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 西村清和 “イメージの修辞学 ――ことばと形象の交叉” [新装版]






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 主に「イメージ」を対象とした物語論の本。
 ことばとイメージにどのような関係があるかについて原理的な問題を整理した上で、イメージを扱うメディアの中から絵画・映画・挿絵を挙げて、ナラトロジーの観点から見たそれぞれの「語り」の特徴を論じる。

 ナラトロジーがどうしても文学・小説に偏ってしまうところ、とくに絵画で物語を語る技法について豊富な図版とともにわかりやすく説明されていて、貴重。

 ことばを用いた小説と違って、映画や絵画は時間継起の因果連関に基づく構造を持っていない。
 しかし映画や絵画にナラトロジーの概念が適用できないわけではない。語りが情報をどのように統御しているかという点に着目するナラトロジーの考え方は映画や絵画にも通じる、というのがこの本で示されている。





 当然、漫画やアニメへもこうした考え方は拡張できるはず。この本ではそこまでは展開されていない。
 読んでいて思ったことをいくつかメモ。

  • 物語世界内の特定の存在にしか見えない視界、という描写について。
    • 非現実的な事象を扱うSFやファンタジーの作品では、ある能力を持った存在にしか見えない光景というものが描写されることがある。
    • ところで、超能力者が出てくる描画物語の場合、基本的に超能力が見える視界を前提として描写されることがほとんどだと思う。非-能力者から見た視界は、超能力が物語に導入される最初期や、一般への影響を説明する際などで稀に用いられるだけ。
    • 一方で機械的視界の場合、作品を通じて描写が支配的であるということはほとんどなくて、ごくたまにアクセントのように挿入されるといったかたちを取ることが多い。
      たとえば漫画版『BLAME!』では、物語のほとんどは霧亥の単独行程に随伴しているのに、漫画としては霧亥の機械の視点が常に描写されるということはおこなわれていない。あるいは同じ弐瓶勉の『人形の国』はもっと顕著で、主人公は「人形」への変身後、全面的機械視覚に移行していると思われるのに、漫画としてはその描写は限定的で、その後の戦闘はほとんど非-機械的視覚で描写されていく。
    • この語り分けは何か。
      超能力は常に見えるように描写される、一方、機械の視界は通常は描写されない、という違い。
      こうした話も基本的にはナラトロジーに関わるものだと思う。
       
    • そもそもこの超能力が見える/見えないという話も、フィクション史で最初から自明にあったものではなくて、一説にはジョジョのスタンド以降広く一般化されたものと言われていたりする。起源はともかく、超能力というフィクションの人気テーマがいつからかそのように「見える/見えない」という区別を伴うものになったことは、特に映画や漫画といったイメージによるフィクションでの「語り方」の問題へ影響を及ぼしたと思う。
  • 絵画において観者を物語世界へ関与させる「代理人」のモチーフ
    • 建築パースにおける添景としての人物配置もこうした考え方に連なる機能を持っている気がする。




[以下、第I部〜第III部についてメモ]


第I部 ことばとイメージ

  • ことばを理解することは必ずしもイメージを想起する心的過程ではないが、イメージは独自のやり方で理解に寄与している。
  • 隠喩を単に言語的な現象ではなくあらたな世界認識と見るのは誤りで、隠喩とは徹頭徹尾言語的現象である。
  • ことばとイメージをめぐる議論に見られる混乱:ことばの意味を、ことばが喚起する心的イメージと等置し、心的イメージを知覚イメージあるいは絵画的表象と等置する伝統的な意味論の混乱に根ざしている。


第II部 小説の映画化

小説の言語と映画の映像という異なったメディア・記号体系の語りの違いや、それがもたらす意味作用やイメージ形成の異同について。
小説と映画の語りの違いを、「語りの態(語り手)」や「語りのモード(叙法)」に関して考察する。

