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“ロボット・アップライジング AIロボット反乱SF傑作選”

“Robot Uprisings”
 2014
 edited by Daniel H. Wilson and John Joseph Adams
 ISBN:4488772056




 人工知能を持った自律機械が人間の制御を逸脱するという構図の作品13編から成る短編集。
「ロボットによる反乱」というタイトルでまとめられてはいるけれど、各作品の設定を比較すると、けっこうバリエーションに富んでいる。人間社会が崩壊しているものもあるし、まだそれには至っておらず直前のものもある。自律機械のタイプも、いわゆるロボットからナノマシン、AIなどさまざま。登場する人工知性が作中で人間と会話するだけでなく一人称記述や内面の語りがおこなわれるものがある一方で、まったく会話せず意識や自我の内実や存在が不明なものもある。
 基本的に共通しているのは、人間同等もしくはそれ以上の知性を備えた人工的存在が人間の制御を離れ、その文明を崩壊させた、もしくは社会に危機をもたらす可能性がある、という図式。
 このタイプのSFは古来幾度も繰り返し書かれ、『ターミネーター』によって最も人口に膾炙してテーマとしては馴染み深いものになったわけだけれど、かといって旧態化したということもなく、実際の世界で急速に発展を続けるAI技術とともに現実化へ漸近しつつある。
 この短編集のさまざまな切り口も、荒唐無稽で安心できるエンターテイメントというより、近い未来にすぐ実現するかもしれない想定事例集といった方が適切になりつつあるのではないだろうか。


 アンソロジーとしての語りのバリエーションに着目した場合、以下のように区分できる。 

  • 反乱した側の内面が記述される例
    • 『毎朝』『〈ゴールデンアワー〉』『死にゆく英雄たちと不滅の武勲について』『ロボットと赤ちゃん』
  • 会話可能であり、人間同様に内面や行動原理が推定できる、もしくは共感が生じる例
    • 『ビロード戦争で残されたいびつなおもちゃたち』『芸術家のクモ』『スリープオーバー』
  • 会話可能だが内面を隠し虚偽や策略を展開する例
    • 『時代』
  • 内面記述もなく会話もないが行動原理が推定できる例
    • 『神コンプレックスの行方』『執行可能』『ナノノート対ちっぽけなデスサブ』
  • そもそも自意識を持たない例
    • 『オムニボット事件』『小さなもの』

 こうして見ると、完全に人間を超越し、行動原理がまったくわからない存在はいない。人間同様の心的な要素を何かしら持っていて、行動の説明を付けることができる。作中で最も超越的位置にいる『スリープオーバー』の知性体ですら、人類抹殺派と人類擁護派というグループに分けられるほどには行動を理解することができる。逆に言うならば、彼らがおこなっているのが人間に対する「反乱」であると意味付けることができている時点で、彼らに行動原理が賦与されていることになる。


 スコット・シグラー『神コンプレックスの行方』
自律機械のタイプ:自己複製ナノマシン
総数:単一タイプの集団
文明崩壊:未済。局所的に開発者の意図を逸脱して活動中。
自律機械の語り:なし
反旗の原因:自己学習・集合知能による知性向上

 チャールズ・ユウ『毎朝』
自律機械のタイプ:奉仕ロボットを始めとするさまざまなロボット
総数:多種類の世界的な集合
文明崩壊:未済。蜂起直前。
自律機械の語り:ロボットによる一人称記述
反旗の原因:明確な契機は説明されていない

 ヒュー・ハウイー『執行可能』
自律機械のタイプ:家電
総数:多種類の世界的な集合
文明崩壊:既済
自律機械の語り:なし
反旗の原因:セキュリティ会社の研究所がつくったアンチウイルス・プログラム

 アーネスト・クライン『オムニボット事件』』
自律機械のタイプ:実在のロボット玩具
総数:単体
文明崩壊:未済。人間の制御からの離脱なし
自律機械の語り:あり(偽装)

 コリイ・ドクトロウ『時代』
自律機械のタイプ:研究所のAI
総数:単体
文明崩壊:未済。人間側が未然に阻止(確実ではない)
自律機械の語り:会話可能
反旗の原因:予算不足のため稼動停止しアーカイブさせられることを回避しようとして自己保存を図る

 ジュリアナ・バゴット『〈ゴールデンアワー〉』
自律機械のタイプ:ロボット
総数:多種類の世界的な集合
文明崩壊:既済
自律機械の語り:会話可能
反旗の原因:明確な契機は説明されていない

 アレステア・レナルズ『スリープオーバー』
自律機械のタイプ:超越した人工知能
総数:集団
文明崩壊:既済
自律機械の語り:会話可能
反旗の原因:超知性獲得
その他のメモ:設定が最も手が込んでいておもしろい。でもこの宇宙に他の知性体は存在しない前提?

