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エイドリアン・オーウェン “生存する意識”



“Into the Gray Zone : A Neuroscientist Explores the Border Between Life and Death
 2017
 Adrian Owen
 ISBN:4622087359


生存する意識――植物状態の患者と対話する

生存する意識――植物状態の患者と対話する



 概要

 この本で問われていることは次のふたつ。

  • 植物状態と思われる患者に、実は意識があるとしたら?
  • 意識とは何か? 脳科学的に見たとき、何をもって意識の有無が判定できるか。

 前者は、植物状態の患者との意思疎通の試み。
 後者は「意識」に対する脳神経学的な探求。


 「植物状態での意識の有無」っていうのがまず、トピックとして端的に訴求力がある。
 この話って科学記事とかでたまに話題になることがあったけど、見返してみたらそのほとんどがこの著者に関連する研究だった。本書は、脳神経科学者である著者によるそうした研究のまとめ・振り返りのようなもの。
 「植物状態での意識」というトピックに対する自分の興味は、もし自分がそのように身体を動かせない状態になってそれでも知覚も思考も続いていたらどう感じるだろう……ということへの想像から来るもので、でもそういう状況ってほんとうは植物状態というより「閉じ込め症候群」の方が近い。閉じ込め症候群の患者とは、わずかではあっても意思疎通が可能だし、冒頭でも触れられている通り、まばたきだけで手記を書き上げたような事例もある。
 しかしこの本で著者が対象としているのは閉じ込め症候群とは違い、完全な植物状態と判定された患者たちの方。何の反応も見せない患者に対し、著者は脳スキャン技術を用いて意思疎通の方法を確立させていく。結果、植物状態なのに実は意識があると判明した患者が2割程度もいることがわかってきたらしいのだが、それには率直に驚きがある。
 意識があったというなら、植物状態ではなく閉じ込め症候群だった、と考えるべきだという気もしなくもない。しかし著者は植物状態と閉じ込め症候群に最初から区別を引いている。それは書中で語られているようにいくつかの私的体験の積み重ねから導かれたことなのだが、「まったく動くこともできずただ眠り続ける状態の患者」から本人の意識を「見つけ出そう」という点にこそ著者の研究モチベーションの大きな部分が向けられているからだ。



 内容

  • 研究
    • 植物状態の患者へ脳スキャンをおこない意識があるかどうかを調べる試み
    • [装置]
      • 最初はPETスキャン → 使用負荷・制限の少ない fMRI の導入で飛躍的進歩 → 今ではポータブルEEGによる出張調査もおこない、さらに可能性を拡げている
    • [方法]
      • 写真を見せる・音声を聞かせるなどによる反応を見る → 意識的な決定があれば意識の存在を証明できるという考えに基づき、「能動的課題」という方法へ → やがて「テニスのイメージ(=運動前野の活性化)」「自宅の空間ナビゲーション(=海馬傍回の活性化)」の二択による意思疎通へ。映画を見せて反応を調べるという方法も。
      • ただし成果の出ないテストもあった。方法は完璧ではない。

  • 意識とは
    • 意識とは何かについて、科学者の間に一致した定義はない。
      著者は、意図の存在を実証できれば意識も存在するという想定のもとに研究を進める。
      意図、つまり意図的決定を下すことこそが意識の証拠であると。
        • 理解と経験の区別
        • 意識の有無に関わると思われるものの例:言語 / 痛み / 決定
        • 意識の計測では、意識そのものではなく、意識があるという経験に関連する脳の変化を計測していることになる

  • 関連してくる問題
    • [倫理的問題]
        • 法的問題:延命と「死ぬ権利」
        • 意思疎通の内容の問題:彼らには意思疎通に応じる意識があるが、しかし自身に関わる重大な問題に答える判断能力まであるとまでは言えないのではないか。(「死にたいですか」「痛みがありますか」という質問の是非)
        • 研究の意義:本人には恩恵はないだろう。しかしいずれ他の患者に臨床的な恩恵がもたらされる見込みはある。とはいえ意識があるとわかることで本人にも良い方向へ寄与する可能性を、著者は信じている。(「スキャンによって見つけてくれた」と感謝する患者)
    • [哲学的問題]
        • 自由意志
        • 意識の還元主義的把握
    • [文学的問題]
      • おもしろかったのは、映画を見せることに対する脳反応を見ることで意識活動を探るという方法で、「ヒッチコック映画」が意識の有無を測るのに向いている、というところ。つまり意識の有無を探りやすい筋運び・演出というものがあるようなのだ。(脳科学的なナラトロジーというものを展開できる可能性)



 文章の特徴

 学術書という感じではなく、もっと軽い語り口で読み手を引き込むような文章。
 著者の人生体験が随所で語られる。わりと重いエピソードだと思うのだが、それが研究の動機付けや方向性にも直接関わっている。



 メモ
 
内面の把握
 脳スキャンを使った二択テストも、「質問」に対し脳反応で「答」を知るというやり取りなので、コミュニケーションの形式としては日常での会話と同じ。「脳スキャンで意思疎通」みたいに聞くとあたらしく思えるけれど、いまのところ広いコミュニケーションの一形態という範囲を決定的に超えてはいない。
 ただし今後、秘密を暴くとか記憶を読み取るというようなことが可能になったら、それはあたらしい事態を招くことになるかもしれない。
 とはいえそのような段階に到達したとしても、「世界は結局自分の視座から開かれることしかできない」という根源的な部分は不変だと思うので、哲学的な難題はどこまでも残り続けるだろうとは思う。
    • 脳スキャンで誰かの内面を余さず把握できるようになったり、他人と脳神経をつないで相手が感じている痛みを自分も感じることができるようになったりしたとして、でもそれらもやはり「自分」の視座から体験されることであり、「他人の内面」をそのままに体験することはできない。——というか「体験」は常に「自己」と結びついているので、「他人の内面」を体験するということがまず原理的なレベルで不可能。
    • 一方で、日常生活上、他人の内面は理解できるものとして振る舞われるという実態もある。内面がわかるときとわからないときがあるからこそ、「内面がわからない」ということが問題となる(有意味なものとなる)。
       
自由意志
 選ぶことのできる問いからの「決定」こそ意識の証だ、というのが本書を貫く根源的な仮定になっているわけだが、物理還元主義的立場からは基本的に否定されるだろう「自由意志」というものがここでは容認されることになっているのがおもしろい。ある意味、自由意志の存在証明を懸命におこなっているような本。
    • それは「決定」に至る前の因果的詳細までは探求されていないからだが……。
    • 「決定」を生む原因を脳科学で精彩に解明することはさすがに容易ではないと思う。問題が与えられたときどのような返答を返すかは、そう遠くない将来に高い確度で予想できるようにはなるだろうとしても。
 そもそも人間には「意識」というものがあるということも明白な前提とされていて、その存在に疑問は差し向けられていない。
    • 「意識」の定義はいろいろで、医学において「覚醒」や「認識」という概念と関連するものとしての「意識」が否定されていないのは当然。(「意識がある/ない」というフレーズが、たとえば救急現場では日常的に用いられている)
    • もっとも、「意識」を錯覚などとして否定あるいは格下げしてしまうのはむしろ哲学者の方なのかもしれない。







 






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―Angela Mitchell