  • ナラトロジーで混同されがちな重要な区別
    • 「物語内容(story)」と「物語言説(discourse)」の区別
    • 誰の声が語るのかという「態」の問題というよりも、どの視点から語るのかという「叙法」の問題。(物語を語る際の物語情報の制御の様態)
  • 映画における語りの叙法
    • 言語テクストの「物語」には、物語言説の語りの時間とは別に、語られた継起的なできごとの因果的論理性にもとづく物語世界内の時間がある。
      一方、映像はすべての細部が同時的に与えられている描画のメディアであり、それ自体では物語を成す因果的論理性を呈示せず、観者を時間的に統御するテクストの構造を持たない。
    • 各ショットをひとつのつながりに接続する方法としてのモンタージュが映画的言説の文法として開発されるようになって、映像は単なる描写ではなく物語言説となり、映画独自の物語を語るようになる。
      さまざまなカメラ・アングルやカッティング、クロース・アップやワイプといったカメラ・テクニックは、多様なショットを提供し、こうして得られたショットをモンタージュによってつなぎ合わせることで、映画は物語を語る。これらこそが映画における語りの叙法。
  • 小説の描写は、画像のような知覚的な豊かさには至らないが、一義的に明確で固定されている。
    映画の描写は、一義的な名指し以前の知覚的な細部に満ちている。しかしその意味は固定していない。
  • 映画はモンタージュ導入以来、映像の文法として、さまざまな時間を見せるための一定の時制を開発してきた。
    • 二重露出やフラッシュ・バックは、映画の過去時制の一例。
      映画には現在時制しかないなどということはない。とはいえ小説にはない歴然とした限界もある。
  • カメラは「目撃者」なのか「語り手」なのか。
    • 語り手は物語世界の「報告者」であって、目撃する「観察者」ではない。物語ることは、見る行為ではなく、呈示・再現の行為。
      語り手は発話した声の起源である人格存在と捉えるのではなく、テクスト内に存在する物語言説の一構成要素と考えるべきである。
      カメラは映像を提供する装置にすぎず、「語り手」ではない。


  • ナラトロジーにおける語りの視点
    • 1. 〈全知〉の視点  :語り手>作中人物 古典的小説。物語世界外に立ち、内面も含めすべてを見通す超越的位置にある語りの視点。
    • 2. 〈情況〉の視点  :特定の人物の視点に立たないが、世界の特定の位置に投錨されている。
    • 3. 〈ともにある〉視点:語り手=作中人物 近代小説。特定の人物が世界を経験する通りに語る。知識の制約。内面のリアリティ。
    • 4. 〈外部から〉の視点:語り手<作中人物 ハードボイルド的な客観的・行動主義的叙述法。内面を記述しない。謎を語るのに適している。


  • 映画の場合の語りの視点
            • カメラは〈全知〉の視点のように見えるが、そう単純な話ではない。肉眼の視点と語りの視点(できごとをどの位置・誰の位置から把握し理解するか)との区別が重要。
    • 1. 〈全知〉の視点・〈情況〉の視点
          • 映画は演劇とは違う。演劇は俳優によって語られるテクストによって特徴付けられ、観客席も含め〈全知〉の視点に置かれている。
            一方、映画は日常自然の世界であり、その都度現前する世界の不透明で不確かな情況に巻き込まれている。
            映画は古典的な〈全知〉の視点というより、むしろ〈情況〉の視点と〈ともにある〉視点を基調とする近代小説の語りに近い。
            映画にも全景ショットや、アイロニカルなコメンタリーなど〈全知〉の視点はないわけではないが、基本的には肉眼と同様に世界を超越せず物理的に世界のどこかに位置を占めている〈情況〉の視点を取る。
    • 2. 〈ともにある〉視点
          • 主観カメラ・視点ショット、劇的クロース・アップ、カット・バックによる内面描写。
            カメラは登場人物を常に三人称的に観客に見せる。
            映画では三人称の〈ともにある〉視点が基本であるからこそ、「一人称映画」は困難。
    • 3. 〈外部から〉の視点
          • 内面を極力排したやり方により映画でもある程度までは可能。




第III部 「物語る絵」のナラトロジー

「物語る絵」における語りのナラトロジー
絵画は物語を時間的継起に従って語る「テクスト」ではなく因果連関に従う物語を語ることもできないが、ことばとは異なる独自の語り方を持っている。

西洋絵画史での変遷
 絵に対する詩(ことば)の伝統的優位 → 絵も詩と同等 →絵の詩からの自立


  • 1. 超越的〈全知〉の視点
        • 古代から中世
        • 聖書や神話のテクストを視覚的に語る絵画。
        • 絵画に先立つ聖なるテクストの普遍的な意味と秩序の体系によって一義的で明確な意義を与えられている。
        • 多数の場面を圧縮する画面処理やさまざまな異時同図法的処理によってことばによる語りの統辞法に応じようとする。
        • 絵の前に立ち美的に反応する観者の存在を想定しない。〈全知〉の神の視点。
           
  • 2. 超越論的〈全知〉の視点
        • ルネサンス以後
        • 遠近法の導入:身体を持たない抽象的消失点からその都度の経験世界を構成する。超越的な全能の神ではないが、身体を介してこの世界の特定の場所や情況に定位することはないという点で、超越論的主体と言える。
        • 先行することばのテクストからの自立:構図の美的な統一性とそれに対応した意味の統一性が要請され、修辞学的な多彩さは斥けられる。
        • しかし超越論的視角から観者が聞きとる語りの視点は、依然として伝統的な〈全知〉の視点。人物の内面も修辞的コードに従って一義的に読みとられ道徳的に理解される。
        • 語りの視点を遠近法の視角に重ねあわせるアルベルティ的絵画は、絵画内部のリアリティというイリュージョニズムを可能にしながら観者を作品世界外の超越論的位置に疎外するという矛盾を抱える。
        • この矛盾を解決する方策:
          • 観者と視線を交わし指さす指示者のモチーフ  →これはかえって絵画内部のイリュージョニズムを壊してしまう。
          • 「母と子」のモチーフや「後ろ向き」のモチーフ →物語世界内で観者の代理人となるモチーフ。あらたなイリュージョニズムを進め近代的叙法の萌芽となる。
            外面奥行きへと視線を向ける前景の人物をクロース・アップによって際立たせる。
            • ダビデとアビガル》ルーカス・ファン・レイデン “Abigail Before David” Lucas van Leyden (c.1508)
            • 《聖アンデレの鞭打ち》ドメニキーノ “Flagellation of St. Andrew” Domenichino (1609)
          • 観者の肉眼の視点と物語世界を目撃する視点の分離 →近代的な〈ともにある〉視点へ
          • これらは観者を物語世界に共感的に関与させるが、しかし、まだ描かれたできごとの目的者に留まっている。
             
  • 3. 〈ともにある〉視点・〈情況〉の視点

        • 17世紀・18世紀〜
        • 「没入」のモチーフ:日常の個々人の私的な生活におけるそのつどの瞬間の情況に、観客を意識せずに没入している人物。内向する視線や絵画世界の内奥へと向かう視線。
        • 遠近法の視角から物語を語る視点を分離し、自分の行為に没入する人物との〈ともにある〉視点・情景内の特定の位置に立つ〈情況〉の視点として観者を物語世界内に投錨させる点にこそ、近代の物語のリアリズムがある。
        • ある人物を内的焦点化する画像構成の文法
          • 明暗法(とくにスポットライト効果):光の遠近法
          • 劇的クロース・アップ:感情の遠近法
          • 他者と奥行き次元に対峙し視線を切りむすぶ人物の構図
             

  • ナラトロジーの「叙法」の問題は、語りの「態」と混同されてきた。
    物語る絵を画中のどの人物の視点から経験するかという「叙法」つまり語りの視点の問題は、現実の画家や観者の視覚つまり語りの「態」の問題とは異なる。
    • 《ネイ元帥の処刑》ジェローム “The Execution of Marshal Ney” Jean-Léon Gérôme (1868)
        • 物語世界における時間の経過を見せている。意味に満ちた距離。
          →しかしここでの遠近法は、観者が絵の前の物理肉体的位置から自由な語りの「視点」として成熟していない。
    • 《成し遂げられた。エルサレム》ジェローム “Jerusalem” Jean-Léon Gérôme (1867)
        • 置き去りにされていると感じさせる。できごとの意味を自らの個人的で主体的な内面性いおいて体得させようとするもの。
          →しかし観者が描かれたできごとに立ちあうのはここでも依然として目撃者のひとりとしてであって、近代の〈ともにある〉視点ではない。


  • 絵画における〈ともにある〉視点の例
    • 《過去と現在》アウグストゥス・レオポルド・エッグ “Past and Present” Augustus Leopold Egg (1858)
        • 3枚の絵が映画のモンタージュ的なやり方でおたがいに関係付けられることでひとつの物語を語り出す。
          クロス・カッティング的。添えられたテクストはヴォイス・オーバー効果と見なせる。
    • 《母》クリンガー “Dead Mother” Max Klinger (1883)
        • 重層化する消失線がひとつに収斂する統一点を創り出すことなく画面を不安定にし、これとは分離した特別な視点を必要とする。












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―Angela Mitchell