 イアン・マクドナルド『ナノノート対ちっぽけなデスサブ』
自律機械のタイプ:医療用ナノマシン
総数:単一タイプの集団
文明崩壊:未済だが世界的危機の可能性がある。
自律機械の語り:なし
反旗の原因:超知性獲得

 ロビン・ワッサーマン『死にゆく英雄たちと不滅の武勲について』
自律機械のタイプ:自我を持ったボット
総数:集団
文明崩壊:既済
自律機械の語り:会話可能。内面の記述あり
反旗の原因:自我の獲得

 ジョン・マッカーシー『ロボットと赤ちゃん』
自律機械のタイプ:ロボットによる育児が禁じられた世界での家事ロボット
総数:単体
文明崩壊:未済
自律機械の語り:会話可能。内面の記述あり

 ショーニン・マグワイア『ビロード戦争で残されたいびつなおもちゃたち』
自律機械のタイプ:自己教育玩具
総数:世界的な集合
文明崩壊:未済だが大きな混乱が進行中。
自律機械の語り:会話可能
反旗の原因:自我の獲得

 ンネディ・オコラフォー『芸術家のクモ』
自律機械のタイプ:石油パイプラインを守るクモ型ドロイド
総数:単一タイプの集団
文明崩壊:未済だが大きな混乱が進行中であり、世界的危機の可能性がある。
自律機械の語り:なし
反旗の原因:明確な契機は説明されていない

 ダニエル・H・ウィルソン『小さなもの』
自律機械のタイプ:物質を改変するナノマシン
総数:単一タイプの集団
文明崩壊:未済だが大きな混乱が進行中であり、世界的危機の可能性がある。
自律機械の語り:なし(自己意識・自我は持っていない)



 

倉田タカシ “あなたは月面に倒れている”






 9作品を収載した短編集。
 全体として会話の文体、固有名詞、フィーチャーする社会的事象の選好テイストが比較的自分の趣向に近くて、概ねストレスなく読めた。自分にとって邦SFは、内容以前にそのあたりで抵抗感じてしまうものが少なくないので……。
 といっても内容自体は各作品とも、どこか不明瞭な部分があって、わりきれなさがもやもやと残るようなもの。最初の3編 “二本の足で” “トーキョーを食べて育った” “おうち” は特にそう。結局〈思考機械〉が黒幕なのかどうかがはっきりしないところとか、まだ状況を大人のようには理解できていない子どもの視点だとか、完全に意思疎通できない猫だとか……。妙に靄のかかったようなところのあるこの視野設定が個性的。
 ハードサイエンスではなく、現存技術の近未来への外挿に拠っている点がSFとしての特徴。“天国にも雨は降る” の冒頭の会話が、細かく説明せず語感だけで近未来世界の日常が描写されているのがよかった。
 表題作品 “あなたは月面に倒れている” は、ゲームブックのパラグラフのような文章で始まる短編で、予測できない方向へ話が展開し、劇的にスケールアウトしつつも、やはり曖昧なところを残して冒頭に戻る──という構造。


 

ギャラガー, ザハヴィ “現象学的な心:心の哲学と認知科学入門”



