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 得能正太郎 “NEW GAME!”






NEW GAME! (1) (まんがタイムKRコミックス) NEW GAME! (2) (まんがタイムKRコミックス) NEW GAME! (3) (まんがタイムKRコミックス) NEW GAME! (4) (まんがタイムKRコミックス) NEW GAME! (5) -THE SPINOFF! - (まんがタイムKRコミックス)






7月に始まったアニメの原作。現在5巻まで出てる。
巻末に組織表が記載されるようなタイプの漫画。
1巻の表と3巻の表とではキャラクターたちの位置も異なり、仕事における互いの関係や役割が少しずつ変化していく様子が見てとれる。
成長物語。
主人公である涼風青葉の。
そして他の登場人物たちの。滝本ひふみ、桜ねね。なかでも特に、八神コウの。
青葉と八神の間柄は非常に良く描けている。――いや、他のキャラクターたち、ひふみ と八神、ゆん と はじめ、りん と八神、うみこ と ねね ……などのそれぞれの間でもだんだん奥深さが現れてくるのだが、やはり青葉と八神という対照はこの漫画のひとつの軸を成している。



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 NEW GAME! 1巻p119, 3巻p119
 (C) 2015, 2016 Shotaro Tokuno


4コマギャグ漫画という形式ではあるものの、大枠としては時系列に沿ってストーリーが進展。巻を重ねるにつれ次第にシリアス成分も増えていく面もある。
「シリアス」というのは、仕事あるいはクリエイティビティというものに対して真摯に接している、という意味で。
2巻における青葉と ねね のちょっとしたすれ違いはまだ片鱗。
3巻にはそれまでのほのぼのした雰囲気に陰りを落とす瞬間が訪れて、青葉を、そして読み手を少なからずうろたえさせてしまう。
4巻はさらに急変とも言えるほどの転換を遂げ、青葉の境遇とストーリーは一気に真剣なモードへ移行する。
それらは決して危機や破滅といった種類のものではなく、こういったキャリアで当然直面するような試練・克服されるべき壁といった事柄で、つまりは成長の過程に他ならない。





雑感


成長の物語

 「物語というものは登場人物の成長を描かなければならない」という主張を見かけることがある。ある物語が「うまく描けている/描けていない」という議論がそうした規準に基づいておこなわれていたりする。物語のひとつのジャンルとしてそういう形式(ビルドゥングス・ロマン)があるというのはわかるとしても、すべての物語が登場人物の成長を描くべきであるみたいに主張されると、そんな狭い定義に押し込める必要はぜんぜんないよな……と常々思う。*1
 「成長」しない物語なんて無数に存在すると思うけれど、一例を挙げるなら、筒井康隆の『敵』という小説。これは成長の対極、すなわち「老い」というものを描いていて、死に向かって財も知性も活力も減退していく様子を追った作品。「成長」を描けていないから物語として失敗しているのかというとそんなことはまったくなく、それどころか、成長を正面から否定するような作品であるからこそこれだけ真に迫る訴求を実現しているといった感じがある。
 成長の果てにたどりつくこのような容赦ない境地を描く方がよっぽど現実を表現できているのではないかと思わなくもないのだが、結局のところ「成長」が目的として掲げられ肯定的に扱われるのは、「成長」が疑いなく自明に期待される環境が前提にあってこそなのだろう。たとえば幼少期〜就学期間という生物的成長の途上なんてものはまさにそうしたところだ。


社会人の成長


 そういった意味で、『NEW GAME!』のような「仕事もの」の作品にも成長物語の形式が適しているというのはあるのかもしれない。「社会人」というものも、年数に応じて経験が蓄積し方法に習熟していくような、成長と密接に結びついて語られるカテゴリーなわけだから。
 『NEW GAME!』の場合では、最初はオフィスからトイレへ行って帰ってくるといったことすらできなかったのに、名刺交換の仕方や立替払いでの買い物を覚え、忘年会の幹事を任される、というように、仕事上の決まりごとを徐々に覚えていく姿が描かれる。技量面でも、3Dソフトの教本を何ページか読むだけだった段階から、NPC1体を何日で完成させられるかというノルマ、キャラクターデザインを任されて完遂させる、といった感じでやれることがだんだん増えていく。また、仕事上接する人が拡大(同じブースの人から、他のセクション、さらにディレクターやパブリッシャーへ)していくことも、社会人としての経年を示している。
 『NEW GAME!』の時系列に沿った展開は、そのように仕事における主人公の成長をきれいになぞっている。入退室手順なんかは最初はとまどうけれど一瞬で習得できること。巻の進展に伴って青葉が身につけていくのは、作業時間のマネジメントだったり、リソースの適切な配分だったりと、より高度な事柄になっていく。
 こうしたスキルアップの過程は、どういった方向を目指しているのか。子どもから大人への成長と違って、大人になってからの成長というものには、何になりたいか・どのような自分になりたいのかという自発的な問いが不可欠で、その模索が成長の過程に含まれてくる。そうした点では、先駆者、憧れの先輩といったものが「成長」の物語に寄与するところは大きいのだろう。青葉にとってはそれが八神コウに他ならない。

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 NEW GAME! 1巻p52, 4巻p10, p95
 (C) 2015, 2016 Shotaro Tokuno


成長の実際


 とはいっても、ではそのように単線的な成長イメージが社会人一般に適用可能なのかというと必ずしもそうではないはず。研修を経て徐々に仕事を覚え、やがてひとりで仕事をこなすようになる――という過程を世の中のみんながたどるわけではない。安定雇用の正規社員でもなく専門職でもない場合に、技量やキャリアの進歩といった事柄は疑いなく肯定される価値なのかどうか。もし仕事への習熟が自己肯定やポジションへの反映につながりようがない職環境なら、「成長」とは異なる概念の方が状況を表すのに適していたりするかもしれない。そもそもゲーム業界というところだって、理想的に成長を達成できる世界なのかというと微妙だ。成長することと反駁しかねない労働環境上のさまざまな問題を抱えた面も大きい気がするし……。
 それに、ある程度年数が経った社会人というものは本当はそんなに成長などしないのでは、と思うこともある。終身雇用の年功序列だと勤続年数につれてだんだん経験を積む一方というイメージが一般にありそうなのだが、実際は年齢を重ねると以前の経験をけっこう忘れていくというのもあるのではないかという気がする。世の中はどんどん新しくなっていくので技術や知識を常に吸収しなければならないとして、失っていく経験・記憶と、アップデートを常におこない続けていくことの差し引きで、いったいどれだけ総量が増えているものなのか。人間の記憶容量が年齢に応じて拡大していくわけではない以上、知識や技量がより洗練され無駄が省かれていくというのでないかぎり、生物的なピーク時点以後に人間はそうそう成長しなかったりするんじゃないだろうか、と。
 ――もちろん、伝統工芸のように限定された範囲なら身体の限界にあまり左右されず単線的成長が望めるのかもしれないし、地位や役割、権限の増加といった外的な諸々の積み重ねだって成長成果に含むべきことなのかもしれないから、社会人や仕事に成長なんて本当はないんだ、なんていうのは言い過ぎになってしまう。
 けれども、だれもが成長を実感しながら生きているのかというとそれもどうなのか。
 なんとなく「成長」という概念には、自明に目指すもの・自然に追求すべきものという意味合いが含まれつつ、その一方で、実際に達成されるかどうかにかかわらず強迫観念のごとくつきまとう束縛的な性格の両面があって、そのあたりが「物語は成長を描かなくてはならない」という規範的主張につながっている気がする。


作品という成果


 『NEW GAME!』は理想的に描かれすぎている、というのはそのとおりだと思う。現実はもっとつらい、とか、あんなになごやかじゃない、とか、女性しか出てこないのは不自然、とか――そういうのを作者が無自覚に描いてるわけではないにせよ、いろいろ切り捨てて表現しているのはたしかだろう。
 『NEW GAME!』がなぜ成長物語として成り立っているのかというのには、「仕事」「社会人」という側面のみならず、クリエイティブ業界であることも大きいのかなと思ったりもする。仮に労働環境の実態がブラックで、『NEW GAME!』に描かれている「仕事」「社会人」の面が理想的なものにすぎなくても、何らかの「作品」が残るというのはこの業界の揺るぎない事実としてある。そしてそのように残る作品は、自分が何を成し遂げたのかを確認できる重要なマイルストーンだ。
 NPC1体をつくり、モーション班が初めてそこに動きをつけてくれたとき、ゲーム試作環境で他のキャラといっしょに動いている姿を見たとき、そして発売され、店頭で販売が始まるのを見たとき。
 少しずつかたちになっていく過程の各局面と、最終的な完成形。

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 NEW GAME! 1巻p98
 (C) 2015 Shotaro Tokuno

 自分のスキルが向上しているのかどうかというのは、なかなか確認しがたい。自分のやれることがどこまで広がっているのかというのも、あらためて把握しようとすると意外に難しい。本当に成長できているのかという惑いは常に伴われる。
 そうしたときに、過去の路程がかたちある成果として目に見えるようになっていることは、自己を見定めるための具体的な手がかりとして働く(それが何かしら反省を含むものではあるだろうとしても)。だからこそ八神コウは自席にフェアリーズストーリーのポスターを貼るわけだ。それは他のキャラクター、りん・はじめ・ゆん・うみこ のデスクと比べたときの大きな違いでもある。この4人が作品ではなく趣味や思い出といったものでデスクを飾っているのは興味深い(りん は作品+思い出か)。青葉のデスクはいまのところプレーンなものとして描かれているけれど、今後おそらく八神と同様に、手がけた作品の軌跡を増やしていくのだろう。


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 NEW GAME! 2巻p19, 1巻p18, 2巻p30
 (C) 2015 Shotaro Tokuno


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 NEW GAME! 4巻p107
 (C) 2016 Shotaro Tokuno



 たぶん重要なのは作品をつくり続けていくということ。
 それは成長という不明瞭でときに強迫的になるものに迷わされないための、ひとつのたしかな道なのだと思う。




その他

  • 5巻はスピンオフなんだけど、予想外に良かった。
  • 女性しか出てこない。男性がほぼ出てこない。
    • 休みの日、父親に似ていると言われるところは象徴的なところではある。
  • 作品内作品の説得力。
    女王のキャラデザとか、キービジュアルの青葉案と八神案の対比とか。




*1:同様に、「〈人間〉を描けていなければならない」という類例もある。〈成長〉であれ〈人間〉であれ、「物語は〇〇を描かなければならない」という限定的主張の問題。






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―Angela Mitchell