するものであって、作中で「生き方」を自問する主人公にとって特段拘泥しなければならないものではないし、また、作品評価において不可分に考慮されなければならないものでもない。
- 敵キャラがいて初めて主人公は輝く。
- 建物や空間がわりと精確・丁寧に描かれている。
裏世界は構成要素を複製して組み合わせた世界なので現実の情景とは微妙に異なるところがあるけれど、個々の要素や全体のパースなどでおかしなところがなくて、そういったところが世界設定の説得力につながっている。
- サイドキャラクター庸子のキャラクター造形。
よき友人であり理解者。一度は外観が変容されながら結局は元の姿を自分の生き方として選び直すところなども好感を与えるものがあるんだけど、最終的に異世界を選ぶ主人公礼香とはまた違った角度で、やはり自己肯定を体現するキャラクターとして配置されている。