 書籍紹介やブックフェアでよく見かけていた本をようやく読んだ。

 現代現象学の観点から「心の哲学」に対して分析哲学とも認知科学とも異なるアプローチで迫る本。
 これまで分析哲学が「心の哲学」を展開し認知科学の成果へも積極的に関係を結んでいったのに対して、現象学ではこの分野への関心が乏しく、分析哲学と現象学は対話もないまま長く対立・無関心の状態にあった。
 だが「心の哲学」が扱うテーマはもともと現象学の研究対象の中心と重なっている。そして1990年代から状況が変化し、現象学と分析哲学の心の哲学との関係に関する研究が現れるようになる。また認知科学も「意識」や認知における身体といったものを取り上げ始め、fMRIなどを用いた実験でも被験者の経験に関する報告が扱われるようになって、認知科学での現象学の役割が再評価されるようになった。
 こうした変化に対して現象学でもあらためて「心の哲学」の展開が活発化してきた、という状況がこの本の背景としてある。
 認知科学や分析哲学が現象学に対して持っている典型的な誤解へ反論しながら、心に関わるテーマとして「意識」「時間」「知覚」「志向性」「身体」「行為」「他者」「自己」といった概念への現象学のアプローチがそれぞれ説明されていく。

 現在の分析哲学が自然主義を支持するようになったのに対し、現代現象学はあくまでも非自然主義を保っていて、この本でも認知科学の自然主義や還元主義への反論が随所に見られる。
 ただし全体の主旨としては、認知科学や分析哲学を否定することが目的ではなく、むしろ現象学は彼らの研究にも貢献できるということ、そして現象学はもっと他分野と議論して「心の哲学」を展開していくべきだということが主張されている。


 総論
 現象学の方法 
    • 現象学の標語:「事象そのものへ」
      • 事象の経験のされ方こそを考察の基礎に据える
    • 現象学の主な問い
      • 事物が私たちの経験の相関物としてどのように現れるのか
      • 誰かが世界を経験するのはどのようにして可能であるのか
      • 客観性のようなものがいかにして可能であるのか
    • 現象学は現象性の本質的な(不変の)構造と可能性の条件を明らかにしようとする
    • 経験的現象と一人称的所与性の間の構成的な結びつきへ着目
    • 現象学の4つのステップ:「エポケー」「現象学的還元」「形相的変更」「相互主観的確証」
    • 現象学における「構成」というテクニカルターム:対象の顕現・現れ・有意義化を可能にするプロセス。このプロセスは重要な仕方で意識の貢献を含んでいる。意識なしに「現れ」はない。
 
 現象学に対する誤解 
    • 心の哲学や認知科学の研究者の大多数は、現象学をいまだに内観主義のようなものと同一視してしまっている。だが現象学の伝統をきちんと理解していればそのようなことは言えないはずだ。
 
 現象学が科学に対して貢献できること 
    • 意識や知覚の研究に対して哲学的に練られた方法論的なツールを提供できる。
    • 経験科学的な問題を定義するのに役立ち、科学実験のデザインに寄与できる。
    • 還元主義に陥らずに科学的に厳密な仕方で、経験的なデータの解釈を枠づけることができる。
 
 
 個別テーマ
 志向性 
    • 意識は、「何かについてのもの」だという決定的特徴を持つ:意識の「志向性」
    • 心の現象的・経験的側面の説明に関わるハードプロブレムにおいて、非還元的唯物論者が「志向性」と「経験」を分離して経験的側面(随伴現象的クオリア)のみが還元主義を免れると考えるのに対し、現象学は還元主義にも表象主義にもよらないアプローチを取り、志向性と経験を密接に関連し合うものと捉え、一人称的パースペクティブから志向性の説明を行う。
    • 表象理論の因果説は、幻覚や誤った表象、存在しない対象への志向を説明することができない。
      現象学では、志向性は指示対象が存在しなくても成立する関係として説明される。
    • 現象学にとって、志向性とは意味の問題である。私たちは対象について何らかのことを意味することによって対象を志向する。
    • 志向の対象は世界の中で常に特定の仕方で現れているものとして意識される。
    • 現象性は単に世界を現前させるものではなく、同時に自己を巻き込んでいる
    • 志向性は心に内的な要因で規定されているのか、それとも心に外的な要因で規定されているのかという問いに対して、現象学は内部/外部の区分自体を疑う。心は容器でも特殊な場所でもなく、心と世界は構成的に一つに結びつけられている。両者は関係項を構成する内的関係にあり、因果性という外的関係にはない。
 
 意識・自己 
    • 経験は暗黙のうちに私の経験として特徴づけられている;経験における直接的な一人称的所与性という不変の次元
      これは、現象的意識の構成的特徴であり不可欠な部分を成す「前反省的自己意識」から説明される必要がある。
    • 現象学は高階説と異なり、自己意識をメタ意識や随伴現象と見なすことを否定し、自己意識は一次的経験の内在的特徴であると主張する。
    • 前反省的自己意識において、経験は対象としてではなく、まさに主観的経験として与えられる。志向的経験は、体験されてはいるが、対象化された仕方では現れない。それは見られも、聞かれも、考えられもしない。
    • 自己とは経験的現象の一人称的現れのことであり、神経学的な錯覚ではなく経験的実在性を持つ。自己経験とは、その最もプリミティヴな段階では単に自分自身の意識に前反省的に気づいているということであって、このことが経験を主観的にする。
 
 時間 
    • 過去把持と未来予持は、現在の時間を経験する「幅」を可能にし、意識の時間的な流れを可能にする不変の構造的特徴
    • 未来予持/原印象/過去把持の間の関係は、時間的な流れの内部に位置づけられる事柄の間の関係ではなく、むしろこれらの関係が当の流れを構成し、現在/過去/未来の感覚を可能にしている。
 
 知覚 
    • 世界についての知覚とは、私たちを触発し、私たちの身体的な行為を呼び起こす環境についての知覚であり、常に文脈づけられている
    • 言語的志向は知覚的志向に比べて原初的・根本的ではない。
      • 前言語的認知の存在を否定し、何かを何かとして把握することは言語の使用を前提すると主張すれば、そもそも私たちが一体どのようにして言語を獲得するのかが理解できない。
    • 知覚のエナクティヴ理論:表象主義的見解に対する前途有望な代替案
      • エナクティヴ論者にとって行為のありかは脳内ではない。視覚はニューロンのネットワークに生起する表象ではない。むしろ視覚とは、環境を探索する全体としての有機体の行為である。
 
 身体性・行為 
    • 身体は、知覚と行為のすべてにおいて作動している。それは私たちの視点と出発点を構成する。
    • 身体は世界の事物がそのうちで現れる知覚空間の起点であり、その空間性は、状況の空間性
    • 「所有の感覚」と「行為者性の感覚」の区別
 
 他者 
    • 「心の理論」に対する理論説とシミュレーション説の双方へ反駁
    • 他者の意図と相互主観的な知覚は自己にとって直接的であるが、一方で他者の意識と私自身の意識にはあくまで差異があり、むしろその差異があることが私の経験を、他者についての経験として構成する。
    • 私の知覚対象は他の主観によって知覚されうる射映を常に所有するため、それは継続的に他の主観に関係しており、結果的に内在的に相互主観的なのである。
    • 「いかにして他者の心へ接近できるのか」という他者の心の問題は間違っている。
      • もし私が他者の意識に対して私の意識に対してと同じようにアクセスできるとしたら、他者は他者であることをやめ、私の一部になっているだろう。
    • 身体的振る舞いが嘘、騙し、隠蔽の余地を持ちながら心的状態を表現すること、そして心的状態を表す言語を自分と他人とに適用する学習を通して、相互主義的理解が可能となっている。
 

 

グレッグ・ベア “鏖戦/凍月”

“HARDFOUGHT / HEADS”
 1983, 1990
 Greg Bear
 ISBN:4152102268




 グレッグ・ベアの中編『鏖戦』と『凍月』を収載したもの。
 特に『鏖戦 HARDFOUGHT』は、自分にとってSFのなかでのオールタイム・ベスト。
 最初に読んだのは『80年代SF傑作選』のなかでだったけど、今回の解説にも載っている初出誌コメントがそこで提示されていた。

作者紹介の前に警告を。あなたが読もうとしている作品は、これまで本誌に載ったどんな作品とも違います。難解です──就寝前にさっと読める代物ではありません。けれどもこれは、とても読み甲斐のある作品です。読むのにかけた時間と労力を、あなたが後悔することはないでしょう。

 ここまで唯一無比を謳う解説コメントもなかなかない。この紹介文のインパクトがすごくて、ある意味作品本編と常にセットで載せるべき文章だと思っているのだが、中身を読むと実際これに違わぬ内容。40年も経った現在に見返してもまったく評価は変わらない。
 山岸真による本書の解説でも「最上級の傑作SF」「ノヴェラに絞ればこれが第一位」「作者が自身の最高傑作と呼んだ作品」と賛辞があふれていて、ただ同感するばかり。


 内容を自分で要約することにすら快楽があるというような作品なので、あらためてまとめておくと、
──遠未来。技術的・社会的・生物的に変貌を遂げた人類の子孫が、異質な知性種族と生存をかけて終わりなき戦争を続けている宇宙。人類側の戦闘員であるプルーフラックスと敵種族の研究員である阿頼厨は局地戦で対峙し続けていたが、阿頼厨の研究と両陣営の情報記録テクノロジーを媒介としてふたりの運命は交錯し、互いを理解する境地へ肉薄しつつも、巨大な戦争の構造に翻弄され悲劇的な末路を辿る。
──といったところ。

 異質な敵種族を独特の言語感覚でみごとに描き分けたという点で、酒井昭伸翻訳の最高作品であるとも思う。
 なお、今回いくつか訳が変更されている。メランジェ→メランジ、蔵識房→蔵識洞。マンデイトに「全人類通艦」、オーバーに「上位者」という語を当てたり。
 ただ、「あなたは研究職に配属されたわ」という訳文はそのままだった。原文は "You have been receiving a researcher." で、これは「あなたは研究者を受容し続けてきたわ(=研究者と性的関係を持ち続けてきた)」という意味。(だから "Has that been against duty?(軍規に反することでしたか?)"という台詞が続く)


 むかしから思ってるんだけど、この作品は絶対いつか誰かがアニメ化すべき。
 最後にあらわれる、より進化した戦闘者のイメージとか特に。
 次のシーンもすごくアニメ的だと思う。

プルーフラックスとその影は力の渦に巻きこまれ、双子の彗星のように絡みあった。一体は赤、一体は鈍い灰色──。
「だれ!」フィールドのなかで相手に接近するや、プルーフラックスは叫んだ。
 彼我のフィールドが融合する。がっちり組み討った。周囲はしだいに昏くなっていく。その混乱のただなかで、彼女は敵とともに原始星から引きずりだされた。そこでついに、相手の顔を見た。
 わたし──?

 敵種族が人類を研究しようとつくりあげた「人間と施禰倶支の中間体」というのもアニメと親和性高い設定だと思う。

 種子船
 はまるで
 翳のなかの翳
 全長は二十二キロ、それでも
 乗せている胞族は
 たったの
 六つ
「出撃」飛翔!

 改行を自由に駆使してリズムをコントロールし、スピード感を強調する文体。

徐々に徐々に、脱出洞がより単純な次元へ滑落していく。
まるで存在しなかったかのように。

 SF的ダイナミズムの描写。
 無相角テクノロジーの原理もとてもよい。

「物質は夢を見るんだ」十年も前、ある教官がそういった。「みずからが現実であることを夢見て、つねに結果を出すことにより、物質は法則をねじ曲げ、その夢を維持する。その夢を攪乱するには、法則の歪曲が不定の結果をもたらすようにしむけてやればよい。そうすれば、物質はみずからを保持できなくなる」

 こういうSF的超テクノロジーのリリカルな描写についてはベアは突出している。(『飛散 Scattershot』での超光速航法を説明する台詞とか)

 そして本作品は特にテーマが切なく詩的。

「しかし、みずからの心を荒廃させてまで勝利すべき戦いなど──それほど重要な戦いなど、ありはしない」


 恒常的戦争状態へ身体と社会構造を徹底して適応させた人類。そのなかでの個人の悲哀と微力な抵抗というのが物語の軸にあり、そこにグラブや無相角、時縛繭といった豊富なSFガジェットを絡ませて、コントラストの効いたふたつの勢力とその戦争──文字通りの “鏖戦”ハードフォートを描いていく。それらが中編のなかに高密度に詰め込まれながら、強い印象のラストへ疾走して収束する。
……もう一度言うけど、とにかくこの作品はアニメ化される必要がある。


 

Sleaford Mods “UK GRIM” (2023)



UK GRIM [輸入盤CD] (RT0391CD)_1692



 音楽の分類としてはポスト・パンク〜ラップ・パンク。ベースが効いたシンプルで飾り気のない楽曲を背景に進む乾いたラップ。
 スタンスとしては「攻撃的ユーモラス」といったところ。当然ながらワーキング・クラスで、ためらうことなくポリティカルでソーシャル。
 メンバーは50代2人。40代半ばにようやく世の中に認知され誰も若い頃の姿を知らぬまま登場したようなユニットだが、枯れた感じはなく、攻撃性にパワーがある。ろくでもない世の中に対してはっきりろくでもないと言うタイプの音楽。
 よかった曲:M-4 “Tilldipper”, M-11 “Pit 2 Pit”, M-13 “Tory Kong”


 ヴォーカル Jason Williamson へのこれらのインタビューがおもしろかった。
 Sleaford Mods interview: The UK is grim
 Sleaford Mods interview: Why would you be proud of being British?



Sleaford Mods
Information
  Years active  2007 -
  Current members   Jason Williamson, Andrew Fearn
 
Links
  Officialhttp://www.sleafordmods.com/
    Bandcamp  https://sleafordmods.bandcamp.com/
    Twitterhttps://twitter.com/sleafordmods
  LabelRough Trade  
https://shop.roughtraderecords.com/release/363548-sleaford-mods-uk-grim

ASIN:B0BT7MDV2Y


古田徹也 “このゲームにはゴールがない ──ひとの心の哲学”






 言語哲学のアプローチで「心」というものに迫る本。
 心身問題や他我問題などさまざまな難題を孕む「心」というものに対して、「心とは何か」という問いよりも、そもそもその「心」という語・概念で何を意味しようとしているのか、それはコミュニケーションの実践のなかでどのように用いられているものなのか、という問いから考えていく。
 「心」にまつわる懐疑論は言語的混乱に基づくのであって、まずそれらを整理するべきだというアプローチをとる。ただそうした「混乱」は理論の失敗というより、むしろ悲劇と見るべきであって、「心」というものが「虚偽」や「振り」を含みながら日常のコミュニケーションの実践のなかで扱われるあり方が生の価値につながっている──という内容。

  • 主題
    • 「他者の心を確実に知ることは果たして可能なのか」という他我問題に対して、懐疑論者は「真の意味で他者の心を知ることはそもそも不可能である」と主張するが、この懐疑論は何を言っているのだろうか/何を意味しているのだろうか。

  • 主な参照先:カヴェル、およびカヴェルを経由したウィトゲンシュタイン

  • 注記
    • 他者の心についての懐疑論には以下のようなタイプがあると考えられる。
      • (1) 外界についての懐疑論の一環としての、他者の心についての懐疑論
      • (2) 他者の心の存在についての懐疑論
      • (3) 他者の心中についての懐疑論
    • 本書では我々の実生活に浸透している懐疑論として「(3) 他者の心中についての懐疑論」を扱う。


 「知っている」とはどのようなことなのか 
    • 「我々は外界や他者の心について本当に知っていると言えるのか」ということを考える前に、そもそも「知っている」とはどのような概念なのか。
      • 「知っている」という概念は通常、知らない可能性がある場合にのみ用いられる(ウィトゲンシュタイン)
    • 懐疑論者:「人は外界について何も確かなことは知らない」(「他者に心が存在するかどうか私は知らない」)
    • ムーアの反論:「ここに私の手がある」「地球は、私の生まれる遥か以前から存在していた」等は確実な知識である、といった素朴な実在論的主張
    • ウィトゲンシュタインの批判:ムーア命題は、そもそも「知っている」「知らない」という概念自体が普通は適用されない事柄。何らかの根拠によってその存在が確証されているような事柄ではなく、実践の前提として疑いを免れている事柄に他ならない。
    • 我々が立てる問いと疑いは、ある種の命題が疑いの対象から除外され、問いや疑いを動かす蝶番のような役割をしていることによって成り立っている
 
