監督:樋口真嗣、企画・脚本:庵野秀明。
『シン・ゴジラ』と同様に、過去の特撮作品をリメイクした映画。
ただし大きな違いがある。『シン・ゴジラ』が現実の日本で起こった災害・原発事故をゴジラで見立てたのに対して、『シン・ウルトラマン』のテーマやストーリーは基本的に過去のウルトラマンをなぞっている。本作品で新たに提示された軸というものがない、もしくは薄い。
オリジナル作品のさまざまな局面がパロディのごとく模倣されていて、「昭和当時の意図せざるチープネス」を意図的に取り上げたという姿勢が伺える(たとえばウルトラマンの帽子とコートを身につけたザラブが首相と握手するシーン、居酒屋でメフィラスと語り合うシーンなど)。インタビューで「オリジナルをなぞるつもりはない」といった発言もされているようなのだが、こうした各部からは「過去の参照」という動機が前面に見えてしまう。
参照対象には『シン・ゴジラ』も入っていて、『シン・ゴジラ』の登場人物があれから何年か経ったようなポジションとして使われている。だが、舞台世界は別にした方が『シン・ウルトラマン』の作品強度は上がったと思う。
過去作品の参照が新たに提示する要素とのバランスを欠いたままおこなわれていることで、全体が後ろ向きなものとして感じられる印象は拭えない。スターウォーズ新3部作が過去シリーズの参照にとらわれすぎたために新たなストーリーを開くに至らなかったことを思い起こした。
また長澤まさみが演じるキャラクター浅見に対する描写が持つ問題についても、既にいろいろ指摘されていることへ特に付け加える必要はないだろう。過去をあえて参照した、というより、現在を生きる作り手としての感性の古さが端的に表れている。
刷新されている面もある。
技術進展の必然として、本作品の映像には、オリジナルとは決定的に異なる質が備わっている。
空中戦をはじめバトルシーンの迫力。(過去作品の引用にこだわっていることで、ウルトラマンが空中で回転するシーンなど、現代技術で映像を置き換えることの一貫性を失っているもったいなさもある)
あるいは、ザラブの攻撃手段や天体制圧用最終兵器の形態変化のビジュアル。
SF設定についても、設定協力をきちんと立てているであろう効果が感じられ、高速で過ぎゆく台詞から断片的に聞き取れる部分だけでも興奮する。(巨大化を説明するマルチバース理論や、メフィラスとウルトラマンの光線の違いをネゲントロピーで説明する個所)
こうしたところは確実に現在ならではの要素だと言える。
さらに加えるなら、斎藤工による主人公神永と山本耕史によるメフィラスのキャラクターと演技は、記憶に残るものだった。
本作品で提示したいものは純粋に「ウルトラマンと融合した神永のストーリー」であって、過去のウルトラマンと変わらないシンプルなものであったとしても、それを最新映像技術でつくったというところに価値がある──と捉えるべきなのだろうか。『シン・ゴジラ』にあったような、現代ならではの作品を観ているという感覚はほとんどなかったが、そうしたものを求めないならばそれなりに楽しめる「空想特撮映画」ではあると思う。