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“ドローイングの可能性” 2020.06.02. - 2020.06.21.



ドローイングの可能性
 The Potentiality of Drawing

 東京都現代美術館



 目下の世情により開催が留保されていた企画展。当初予定されていた期間3/14〜6/14が6/2〜6/21に変更されて開催された。たったの20日間。同時期の企画だったオラファー・エリアソン展の方は9/27まで延長されて開催されたというのに……。オラファー展のような集客力のある企画と比べてもしかたないが、内容は良かったのでもったいない。鑑賞機会の稀少な企画展となってしまった。
 

本展は、線を核とするさまざまな表現を、現代におけるドローイングと捉え、その可能性をいくつかの文脈から再考する試みです。
デジタル化のすすむ今日、手を介したドローイングの孕む意義は逆に増大していると言えるでしょう。それは、完成した作品に至る準備段階のものというよりも、常に変化していく過程にある、ひとや社会のありようそのものを示すものだからです。
この展覧会では、イメージだけでなく手がきの言葉も含めて、ドローイングとして捉え、両者の関係を探ります。また、紙の上にかく方法は、揺らぎ、ときに途絶え、そして飛翔する思考や感覚の展開を克明に記すものですが、このような平面の上で拡がる線だけでなく、支持体の内部にまで刻まれるものや、空間のなかで構成される線も視野に入れ、空間へのまなざしという観点から、ドローイングの実践を紹介します。更に、現実を超える想像力の中で、画家たちを捉えて離さなかった、流動的な水をめぐるヴィジョン(想像力による現実を超えるイメージ)というものが、ドローイングの主題として取り上げられてきた点に注目します。
最も根源的でシンプルな表現であるドローイングは、複雑化した現代において、涯しない可能性を秘めるものでしょう。
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/the-potentiality-of-drawing/



「ドローイングの可能性」展示風景動画
Installation views of "The Potentiality of Drawing"


 3章構成で7人のアーティストの作品を展示している。
 1章 言葉とイメージ 石川九楊、アンリ・マティス
 2章 空間へのまなざし 戸谷成雄、盛圭太、草間彌生
 3章 水をめぐるヴィジョン 山部泰司、磯辺行久


 まず最初の部屋、「言葉とイメージ」をまさしく体現する石川九楊の作品に圧倒される。
 石川九楊は書家。前衛書道といってもいいと思う。可読性を超越し、前提知識がなければグラフィックや絵画としか見えないが、何かパターンのようなものがあることはわかり、あたかも別種の知性体が用いる文字のようでもある。

 マティスによる切り絵と手書き文字の挿絵本が展示された室の次に現れるのは、交差する「線形」を追求する戸谷成雄の抽象アート。これは現物もさることながら、図録の写真もすばらしく、作品の質が良く再現されていた。
 特に圧巻だったのは部屋の中央を占めるインスタレーション『視視線体 — 散』。線をモチーフにした他の作品とは異なり、中心に鎮座する鉱石のようなものと、それが砕かれ弾けた結果のように壁に貼りつく無数の破片から成る。静止状態からそのように運動を感じさせるところが、「視線体」というコンセプトとしてそれまでの諸作品と一貫している。こうしたインスタレーションを美術館内に展示するということに作家の身体的な労力の痕跡も感じてしまい、それもまた作品に潜在する力動なのだという気がした。いつかどこか別の美術館で展示されるとき、ふたたび同じ労力が投じられてこれが再現されるはずで、そうした運動の総量のようなものが感じられる作品。

 盛圭太の作品も空間に描出される線によって表現されている。
 遠くからだと二次元的な線画のように見えて、近付くとそれらが壁に架け渡した糸でできているとわかる。しかもよく見るとそのいくつかは湾曲した壁面の上に張られていて、三次元的に配されている。糸は太さや色、縒り方もさまざま。遠近に応じて抽象と具象の合間を揺れ動く。

 そして次は山部泰司の風景画。青一色で描かれた絵と、赤一色で描かれた絵がある。実際は他の色も微妙に用いられてはいるけれど、まず心象で把握されるのは「青」と「赤」だ。西洋の風景画の形式に拠りながら、山水画の構成で描かれた流水図。濃淡をもった単色が視覚へ与える刺激が端的に気持ちいい。

 続いて磯辺行久。越後妻有アートトリエンナーレなどで実際に制作されたインスタレーションの構想図など、作品が具現化する前の段階でおこなわれるドローイングの展示。こうした思考段階の痕跡というものは、分野によらずおもしろい。

 最後は草間彌生。『パシフィック・オーシャン』のように素材の質感が表れた作品はやはり美術館で見る方が良い。こうした作品に残る手の痕跡からも、そこに掛けられた作業──つまり、時間というものが感じられてくる。




 文字通り線自体でつくられた作品もあれば、線を引くという行為に着目した作品もあり、また、作品を思考する過程という面で取り上げられた作品もあって、「ドローイング」という切り口は企画展のテーマとしてなかなか良かった。
 紙にペンを落として線を引いていくという行為は、それこそ創造のもっとも原初的なものと言ってよいと思うのだが、この展覧会の作品群を通して感じられたのは、「線を引き始めよ」という命令のようなメッセージだった。



 






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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell