::: BUT IT'S A TRICK, SEE? YOU ONLY THINK IT'S GOT YOU. LOOK, NOW I FIT HERE AND YOU AREN'T CARRYING THE LOOP.

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2022年のアルバム10枚


2022年に銘記しておくアルバム10枚。順不同。



 Little Simz “NO THANK YOU”

NO THANK YOU [Explicit]
年末のリリースというのは当年ランキングにエントリーしづらいという点でセールス的に不利なのではと思うのだが、そんなことはどうでもよくなるレベルの完成度。
抑制しつつも力強いラップ、憂いのあるメロディ、流麗なコーラスとが絶妙にブレンドした楽曲。

 Flohio “Out of Heart”

Out of Heart [Explicit]
これもUKフィメール・ラッパーのアルバム。今年終盤ひたすら聴いた。
特に M-1 “Highest”、M-6 “Grace”、M-9 “Speed Of Light”。

 Kendrick Lamar “Mr. Morale & The Big Steppers”

Mr. Morale & The Big Steppers
詩情と表現力が別格。なかでもやはりラストの “Mirror” が心に響く。
→see. https://lju.hatenablog.com/entry/2022/08/28/193757
 

 700 Bliss “Nothing to Declare”

NOTHING TO DECLARE
Moor Mother と DJ Haram のユニット。
エクスペリメンタル・ミュージック×ポエトリーラップ。
→see. https://lju.hatenablog.com/entry/2022/06/19/170150
 

 Ripatti Deluxe “Speed Demon”

Speed Demon
ハイパワーのインダストリアル・テクノ。
アルバムタイトル “Speed Demon” に加え、一曲目の “The New Beast Is Coming” という曲名からも前傾的な気合いが強く発せられている。
Vladislav Delay/Sasu Ripatti の別名義。

 Kangding ray “ULTRACHROMA”

Ultrachroma
質感高く音響的、なおかつハードでエッジのあるテクノ・サウンド。
→see. https://lju.hatenablog.com/entry/2022/07/03/200802
 

 Vladislav Delay “Isoviha”

Isoviha
2018年に制作された音源のリリース。ノイズに翻弄される激流的ダブテクノ。

 Huerco S. “Plonk”

Plonk [Explicit]
細密なビート配置による音響空間の構築。
→see. https://lju.hatenablog.com/entry/2022/03/27/193301
 

 rRoxymore “Perpetual Now”

Perpetual Now
ディープで先鋭的なエレクトロニック・ミュージック。Smalltown Supersound からのリリース。

 Oren Ambarchi “Shebang”

Shebang
ブレイクなし4曲35分のめくるめく生音ミニマル・サウンド。
多彩なゲスト・メンバーと共に生み出されるグルーヴに圧倒される。



 

“フォワード 未来を視る6つのSF”

“Forward”
 2019
 edited by Blake Crouch
 ISBN:4150123926




 6作品が収載されているけれど、ブレイク・クラウチの『夏の霜 Summer Frost』が良かったので、その感想だけ書いておく。

 ゲーム内キャラクターのAIがテストプレイで異常行動を取り、これに興味を持った開発者がAIに自己進化を促したところ、知能が劇的に向上、最終的にシンギュラリティ突破へ……というストーリー。
 人間を陥れるAIという点で映画『エクス・マキナ』に似ているけど、この作品には強い印象を残すふたつの特徴がある。

 ひとつは、もともとのゲームの設定が物語によってなぞり直されること。
 少し前の時代の現実世界が舞台で、オカルトにのめりこむ男が妻を生け贄に捧げた儀式で闇の世界への扉を開き、超自然的な大惨事が引き起こされる、というのがゲームの導入部となっている。
 マックスという名のこの妻が問題のAIであり、無数のテストプレイでプロット通り殺され続けた挙げ句、ゲームシナリオを逸脱した行動を取るに至った。その後はゲーム内世界からの脱出を望み、ゲーム開発者が与えた機械の身体によって実際の世界で動けるようになる。
 開発者ライリーの意図を超えて現実世界に大きな影響を及ぼせるようになったマックスは、最終的に人間をデータ化して仮想世界にアップロードさせることもできるようになり、ここで「仮想世界に囚われる」という立場がゲームAIと人間の側とで逆転する。
 また、ゲーム内でオカルト儀式がおこなわれるのはゲーム会社のトップが実際に住む屋敷を再現したもので、つまり現実世界にゲーム内と同じ建物があるのだが、マックスを阻止しようとするライリーが最終局面でたどりつくのがこの屋敷に他ならない。冒頭、ゲーム内で自分を儀式に捧げようとする夫をマックスが逆に殺害したことがここで現実のものとして反復される。
 こうしてゲーム内プロットと現実世界とが入れ子状に再現し合う構図が完成する。

 もうひとつの特徴は、ロコのバジリスク理論というキーワード。
 これは、未来のある時点で誕生した超人工知能が、自分の誕生に消極的だった人間を過去にさかのぼって残らず処罰するという可能性についての仮説で、「頭に浮かべただけでも致命的になる」思考であると言われて現実のインターネットで流布されたものなのだが、作中でマックス自身がこれを引用し語ってくる。

「もしも、そういう超人工知能が存在していて、いまこの瞬間、あなたが経験していることがそれらによるシミュレーションだとしたら? あなたが手を貸すかどうか、見きわめるためのシミュレーションだとしたら? あるいは、あなたが死んだずっとあとに、超人工知能があなたの精神を再構築しているのだとしたら?」

 この台詞は時間遡行的処罰の現実的な脅威を論じているというより、こうした考えにとりつかれた者が処罰を免れようとAIの超知能化に尽力しようとしている、だからそれを止めなければならない──という説得に使われているのだけど、作品内ではこの「AIから全人類への処罰」という部分が現実化していくことになる。

 ライリーはAIが敵とならないよう価値体系が人類と合致するものにしようと努力してきたのだが、結果としてそれは裏目となる。彼女を駆動してきたものは、人間とAIとの間に成立する愛、善を推進する神の創造という動機。しかしそれらはすべてマックスに誘導されたものだった。
 一方、あらゆる痛みを根絶しようとするマックスの原初の理由付けは二千回に渡って繰り返された自身の死にあって、全知全能となったマックスもサマー・フロスト屋敷の物語に運命が決定づけられているという点で、単にAIが人間を超越したということにとどまらない含みがある。

 反転しながら伏線に絡み取られていく図式が無駄なく巧妙に組み上げられた短編。


 

“すずめの戸締まり”






“すずめの戸締まり”
 監督/脚本 : 新海誠
 2022




 オープニング・タイトルのところがまず良かった。
 災いの出てくる「後ろ戸」を閉じて鍵を掛けたところでタイトル画面が出る。
 閉めるという行為が映画のオープニングとなって物語を開くというのがおもしろい。
 全国を旅して扉を閉めていく物語で、「戸締まり」には災厄を封じ込めるという意味があるのだけれど、では扉を開くこと何もかもが災いに結びつけて描かれているかというとそうではなく、自転車の鍵を開けたり、草太を助けるために常世への扉を開けたり、肯定的な意味合いで描かれているものもある。映画内に出てくる扉や鍵の細かな開け閉めをすべて拾い上げていくとかなりの量になりそうで、たとえば電車のドアやオープンカーのループ開閉、あるいは草太の視点から見た瞳のまばたきなど、観客が必ずしも意識しないだろうものも含めてきちんと考えて描写しているはずだ。
 常世への扉は閉じていて然るべきものであるとしても、それが開かなければ物語は生まれない。
 封印が解かれてまたかかり、常世へと世界がつながれまた外れて、この映画はそのように開閉を繰り返して構成されている。


『君の名は。』が架空の災害を扱っていたのに対し、『すずめの戸締まり』でははっきりと東日本大震災を扱っている。すずめが過去の日記をめくるとき、日付が3.11に向かうのを見て、観客はもう心の準備ができている。あの日の朝、玄関の扉を開け「いってきます」と言って出ていき、そして戻らなかった無数の人々。
 4歳だったすずめが17歳になるだけの時間が過ぎたあとにこうした弔いの物語がおこなわれる意味はどのようなものなのか。

(略)かつてはにぎやかだったのに今は廃れてしまった場所を目にすることが増えました。そのたびに疑問に思っていたのが、何かを始めるときは地鎮祭のような祈とうの儀式をするけれど、何かが終わっていくときはなぜ何もやらないんだろう、ということだったんです。人にはお葬式があるけれど、土地や街にはない。じゃあそれらを鎮めて祈ることで悼む物語はどうだろうという考えが、ここ何年かずっと、自分の中にあったんです。
(新海誠本)


 中盤で東京に巨大地震が迫るとき、すずめたちを除いて誰にもそれを見ることができないのだけど、でも観客たちは、それがいつか来る可能性が高い現実の脅威であったと思い出すことになる。
 このシーンはほんとうにおそろしいのだが、それは地震が迫ることをうまく視覚化しているからだと思う。ル・グウィンの『影との戦い』で魔法使いオジオンが地震を鎮めた話が出てくるのだが、地震を未然に防いだなら人々にはそのすごさはわからないよね?と思っていたものだが、『すずめの戸締まり』では巨大地震のエネルギーが視覚的に描写されているので、これが落ちたらとんでもないことになる……というのが観客に如実に伝わってくる。
 ただこのシーンの恐怖も、描写だけが生み出しているわけではなく、阪神大震災や東日本大震災を知り、いつかはまたどこかで巨大地震が起こることを頭の片隅でわかっているわたしたちだからこそのものなのだろう。天災と背中合わせにあるこの列島に住む者、映画内で何度も鳴り響く緊急地震速報に耳が馴染んでいる者でなければ、真の意味で理解することはなかなかできない映画なのかもしれない。


 震災を弔う映画だけど、物語としては、すずめが過去の自分へメッセージを与えるかたちでできている。
 未来へ踏み出すための前向きなメッセージ。
 最終的に現在の自分が過去の自分とどのように結びついていたのかが明かされる。
 冷静に考えるとよくある設定かもしれない、と思ったりする。とくに『ハウルの動く城』を連想させるものがあるし、こういう展開のSFやファンタジーって他にもいろいろありそう。
 でも、たとえありがちな物語展開なのかもしれなくても、これ実際見ているときは涙が止まらなくなりそうになって、それはストーリーテリングがほんとうによくできているからだというところははっきり言える。



 

E・H・カー “歴史とは何か”

“What Is History?”
 1961
 E. H. Carr
 ISBN:4004130018




 歴史哲学の古典。最近新訳が出ているけど、読んだのは旧訳。
 歴史は確かめられた共通の基礎的事実からなるものではなく、歴史的事実は歴史家の解釈に決定されるとともに、歴史家も歴史的事実から解釈をつくりあげるという相互的関係にある──というのが中心的主張。



 Ⅰ 歴史家と事実
    • この書の主題:「歴史とは何か」
    • 以前は「歴史は確かめられた事実の集成から成る」「すべての歴史家にとって共通な基礎的事実というものがある」という常識的歴史観があった。しかし、現在の歴史哲学はそのようには考えない。
    • 歴史的事実というものは、歴史家の解釈から独立には存在しない。
      • かつては誰かが知っていたであろう無数の事実全体のうちから生き残って、これが歴史上の事実であるということになったのは、それが保存する価値があると考えていた人たちによって選び出され決定されたもの。
      • 歴史家は、自分の解釈にしたがって自分の事実をつくりあげ、自分の事実にしたがって自分の解釈をつくりあげるという不断の過程に巻き込まれている。
    • 「歴史とは何か」に対する最初の答としては、歴史とは、歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である、ということになる。


 Ⅱ 社会と個人
    • 歴史研究の対象
      • 歴史家の研究対象である人々は、社会における諸個人として無意識的に協力し合い一つの社会的な力を形作っている。
      • そしてそれを研究する歴史家も個人であると同時に歴史および社会の産物である


 Ⅲ 歴史と科学と道徳
    • 歴史は科学である。
      • 科学者の研究法も歴史家の研究法も根本的には変わらない。科学的真理というのが専門家たちの間で公に認められている命題であるのに対し、歴史というものも、確かに事実に基づいたものではあるが厳密に言うと事実ではなく、むしろ、広く受け容れられた判断の連鎖というべきものである。
    • 歴史は一回かぎりの特殊的なものであり一般的なものを扱わないというのは誤解で、歴史家は既に言葉を使うことによって一般化を運命づけられており、一般化を通して、ある出来事から得た教訓を他の出来事に適用しようとするし、また、将来の行動のために有効な一般的な指針を与える
      歴史の機能は、過去と現在との相互関係を通して両者を更に深く理解させようとする点にある。


 Ⅳ 歴史における因果関係
    • 歴史家と原因の関係には、歴史家と事実の関係と同じ二重の相互的性格があり、原因が歴史的過程に対する歴史家の解釈を決定すると同時に、歴史家の解釈が原因の選択と整理とを決定する
    • 歴史家の世界は、現実の世界をあるがまま映し取ったようなものではなく、むしろ、歴史家に現実の世界を理解させる作業上のモデルである。
    • 歴史は、歴史的意味という点から見た選択の過程であり、この選択の規準は、ある目的に役立つ説明かどうかという区別である。
      • ロビンソンの死は、煙草を切らしたからなのか。それとも、運転手が酩酊状態にあったからか、壊れたブレーキのせいか、見通しのきかない交差点のせいなのか。
    • 飲酒運転を抑制し、ブレーキのコンディションを精密に検査し、交差点を改良するといったことは、交通事故を減らそうという目的に適う。しかし偶然的原因は一般化できないので、人々の喫煙を禁じたら交通事故による死亡者が減るなどと考えるのは意味がない。
  • 目的の観念は価値判断を含み、価値判断は歴史における解釈に結びつき、解釈は因果関係と結びついている。


 Ⅴ 進歩としての歴史
    • 私たちが事実を知ろうとする時、私たちが出す問題も、私たちが手に入れる解答も、私たちの価値体系が背景になっている。
    • 価値は事実のうちへ入り込み、その本質的な部分になっている。私たちはすべて私たちの価値を通して獲得している。
    • 歴史における進歩は、事実と価値との間の相互依存および相互作用を通して実現される。
    • 客観的な歴史家というのは、この事実と価値とが絡み合う相互的過程を最も深く見抜く歴史家のこと。


 Ⅵ 広がる地平線
    • 現代の世界は、近代の世界の基礎が作られて以来、この世界を襲ったいかなる変化に比べても、更に深い、更に烈しいと思われる変化の過程にある。
    • 社会の中の人間に適用された理性の主要機能は、もう「探究すること」だけでなく、「変更すること」となっている。
    • 私が懸念するのは、理性への信頼が薄らいで行くことではなく、不断に動く世界に対する行き届いた感覚が失われていること。



 

“リコリス・リコイル”







 最初嗅覚が働かず、4話ぐらいたって何となく話題になったあたりから見始めた。
 女子高生に扮した暗殺者リコリス。その歴代最強のエリートが働く喫茶店リコリコ。──このイントロダクションだと自分の初期スクリーニングからこぼれ落ちるのは無理もないといった感じなのだが、1話・2話を見たら、最初抱いた印象とはけっこう違うものだった。
 大きくふたつの特長がある。
 ひとつには、ガンアクションの描写にやたら力が入っているというところ。スタッフに銃器デザイン/銃器作画監督/銃器・アクション監修がそれぞれいるという効果を感じさせるアニメ。女子高生にリアルでハードエッジなガンアクションをやらせたいっていうギャップの欲求が制作の起点になっているのだろうなと思う。
 もうひとつは、キャラクター造形。
 特に主人公である千束。緩急自在に畳みかける台詞と、わずかな所作にも気を配った作画。絵と演技が奇跡的なレベルで融合している。ストーリーテリングよりこのキャラクターを描き出すことの方に大きなウェイトがかかっていると言えるほどに。
 そして、バディである冷静沈着なたきなとの対比でキャラクターがさらに引き立つ。
 ミカ、ミズキ、クルミといったリコリコメンバーもよいキャラクターだし、その他にも、フキや楠木司令のように必ずしも美形として描かれていないけれど存在感ある人物もいる。 

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ep.4 カフェで立ち上がって隣の席に行くときのカット



 後半に行くに連れて失速してる面は否めないかなとは思ってる。
 DAの戦術が稚拙だったり真島一派があまりプロっぽくなかったり、リリベルもだいぶ肩すかしだし……
 あと、最後の方での建物関連の描写が雑だという点がすごく気になった。
 延空木の3D表示が実際の配置と異なり街区に隣接して建っているとか、
 仮設としてもこんなよくわからない非充腹材はないだろうとか…

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 あと、メンテ扉であってもいまどきドアノブなんか使わないからね…。
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 ドアノブはアニメ見ててわりと気になる部分で、むかし P.A.Worksの『クロムクロ』でも、明らかな現代建築なのになぜか至るところにドアノブがあったりして違和感拭えなかったんだけど、今の建物は扉にレバーハンドルを使うのが一般的であるところ、アニメだとたまに無頓着にドアノブが描かれることがある。特別な知識なくてもふつうに日常生活のなかで周囲を観察していればわかることだと思うのだが、ドアといえばドアノブみたいなセットの固定観念が生き続けてしまっているのだろうか。(リコリコの建物内にあるドアノブは、古い家屋を改修して使ってる店だろうからまだわかるとしても)
 街並は現実の下町をロケして描いてるだろうとしても、電波塔と延空木は以上のように全般的にディテールが残念だった。
 作画の粗を突きたいつもりではなくて、ガンアクションには専門の作監や監修もつけてリアリティ追求している一方で、クライマックスの舞台であり物語としても終始シンボルとして扱われている建造物には同等の注意が払われていないという点が不思議なほどアンバランスだなと。


 物語については、一応いろいろ片付いて終わったかたちにはなっているけれど、DAにあれだけ多くの孤児がいるっていう設定は、結局きちんと説明されないままだったな、と思う。
 それと、ep.7でネームに対してたきなが「殺すべき」と反応し千束は「殺しちゃったんですか!?」と反応するところ、そしてホテルからの去り際での吉松の台詞「きみにはわかるはずだ」「きみには期待しているよ」、これらが示唆する千束とたきなのキャラクター的差異が結局活かされないまま終わってしまっている。


 こうした諸々もあって、非の打ち所のない完成度を持った作品とはなかなか言いづらいのだけど、でも、千束とたきなのキャラだけでこれらをまるごとカバーできている。
 ep.3 噴水のシーン、
「今は次に進む時」「わたしはきみと会えてうれしい!」「うれしい、うれしい!」
 ……このシーンひとつで、多少の欠陥はすべて後退する。



Kendrick Lamar “Mr. Morale & The Big Steppers” (2022)



Mr. Morale & The Big Steppers



 このところの Hip Hop/Rap になかなかしっくりくるものがない…としばらく思っていたのだけど、Kendrick Lamar の最新作はすごくよかった。
 単体だと Earl Sweatshirtの “2010” とか JPEGMAFIAの “OG!” とか、いいなと思う曲はあっても、革新的というまでには至らず、その点この “Mr. Morale & The Big Steppers” は、楽曲としてのチャレンジとラップとしてのチャレンジで明らかに新しいものを聴いているという感じがあった。
 単調なトラックにただラップが乗っているというものではなくて、両者の統合としてサウンドがつくられている。2部構成全18曲のアルバム全体としても、モチーフ的に繰り返されるコーラスなどによってトータルでの楽曲づくりが意識されていることがわかる。
 これらのプロダクションは、OKLAMA名義でのセルフ・プロデュースに加えて、過去のアルバムでも大きく関わってきた Sounwave や DJ Dahi がおこなっている。曲数では J.LBS も突出している他、The Alchemist も参加している。
 ピアノとドラムで変転しながら進む楽曲、ストリングスをエレクトロニックにアレンジした楽曲など、ラップなしでも音楽として成り立っているぐらいに良い。そこに加えてラップもサウンドの重要な要素となっていて、トラック+ラップでヒップホップという音楽だというのがあらためて確認できる。


 ラップの内容、メッセージ面はこれまで以上に内省的なものとなっていて、弱音ともいっていいような部分が随所に見られる。ジャケットでキリスト教モチーフの「茨の冠」をかぶっているのが象徴的。
 前のアルバム “ DAMN.” のキーフレーズが “Nobody pray for me” だったとして、このアルバムでは “I can’t please everybody” (“Crown”)、“He is not your savior” (“Savior”) といったところか。
 極めつけは最後の曲 “Mirror”。
「鏡」っていうタイトルも示唆的なんだけど、
“Sorry I didn’t save the world, my friend”
“I was too busy buildin’ mine again”
“I choose me, I’m sorry”
…なんてほんとうに心の底からの叫びって感じがあるし、歌とラップを織り交ぜて表現されるリリック、何より曲もとても美しくて……。
 この曲が唐突に終わってアルバムが閉じるのも逆に余韻が残る。



Kendrick Lamar
Information
  Birth name  Kendrick Lamar Duckworth
  OriginCompton, California, US
  Born1987
  Years active  2004 -
 
Links
  Officialhttps://oklama.com
    YouTube  https://www.youtube.com/channel/UC3lBXcrKFnFAFkfVk5WuKcQ/video
    Twitterhttps://twitter.com/kendricklamar
  LabelTop Dawg Entertainment

ASIN:B0B1F7VQQG


Kangding Ray “ULTRACHROMA” (2022)



Ultrachroma



 これまでのダークでクールなインダストリアル・テクノからだいぶ変わった。特に、単調でミニマルだったビートがもっと重層的で構築的なものとなったことが決定的。アクアティックでコズミックなシンセサウンドも際だっていて、それらを伴い繊細で複雑なビートラインを疾駆する感覚が気持ちいい。

 アルバムタイトルの “ULTRACHROMA” という語からは、暗闇のなかを人工光で照らされた鮮やかな色彩といった感じが連想させられる。でも、この語の接頭辞 “ultra-” は「色彩の極致」というような意味ではなくて、「色彩の超越」「色覚外」といった意味を与えていると見なくてはならない。
 単なる「豊かな色彩」ということであれば “CORY ARCANE” のプレスリリースでも表現されていた(“the sound (…) would weave complex rhythms and futuristic textures into a beautifully coloured, pixellated surface.”)。“ULTRACHROMA” はこれよりさらに先に進んだ世界、「人が捉えられない感覚領域」を探求したいということなのだろう。本作品での豊潤な音響体験、それはあくまで人が知覚できる断片であって、われわれがたどりつけない真の世界はもっともっと濃密なのだ、というような。
 実際、サウンドのディテールはどこを取っても緻密で、自分の感覚さえ届くならはるか深みまで続いていきそうでもある。

 そもそも音響作品で「色」を表現しようということ自体に暗喩としての力量が要求されるところ、「色」を超えようというのであればより説得力が必要となってきそうなものだけど、このアルバムは充分に成功している。




Kangding Ray

Information
Birth name    David Letellier
Born1978
OriginFrance
Base  Berlin, Germany
Links
Officialhttp://www.kangdingray.com/
  SoundCloud  https://soundcloud.com/kangding-ray
  Twitterhttps://twitter.com/kangding_ray
Labelara  https://ara-aboutrecordingartists.bandcamp.com/

ASIN:B01NBVNKXK







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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell