::: BUT IT'S A TRICK, SEE? YOU ONLY THINK IT'S GOT YOU. LOOK, NOW I FIT HERE AND YOU AREN'T CARRYING THE LOOP.

 [ABOUT LJU]
 [music log INDEX] 
 

マーガレット・アトウッド “誓願”

“The Testaments”
 2019
 Margaret Atwood
 ISBN:4152099704


誓願

誓願




 1985年の『侍女の物語』*1から34年後の発刊となる続編。作中時間では前作から15年が経過していて、アメリカ合衆国の成れの果てとしてのディストピア「ギレアデ共和国」がその後どうなったのかが語られる。

 『誓願』は3人の異なる人物の視点で記述されている。登場する順番で言うと、リディア、アグネス、デイジー。それぞれ「アルドゥア・ホールの手稿」「証人の供述369Aの書き起こし」「証人の供述369Bの書き起こし」という形式の文で書かれている。いずれも、後の世に伝わった記録であることが示されているわけだが、これは前作が後代に発見されたカセット・テープの書き起こしという形式をとっていたことにも通じる。

 前作の末尾「歴史的背景に関する注釈」で明らかにされている通り、ギレアデがいずれ滅ぶことを読者は知っている。そして「証人の供述」ということで少なくともこのなかのふたりの行く末はすぐに想像がつき、解放の可能性が仄見えるのだが、しかしギレアデ内での生活描写はやはり前作同様に重い。さらに今回はギレアデ創始期の回想もあって、〈小母〉という階層およびその最初の四者がどのように生まれたのかという過程も心を抉ってくる。

 とはいうものの、単一人物の独白で過酷と倦怠が並立するような筆致だった『侍女の物語』と比べると、この『誓願』はだいぶ違う。ページを繰る手を止まらせず、一気に読ませる種類の小説になっている。序盤から既に反逆と復讐の気配が、つまり希望と期待の気配が漂っているからだ。そして〈幼子ニコール〉なるものの存在が鍵であることがわかってくると、全体の「計略」が読者にも見え始め、その成就に向けて物語も速度を増していく。


 それぞれ興味深くキャラクターが形成されている主人公3人のうち、最も複雑な質を持つ者を挙げるなら、それは〈小母〉リディアということになるだろう。
 前作ではただ体制の厳格な守り手、箴言の集成として描写されていた者が、本作では如実に心中を独白する。生き延びるためにどのようなことをおこなってきたのか、復讐するために何を準備しているのか。ギレアデ建国前は判事だったが、神政体制の誕生に反抗し死を選ぶことはせず、といって純朴に神を信じるような者でもない。決して善人ではなく、その手は血に汚れて久しい。今なお陰謀と策略を駆使し、生存と反逆のすべを思考してしたたかに生きている。
 彼女たち〈小母〉の立場は、ナチス政権下におけるユダヤ人評議会あるいはゾンダーコマンドになぞらえることもできる。似た例は歴史上、他にもあるだろう。あとがきによればアトウッドは、「自分はこれまでの歴史上や現実社会に存在しなかったものは一つも書いたことがない」という。こうした残酷な立場に置かれることは、現実にもあり得る。おそらく現代あるいは将来でも。
 そのような立場にあってそれでも秘かに反逆を試みる者へは──背後にどれだけの犠牲者を生んだのだとしても──自分としてはとても感情移入してしまう。リディアはアグネスとデイジーのようにただ巻き込まれる者ではなく、画策する者……つまり、自らの意志を持ち、その意志によって「プロット」を、物語を進ませる者だからだ。


 『誓願』の日本語訳書が発売された2020年は、ちょうどアメリカ合衆国大統領選挙の年となった。訳書のふたつの解説がともに現在のアメリカについて触れているように、ギレアデは現実の世界と無縁の絵空事とはいえない。大統領選から一ヶ月弱、現職の第45代大統領が渋々ながらも敗北を受け入れ始めたこの時点で、われわれはギレアデの終わりを目撃しているのか、それとも逆にギレアデの始まりを──より過激化した不寛容主義の勃興を見ようとしているのか。
 わたしはこれまでのところ安全な立場にある。抑圧側のジェンダーにいることも自覚している。しかし混乱を娯楽のように見ていられる対岸にいるなどとは思っていない。世界のどの国も大なり小なりディストピアの面を持っているということには同意するけれど、どの順にどのような脅威と考えるかについて、きっとわたしの考えはあなたと同じではないだろう。



 






music log INDEX ::

A - B - C - D - E - F - G - H - I - J - K - L - M - N - O - P - Q - R - S - T - U - V - W - X - Y - Z - # - V.A.
“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell