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ギャラガー, ザハヴィ “現象学的な心:心の哲学と認知科学入門”



 書籍紹介やブックフェアでよく見かけていた本をようやく読んだ。

 現代現象学の観点から「心の哲学」に対して分析哲学とも認知科学とも異なるアプローチで迫る本。
 これまで分析哲学が「心の哲学」を展開し認知科学の成果へも積極的に関係を結んでいったのに対して、現象学ではこの分野への関心が乏しく、分析哲学と現象学は対話もないまま長く対立・無関心の状態にあった。
 だが「心の哲学」が扱うテーマはもともと現象学の研究対象の中心と重なっている。そして1990年代から状況が変化し、現象学と分析哲学の心の哲学との関係に関する研究が現れるようになる。また認知科学も「意識」や認知における身体といったものを取り上げ始め、fMRIなどを用いた実験でも被験者の経験に関する報告が扱われるようになって、認知科学での現象学の役割が再評価されるようになった。
 こうした変化に対して現象学でもあらためて「心の哲学」の展開が活発化してきた、という状況がこの本の背景としてある。
 認知科学や分析哲学が現象学に対して持っている典型的な誤解へ反論しながら、心に関わるテーマとして「意識」「時間」「知覚」「志向性」「身体」「行為」「他者」「自己」といった概念への現象学のアプローチがそれぞれ説明されていく。

 現在の分析哲学が自然主義を支持するようになったのに対し、現代現象学はあくまでも非自然主義を保っていて、この本でも認知科学の自然主義や還元主義への反論が随所に見られる。
 ただし全体の主旨としては、認知科学や分析哲学を否定することが目的ではなく、むしろ現象学は彼らの研究にも貢献できるということ、そして現象学はもっと他分野と議論して「心の哲学」を展開していくべきだということが主張されている。


 総論
 現象学の方法 
    • 現象学の標語:「事象そのものへ」
      • 事象の経験のされ方こそを考察の基礎に据える
    • 現象学の主な問い
      • 事物が私たちの経験の相関物としてどのように現れるのか
      • 誰かが世界を経験するのはどのようにして可能であるのか
      • 客観性のようなものがいかにして可能であるのか
    • 現象学は現象性の本質的な(不変の)構造と可能性の条件を明らかにしようとする
    • 経験的現象と一人称的所与性の間の構成的な結びつきへ着目
    • 現象学の4つのステップ:「エポケー」「現象学的還元」「形相的変更」「相互主観的確証」
    • 現象学における「構成」というテクニカルターム:対象の顕現・現れ・有意義化を可能にするプロセス。このプロセスは重要な仕方で意識の貢献を含んでいる。意識なしに「現れ」はない。
 
 現象学に対する誤解 
    • 心の哲学や認知科学の研究者の大多数は、現象学をいまだに内観主義のようなものと同一視してしまっている。だが現象学の伝統をきちんと理解していればそのようなことは言えないはずだ。
 
 現象学が科学に対して貢献できること 
    • 意識や知覚の研究に対して哲学的に練られた方法論的なツールを提供できる。
    • 経験科学的な問題を定義するのに役立ち、科学実験のデザインに寄与できる。
    • 還元主義に陥らずに科学的に厳密な仕方で、経験的なデータの解釈を枠づけることができる。
 
 
 個別テーマ
 志向性 
    • 意識は、「何かについてのもの」だという決定的特徴を持つ:意識の「志向性」
    • 心の現象的・経験的側面の説明に関わるハードプロブレムにおいて、非還元的唯物論者が「志向性」と「経験」を分離して経験的側面(随伴現象的クオリア)のみが還元主義を免れると考えるのに対し、現象学は還元主義にも表象主義にもよらないアプローチを取り、志向性と経験を密接に関連し合うものと捉え、一人称的パースペクティブから志向性の説明を行う。
    • 表象理論の因果説は、幻覚や誤った表象、存在しない対象への志向を説明することができない。
      現象学では、志向性は指示対象が存在しなくても成立する関係として説明される。
    • 現象学にとって、志向性とは意味の問題である。私たちは対象について何らかのことを意味することによって対象を志向する。
    • 志向の対象は世界の中で常に特定の仕方で現れているものとして意識される。
    • 現象性は単に世界を現前させるものではなく、同時に自己を巻き込んでいる
    • 志向性は心に内的な要因で規定されているのか、それとも心に外的な要因で規定されているのかという問いに対して、現象学は内部/外部の区分自体を疑う。心は容器でも特殊な場所でもなく、心と世界は構成的に一つに結びつけられている。両者は関係項を構成する内的関係にあり、因果性という外的関係にはない。
 
 意識・自己 
    • 経験は暗黙のうちに私の経験として特徴づけられている;経験における直接的な一人称的所与性という不変の次元
      これは、現象的意識の構成的特徴であり不可欠な部分を成す「前反省的自己意識」から説明される必要がある。
    • 現象学は高階説と異なり、自己意識をメタ意識や随伴現象と見なすことを否定し、自己意識は一次的経験の内在的特徴であると主張する。
    • 前反省的自己意識において、経験は対象としてではなく、まさに主観的経験として与えられる。志向的経験は、体験されてはいるが、対象化された仕方では現れない。それは見られも、聞かれも、考えられもしない。
    • 自己とは経験的現象の一人称的現れのことであり、神経学的な錯覚ではなく経験的実在性を持つ。自己経験とは、その最もプリミティヴな段階では単に自分自身の意識に前反省的に気づいているということであって、このことが経験を主観的にする。
 
 時間 
    • 過去把持と未来予持は、現在の時間を経験する「幅」を可能にし、意識の時間的な流れを可能にする不変の構造的特徴
    • 未来予持/原印象/過去把持の間の関係は、時間的な流れの内部に位置づけられる事柄の間の関係ではなく、むしろこれらの関係が当の流れを構成し、現在/過去/未来の感覚を可能にしている。
 
 知覚 
    • 世界についての知覚とは、私たちを触発し、私たちの身体的な行為を呼び起こす環境についての知覚であり、常に文脈づけられている
    • 言語的志向は知覚的志向に比べて原初的・根本的ではない。
      • 前言語的認知の存在を否定し、何かを何かとして把握することは言語の使用を前提すると主張すれば、そもそも私たちが一体どのようにして言語を獲得するのかが理解できない。
    • 知覚のエナクティヴ理論:表象主義的見解に対する前途有望な代替案
      • エナクティヴ論者にとって行為のありかは脳内ではない。視覚はニューロンのネットワークに生起する表象ではない。むしろ視覚とは、環境を探索する全体としての有機体の行為である。
 
 身体性・行為 
    • 身体は、知覚と行為のすべてにおいて作動している。それは私たちの視点と出発点を構成する。
    • 身体は世界の事物がそのうちで現れる知覚空間の起点であり、その空間性は、状況の空間性
    • 「所有の感覚」と「行為者性の感覚」の区別
 
 他者 
    • 「心の理論」に対する理論説とシミュレーション説の双方へ反駁
    • 他者の意図と相互主観的な知覚は自己にとって直接的であるが、一方で他者の意識と私自身の意識にはあくまで差異があり、むしろその差異があることが私の経験を、他者についての経験として構成する。
    • 私の知覚対象は他の主観によって知覚されうる射映を常に所有するため、それは継続的に他の主観に関係しており、結果的に内在的に相互主観的なのである。
    • 「いかにして他者の心へ接近できるのか」という他者の心の問題は間違っている。
      • もし私が他者の意識に対して私の意識に対してと同じようにアクセスできるとしたら、他者は他者であることをやめ、私の一部になっているだろう。
    • 身体的振る舞いが嘘、騙し、隠蔽の余地を持ちながら心的状態を表現すること、そして心的状態を表す言語を自分と他人とに適用する学習を通して、相互主義的理解が可能となっている。
 

 






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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell