ヴェーバーとは何者か、と問われたとき、自分としてはデュルケームとの比較項という位置付けで浮かび上がってくる。「行為をいかに記述するか」という社会学の課題に対し、社会学の創始者と言えるふたり、デュルケームとヴェーバーは異なるアプローチをおこなった。デュルケームは個人を超えた「構造・様式」によって、一方、ヴェーバーは個人の「主観的意味」による説明を試みた。
──という対照の通り、ヴェーバーはまずもって社会学者であるわけだけど、日本ではヴェーバーを多面的に活動した思想家という見方で扱う風潮があり、特に現代社会へ警鐘を鳴らしたというところが取り上げられがち……とこのヴェーバー入門書も語っている。そうした従来のヴェーバー理解と対極的に、行為の記述という社会学の方法に焦点を当ててヴェーバーの学問を見ていこう、というのがこの本の特徴。
概要
- ヴェーバー研究の問題
- 現在の日本のヴェーバー研究者たちは、ヴェーバーの「理解社会学」という面に無関心でいる。彼らはヴェーバーを『プロ倫』末尾に表れるような近代資本主義の批判者という視点から論じており、ヴェーバーが資本主義の起源を問題にしてきた者だと誤解してきた。
- 本書の狙い
- ヴェーバーの学問の根底を成すのは「理解社会学」であることを確認し、それがどのようにかたちづくられてきたかをを見直すこと。
- 全体構成
- 理解社会学の最初の実践例としての『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
- 『プロ倫』から続くふたつの方向性の問い
- 行為とそれが織り成す秩序との関係 私的集会から国家に至るまでの社会集団の組織と機能のあり方の追求 →続く社会学的諸著作『経済と社会』
- 他の宗教倫理についても同様の解明的理解 →後期主著『世界宗教の経済倫理』
理解社会学
- 社会的行為を解明しつつ理解し、それによりその経過と働きについて因果的に説明しようとする学問。
- 方法
- 人間の具体的な行為の心的動機に着目し、心理学によってではなく動機の理解によって接近する。
- 問題意識
- 現象を何かの実体から生起するものだと説明する「流出論」や「自然主義的一元論」を批判し、別種の説明を試みた。
- 行為の動機の理解はどのようにして可能なのか
- 他者の体験を自分の体験にすることはできないという哲学上の原理的な困難。
- しかし自分の体験であっても、それを「体験」として判断の「客体」にするためには、「概念」と結びつけて客観化するという論理的操作を経なければならない。この事実が、他者理解可能性の基点にもなる。
- 「理解」とは;体験と動機と行為の現実連関に内在して作動している「動機」を概念的に捉える営み
- 解明を通じた理解へ
- 痛みというケースでさえ、自分の体験が「体験されたこと」として対象的な客体となり、体験と動機と行為の因果連関に組み込まれる場合には、概念化を通じて解明されて、理解可能な対象となっていく。
- ジンメル:諸個人の全体的な人格像は行動の連鎖として立ち上がるが、他方で、個々の行動の意味は、先行して捉えられている当の人物の人格像から生まれたものと見られることで初めて完全に理解されうる(循環的な把握・理解)。→人物が外部に示す表現(語られたこと)の理解とそうした表現をする当の話者(語ったその人)の理解との間にも循環があり、この循環に内在することで後者の理解も可能になる。
- ヴェーバー:当人の主観に即した解明による動機の理解とその動機から発した行為の客観的な説明による意味理解との間に循環があり、この循環に内在する動機理解が可能になる。
- 雨乞いの祈禱などのように、今日の観点から見て目的に適合した手段を選んでいなくても、当人たちにとっては経験から得られた規則に従っている、この意味で合理的な行為と認められる。行為者本人の主観における合理的な意味のつながりという観点から意味連関を理解できる。
- 解明の手続き
- ヴェーバーの理解社会学における「解明」は、行為者の主観に即した動機理解とその動機から発した行為の客観的な説明とに構造的に対応した「価値分析」とという二つの学問的手続きによって構成されており、これらが循環しつつ連関して当の行為の意味理解に寄与する仕組みになっている。
『プロ倫』における理解社会学
- 『プロ倫』を単なる「資本主義の起源論」と読んでしまうと、ヴェーバーの論理が理解できなくなる。
- 理解社会学が問題にしているのは「起源」「制度史」などではなく、生きて行為する人々の生活態度、特にそれを導く「動機」
- 『プロ倫』での問い
- 中産階級がピューリタニズムの専制支配を積極的に受け入れたのはなぜか。
- 「格率」
- ベンジャミン・フランクリンの箴言:営利それ自体が人生の目的として課されている。
- 生活態度を導く倫理的な格率(行為者が主観的にいだく行為の原則 )
- カルヴィニズムでの死後の再生:「自分は選ばれているのか?」という問いの切実さ
- 世俗内での職業労働への専心が宗教的不安の解消に適切な手段として説かれた。
- 体系的な自己規律を課せられた信徒の倫理的実践が、生活態度全般にわたって一貫した方法を形成
- 経験的に存在するのは規則そのものではなく、規則についての主観的な表象である「格率」なのであり、この格率が事実上の動因として人間の行為に作用している。
- 生活態度としての倫理に照らして合理的とされる行為が秩序を構成し、その強制力の下に取り込んで強大な経済的秩序(資本主義社会)を生み出していく。
『宗教ゲマインシャフト』
- 宗教倫理がどのように人びとを動機づけて、それがどんな生活態度を生み出し、そこにいかなる社会秩序が形成されるのか。
- 普遍的に卓越した神の存在と、その神が創造し支配するはずのこの世界の不完全性という事実がどうして矛盾しないのかという問いに合理的な答を与えようという議論(神義論)
- 此岸の動機から発した宗教的行為が彼岸に開かれた領野に宗教領域を分立化させ、それが彼岸の極から反転して此岸の生活態度に影響を及ぼしていくという、全体の議論の転回点