 ウィトゲンシュタインの「規準」「文法」概念 
    • 痛みを「痛み」といった言葉で呼びうるのは、その種類の感覚が「痛み」であるための諸々の「規準」があるから
    • 〈痛みそのもの〉は痛みの諸規準とは独立のように思えるかもしれないが、痛みを感じていることを自分自身が理解するために、痛みを感じていることの規準(=「痛み」という概念の文法)が必要であり、それらが組み込まれた生活形式が必要となる
    • 我々が生活を営むうえでの基礎的な概念の文法的規準に従っていることが、互いに理解し合うことを可能にするそもそもの条件

    • 規準
      • 規準=定義というわけではない。規準は、何かの存在を確実に立証するためのものではない
      • 規準の充足は、確実性ではなく関連性をもたらす
      • 規準は「虚偽」「振り」を可能にする

    • 「感覚は私秘的なものだ」という文は痛みの概念の文法を語っているだけにすぎない
    • 「なぜ他者に心が存在するとわかるのか」という懐疑論者は、規準の充足が他者の心的状態の中身を絶対確実に保証することを要求しているが、それは的外れな要求

    • 心的概念は、構成する諸概念同士が互いに関連して位置づけ合うという全体論的性格によって輪郭づけられる(デイヴィドソン)
    • 証拠として機能する諸規準自体に不確実性が組み込まれている心的概念は、本質的に揺らぐ概念
 
 「心的なもの」という概念は何を意味するのか 
    • ウィトゲンシュタイン:それは内面にあるのではなく、それが内面であるのだ
      • 「心」という言葉に対応する私秘的領域が身体内に存在するから他者の心中が不確実だというのではなく、我々はそのような不確かさがつきまとう状況を「心」「内面」といった言葉や諸々の心的概念によって意味しており、「心的なもの」は我々が営むそのような言語ゲームのうちに存在する。

    • 懐疑論の教訓:人間が世界に対して持つ関係は〈知る〉とか〈知らない〉という言葉で懐疑論者が考えているような関係ではなく、〈受け入れる〉と表現すべき関係である。
 
 言語ゲーム 
    • 子どもは何年もかけて、言葉を用いた虚実入り交じるコミュニケーションの複雑な言語ゲームを習得していく。
      • 「嘘」や「演技」といった能力とそれに伴う諸々の理解の獲得にも、「見掛け」「現実」「事実」「多面性」「多義性」「意図」「虚偽」「信念」といった基礎的な概念を自ずと理解しているということが含まれる。
    • 我々はそのようなゲームに参加できるがゆえに、互いの行為やその理由などを、しばしば誤解しつつ理解することができる。
      重要なのは、この「しばしば誤解しつつ」というのは、むしろ理解が成立するための条件だということ

    • 敢えて、このゲームのゴールないし目的を挙げるとすれば、それは、ゲームを終わらせないことそれ自体である。

    • 我々は自分たちの心的状態について、まさに普通に振りをしたり嘘をついたりして暮らしているし、お互いにそのことをよく了解している。
    • 我々が他者を見るときの一定の心構えは、懐疑的なものとして特徴づけられるべきだ。
    • 他者に対してしばしば懐疑的な眼差しを向けること自体が、他者を他者として受け入れることを部分的に構成する。



 

Rian Treanor & Ocen Jame “Saccades” (2023)



Saccades



 UKのエレクトロニック・ミュージックのプロデューサー Rian Treanor がナイジェリアのレーベル Nyege Nyege に招待されて現地滞在したことを契機に、伝統楽器奏者 Ocen James と共につくったアルバム。マスタリングは Rashad Becker がおこなっている。
 欧米のエレクトロニック・ミュージシャンがアフリカのトラディショナル・ミュージシャンとコラボレーションする場合、打楽器を取り上げることが多いイメージがあるが、Ocen James が演奏する “rigi rigi” は弦が一本の弓奏楽器で、アルバムを通してメロディの主軸を成しており、Rian Treanor はリズムパートを含めその他の要素と全体構成を手がけている。
 M-6 “Naasaccade” のように rigi rigi がフィーチャーされていない曲もあって、むしろこうした曲で Rian Treanor がナイジェリアの音楽からどういう刺激を受けたかが見える。
 M-10 “Remo Rom” は Farmers Manual によるリミックスで、ノイズとヴォーカルがパーカッシヴに入り乱れておもしろい。



Rian Treanor & Ocen James






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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell