“シン・ゴジラ GODZILLA Resurgence”
総監督・脚本:庵野秀明
2016
もうちょっと時間をおいて、いろいろレビューみたり自分の思考を固めてから書こうと思ったけど、やっぱり新鮮なうちに書いておくことにする。
特撮怪獣映画として必見。
わたしはパトレイバー2でもワイバーンのところだけ何度も見返して楽しんでるようなタイプなので、会議室とか司令所とかで緊急事態への対応してるシーンだけで大満足。この映画、ほぼ全編そうした要素だけでできてるぐらいなので、至福の極み。怪獣映画と言いつつ、ほとんどは人間側、それもドラマや心情変化ではなく単なる「対処」のみを追っていくような。いやほんとにそれだけで、実は他に何もない映画って気もするんだけど、それで充分成り立ってる。(制作開始から撮影完了までかなり短期間という気がするんだけど、こういうあまり内面に踏み込むタイプの映画でなければ庵野もすぐ完成させられるんだなぁ…と思わざるを得ない。)
情報量が莫大で高密度。作中での状況、用語説明もそうだし、関連して必要となる現実の知識についても。
間延びした台詞はなく誰もが早口に発話し、場面展開もきわめてスピーディ、邦画としては比類なく効率的なテンポで進行。
邦画を洋画に比して卑下する必要はもうなくなったと言い切ってもよいかもしれない。これはハリウッドが自身の文法を維持するかぎり到達しないだろうタイプの映画だし、邦画のフォーマットでしか実現できなかった映画なのではないか。いや、誰でもつくれるわけではなくやはり庵野だから、ではあるかもしれないが……。
自分がこのような映画を求めていた、ということははっきり言える。そして、たぶん幅広く受けるだろう映画。
[以下はネタバレ含む]
政治性
- きわめて政治的な映画。
- 実際にああいった存在があらわれたときの現実的対応がどのようなものになるかを徹底的に検討してつくられている。
であればこそ、この映画について語ることは日本の政治体制や状況について語ることに等しくなっていく。
よくもわるくも現状を反映しており、その意味でも、今、見ておくべき映画。それによって現在自分がどのような時代に生きているのかを再確認することができる。
- 序盤のドタバタは、ちょっと誇張的ではあるもののいかにもありそうなことに見えるが、311での政局を思い起こすと、この映画のような事態が生じたときにはもっと違ったかたちでの混乱が生じることになるだろうとも思う。
- というかこの映画は非常に濃密なため、あたかもあらゆる角度から事態を描いているように見えるけどでも実際は描いていないものがいろいろある、ということをつい忘れそうになる。
たとえば政局や世論といったものも省かれた側にある。
- 東京以外の日本、というものも同様に省かれている。
- 東京以外、たとえば関西圏はおそらく無事で日常が継続していると思われるのだが、視野には入ってこない。
東日本大震災のときに関東と関西で温度差があったことをはっきり覚えているが、それをなぞっているようでもある。
世界/日本という対にされているのだけど、実はこの日本は東京しか含んでいないかのよう。(……ということの自己言及的な台詞が一応あったが。)
「日本」の映画であると同時に、「東京」の映画。
- 東京以外、たとえば関西圏はおそらく無事で日常が継続していると思われるのだが、視野には入ってこない。
- また、日本対ゴジラといっても、政府(選抜対策室含む)/官僚・公務員(自衛隊含む)/政権与党 …しか出てこないという限定もある。(不在の重要人物として、ゴジラの機構を研究した生物学者がいるが、彼はゴジラに対峙している人物とは言えない。)
- わたし自身の一応の結論では、この映画からは政治的バランスへの配慮を施そうという意思は感じられると判断しているけれど、制作側意図と別に、世の中でどういったものとして受け取られ使用されていくかは別の話でもある。
- 自分としては、この映画の表現としての面には熱狂するものの、主張や内容の面に対しては一定の距離を置いて見ているところ。ただしこの映画がもし問題を含んでいるとするならば、それは映画・制作側へ個別に帰責すべきものではなく現実の日本が持つ問題と考えるべきではあろう。
- 9条のせいでゴジラに対応できなくてどうこう、みたいなファナティックな内容になっていなかったことにはとりあえず安堵した。
一方、今の現実の政治状況は明確にその方向への変質を進行させている最中なので、それを描くことができていない点には諸々の限界が表れているとも言える。- むしろ9条ではなく緊急事態条項の方が潜勢的なトピックだという指摘はその通りだと思う。
- ゴジラ襲来が寓意であるとして、当たり前だがゴジラという表象では回収しきれないものがある。
ゴジラは一意的に何かに照応させられているものではなく、「原発」だったり「核兵器」だったりあるいは「津波」「災害」等々という複合的な寓意をまとめ上げる対象。
- それゆえに、映画全体として解釈を許容する幅が広い。この映画はさまざまな評論を喚起するだろうし、政治的文脈でも語られていくことは必至。
- その他のメモ
- 追記(観賞2回目)
描写
- 序盤〜前半はわりとギャグっぽいノリで進行する面もあるが、中盤の大破壊以降で完全に変転する。
(「新幹線/在来線爆弾」というのもまあ笑えるところではあるかもだが前半のカリカチュア的な笑いとは質が異なる)
- カヨコ・パタースンはなぁ……。意図はわからなくもないが、やはりこのキャラクターだけリアルから外れてる。リアルっていうか「それっぽさ」という水準においてもちょっとあり得ないというか。日米間のやり取りを日本語でおこなわせるという作劇上の都合とも言えるし……。実は批判を集中させる意図的瑕疵としての機能?と思ってあげたくなるぐらいに浮いている。
制作過程なんかみると、官僚やら自衛隊やらの実際の会話を録音してリサーチ重ねた、みたいに書いてあって、だから主要キャラクターたちの言動はすっきりくるものがあったんだけど、この人物の造形に際してはそうした方法は適用していないだろう。モデルすらいない。この人物だけファンタジー的位置付けと見ることができる。
- 自分は見過ごしてしまったのだけど、スタッフロールに枝野幸男と小池百合子がクレジットされているとのこと。枝野は必須として、防衛相経験者であれば東日本大震災時の自衛隊運用当事者としてやはり北澤俊美なのではと思うところ。余貴美子を配役に決めたあとに取材対象として選んだということなのかもしれないが。余貴美子は外事警察での官房長官もそうだけど、ああいう役は嵌まるイメージがある。というかそもそも外事警察のあのキャラクター自体が小池百合子モデルだよねたぶん?
- ともあれ全体的に配役はかなり納得いく。配役というか演技・演出がうまくいっているということでもあるのだろうけれども。
- 肝心のゴジラについては、初発公開時点のビジュアルが放つ禍々しさで既に自分のなかでは合格ラインに達していたが、実際見てみるとさらなる衝撃がいろいろあり。第1形態はもう完全に前座の別怪獣だとばかりミスリードさせられたなー・・。
そして大破壊シーン。これは想像を完全に超過していた。
最後のショットも完璧と言っていいだろう。
IMDb:http://www.imdb.com/title/tt4262980/