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 “アイ・イン・ザ・スカイ”






“Eye in the Sky”
 Director : Gavin Hood
 UK, 2015





 軍事用ドローン(UAV)を題材にした映画も、めずらしいものではなくなり始めている。ゲームプレイ的な遠隔操縦による標的攻撃の理不尽、操縦者の心理的葛藤やPTSDといった問題は既に充分描かれているし、映画としては少しでも何か歩みを進めた点がないと目新しく映らない段階に入っている感じがある。
 この『アイ・イン・ザ・スカイ』は、これまでドローン操縦者にスポットが当たりがちだったところを、より広範な関与者全般に対象を広げ、軍事作戦の意思決定に関わる群像劇として描いている。いわゆる「会議室映画」なのだけど、関係者がグローバルに散らばっているのが特徴。同一の作戦にさまざまなかたちで関わる人々が、距離も時差も超え遠隔通信・映像共有でリアルタイムに作戦を実行する。
 また、イギリス映画だという点も特筆すべきところ。ドローンによる攻撃作戦はアメリカが圧倒的に多数おこなっていて、その是非をめぐる議論やフィクションでの題材化も必然的にアメリカでのものに偏っていたと思うのだが、この映画はそれらとは異なるオルタナティヴな視点になり得ている。




概要


 イギリス/アメリカ/ケニアによる共同作戦。
 当初の目的は最重要テロ容疑者の捕獲だったが、作中での予期せぬ状況推移により殺害へ変更。
 長距離・多国籍の指令系統でおこなわれるオペレーションで、描写される場所は1万km以上に及ぶ距離範囲で散在している。

作戦サイトケニア - ナイロビ - ソマリア人居住エリア
イギリス軍・常設統合司令部:イギリス - ノースウッド
イギリス政府・内閣府緊急対策室(COBRA:イギリス - ロンドン
アメリカ軍・UAV操縦拠点 …クリーチ空軍基地アメリカ - ネバダ
アメリカ軍・映像解析チーム …太平洋統合情報センター アメリカ - ハワイ
ケニア軍・強襲部隊待機ポイントケニア - ナイロビ市内
 またこれらとは別に上層の稟議先として、遊説中のイギリス首相(イギリス-ストラトフォード)、外遊中のイギリス外相(シンガポール)、アメリ国務長官(中国-北京)、ホワイトハウス内の大統領上級顧問(アメリカ-ワシントン)が関わり、やはり地理的に離散して配置されている。



会議室映画


 軍事的・政治的なディテールとしてはおそらく細かな突っ込み所があり得るとしても、まったく荒唐無稽で何もかもフィクショナルというレベルではないし、リアリティとしては適度と思う。そもそもそういうことを期待すべき映画でもない。
 ドローン作戦にまつわる倫理的問題がテーマに置かれてはいるが、映画としての見所は会議室的やり取りでのコミュニケーションや逡巡にある。このような条件・セッティングが与えられたときに立場や役割が異なる集団がどのようなコミュニケーションを経てひとつの決定に至るのか、決定根拠に何が用いられ、責任を誰がどう取ろうとするのか、という映画。



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倫理的テーマ

ロッコ問題


 ここで提示されているテーマはドローン作戦に関わる既知の問題で、「テロでの大量殺人を防ぐためにひとりの無垢な民間人を犠牲にしてよいのか」というもの。いわゆる「トロッコ問題」。これは「まだ行なわれていない大量殺人を企てる者を先制攻撃し暗殺してよいのか」とも置き換えられる。
 映画内ではさらに、「場所は非交戦状態の友好国」「対象テロリストは宗教過激派に感化されたイギリス・アメリカ国民」という状況が付け加えられていて、政治的・倫理的なファクターが増えている。状況設定としては現実でも充分起こり得るようなもの。(cf. “the White Widow” https://en.wikipedia.org/wiki/Samantha_Lewthwaite
 こういった状況に不可欠な概念「コラテラル・ダメージ」は当然この映画でも重要トピックとして触れられ、付随的被害推定(CDE: Collateral Damage Estimation)によって決定根拠を得ようとする様子が描かれる。

止められない連鎖

 作中ではこのトロッコ問題を解決すべく現場潜入者が機転を利かせて子どもを救おうとする局面があるけれど、あれが仮に成功してハッピーエンドになったところでテーマ上は何の解決にもならない。だからあのようなラストになるのは必然ではある。
 ラストは単に悲劇であるにとどまらず、ぼかした描き方ではあるものの、あらたな志願者化も示唆している。冒頭で勉強させているシーンは原理主義の女性教育タブーから距離を置いていることを表していて、テロリストを「狂信者」と呼ぶ発言も出ている。そのような人物が最後は民兵に病院への搬送を依頼しその後悲嘆するシーンが描かれるのは、あえて世俗的人物を悲劇に据えることで、テロリストが宗教のみを源泉として生まれるものではないことを言おうとしているわけだ。
 要するに上述のトロッコ問題には続きがあって、「テロを阻止することでさらに過激なテロを生んでもよいのか」という問題が連なってくる。ドローンによる “War on Terror” が止むことなく続くのは、結局これらの問いに対し是と答える考え方が政策を主導するためで、テロを続かせる連鎖がCDE計算のような決定根拠付けから除外されているからでもある。

比較視点

 トロッコ問題的なものは、フィクション作品だとか思考実験では「答がない」「難しい問題」とまとめられ終わってしまいがちなところ、実際の局面では何らかのかたちで答えなければならない/答えることが強いられるものでもあったりする。
 こういった問題形式設定で注意しなければならないのは、そこに出てこない他の条件や派生的問題が関わっている可能性が隠されてしまうことだろう。現実の状況下では、問われている事態がトロッコ問題なのかどうか(=ほんとうにその選択肢しかないのか)知ることはできない。にもかかわらずこの形式で事態が括られると、二者択一的に決定が強制されてしまう。
 この種の問題形式に対しては、選ぶべき答が何なのかを直接考えるよりも、顕在的および潜在的にどのような答のバリエーションがあり、それぞれを選択する者がどのような立場でどういった影響力を持っているのか、その布置の状況を知ることの方が重要かもしれない。
 という意味で、考え方・描写の仕方を比較できる視座があるならば有意義。そしてこの映画では、イギリスとアメリカの違いが意識されて表現されているように見える。
 特に上位意思決定者。アメリカ側は国務長官も大統領法律顧問もまったくためらわず強行的選択を即断、それに対してイギリス側は迷いや優柔が露呈し責任回避的な台詞も発せられる。アメリカ側も実務レベルの兵士には倫理的な揺れも表現されているが、上層はまったく非情に描かれている。しかしイギリス側は、法的妥当性や世論を意識したものではあれ、まだ為政者にもジレンマに苦悩し躊躇する余地が残されているような描かれ方だ。このあたりは、実際にどうなのかというより、そうあってほしい・そうあるべきだ、という制作者側の考えが表れたものなのだろう。
 2014年のアメリカ映画『ドローン・オブ・ウォー』だと「特徴識別攻撃(signature strikes)」というもっとえげつない作戦が描かれ、民間人を含んだ攻撃が容赦なく繰り返されていたことを考えると、『アイ・イン・ザ・スカイ』での問題設定は緩く映る面もある。でも、このレベルの「初歩的な」ジレンマで悩む姿というのは、倫理面で麻痺し諦めきってしまっているような状況に比べほんとうはまだわずかに健全かもしれない。(ただし一方でせっかく導入された「自国民」というファクターの方は、イギリス軍による作戦主導の理由付けのみで、問題としては考慮されていないが)
 「現代の新しい戦争」を描く上でドローンという題材はますます欠かせないものになっていくだろうけれど、先行作品との差別化に当たっては過激な問題設定をエスカレートしていく方法がすべてではなく、コンベンショナルな問題設定でも切り口次第で映画の作品性は成り立つはずだと思う。この映画はかならずしもテーマ描写で圧倒的にすぐれているわけではないけれど、わずかでも異なる価値観を持った立場から表現された作品を見る体験として価値がある。



その他

  • 作中では攻撃判断をめぐり倫理的葛藤が表出するわけだけど、こうした問題はおそらく近い将来、AIによる判断で抹消されていくのだろう。
    その導入是非について議論が起ころうとも、結局は不可避な流れだと思う。行き着く先はターミネーター的世界で、もうそれはありきたりなフィクションと斥けてもいられない現実性を帯び始めている。
    ただ、そのレベルのAIが席巻する未来では問題はもはや軍事分野に限った話ではなくなっているはずなので、帰結は予想しようもないというのが実際のところなのかもしれないが……。
  • 当初構想されていた作品タイトルは “Kill Chain”。
    この種の作戦における意思決定手続を指す軍事用語。
  • 作中での倫理的葛藤を強調する上での映画表現の文法がいろいろある。
     ・ベンソン中将が子どもへのプレゼントを選び持って帰るところ
     ・作戦後にパウエル大佐が雨の中を運転するところ
    表現としてわりと明確。パンがなかなか売り切れないことやゲーム機に興味を持って近づく少年とかも、作中での必然的因果として起こるというより、物語表現を成り立たせて鑑賞者にどのように見ればよいのか指示する必要要素として配置されていることが見てて感じられる。映画構成要素としての機能性という点ではBGMと等価。
  • 全般的にイギリス人/アメリカ人という登場人物の対比で発音の違いが目立つこともあって、イギリス英語が堪能できる映画。特にアラン・リックマンとモニカ・ドランはいかにもブリティッシュという印象が強く残る。アラン・リックマンはこれが最後の作品となったが、ああいうくどくて濃い演技は個人的に好きで、この映画でも適役だったと思う。

 






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―Angela Mitchell