最初嗅覚が働かず、4話ぐらいたって何となく話題になったあたりから見始めた。
女子高生に扮した暗殺者リコリス。その歴代最強のエリートが働く喫茶店リコリコ。──このイントロダクションだと自分の初期スクリーニングからこぼれ落ちるのは無理もないといった感じなのだが、1話・2話を見たら、最初抱いた印象とはけっこう違うものだった。
大きくふたつの特長がある。
ひとつには、ガンアクションの描写にやたら力が入っているというところ。スタッフに銃器デザイン/銃器作画監督/銃器・アクション監修がそれぞれいるという効果を感じさせるアニメ。女子高生にリアルでハードエッジなガンアクションをやらせたいっていうギャップの欲求が制作の起点になっているのだろうなと思う。
もうひとつは、キャラクター造形。
特に主人公である千束。緩急自在に畳みかける台詞と、わずかな所作にも気を配った作画。絵と演技が奇跡的なレベルで融合している。ストーリーテリングよりこのキャラクターを描き出すことの方に大きなウェイトがかかっていると言えるほどに。
そして、バディである冷静沈着なたきなとの対比でキャラクターがさらに引き立つ。
ミカ、ミズキ、クルミといったリコリコメンバーもよいキャラクターだし、その他にも、フキや楠木司令のように必ずしも美形として描かれていないけれど存在感ある人物もいる。
ep.4 カフェで立ち上がって隣の席に行くときのカット
後半に行くに連れて失速してる面は否めないかなとは思ってる。
DAの戦術が稚拙だったり真島一派があまりプロっぽくなかったり、リリベルもだいぶ肩すかしだし……
あと、最後の方での建物関連の描写が雑だという点がすごく気になった。
延空木の3D表示が実際の配置と異なり街区に隣接して建っているとか、
仮設としてもこんなよくわからない非充腹材はないだろうとか…
あと、メンテ扉であってもいまどきドアノブなんか使わないからね…。
ドアノブはアニメ見ててわりと気になる部分で、むかし P.A.Worksの『クロムクロ』でも、明らかな現代建築なのになぜか至るところにドアノブがあったりして違和感拭えなかったんだけど、今の建物は扉にレバーハンドルを使うのが一般的であるところ、アニメだとたまに無頓着にドアノブが描かれることがある。特別な知識なくてもふつうに日常生活のなかで周囲を観察していればわかることだと思うのだが、ドアといえばドアノブみたいなセットの固定観念が生き続けてしまっているのだろうか。(リコリコの建物内にあるドアノブは、古い家屋を改修して使ってる店だろうからまだわかるとしても)
街並は現実の下町をロケして描いてるだろうとしても、電波塔と延空木は以上のように全般的にディテールが残念だった。
作画の粗を突きたいつもりではなくて、ガンアクションには専門の作監や監修もつけてリアリティ追求している一方で、クライマックスの舞台であり物語としても終始シンボルとして扱われている建造物には同等の注意が払われていないという点が不思議なほどアンバランスだなと。
物語については、一応いろいろ片付いて終わったかたちにはなっているけれど、DAにあれだけ多くの孤児がいるっていう設定は、結局きちんと説明されないままだったな、と思う。
それと、ep.7でネームに対してたきなが「殺すべき」と反応し千束は「殺しちゃったんですか!?」と反応するところ、そしてホテルからの去り際での吉松の台詞「きみにはわかるはずだ」「きみには期待しているよ」、これらが示唆する千束とたきなのキャラクター的差異が結局活かされないまま終わってしまっている。
こうした諸々もあって、非の打ち所のない完成度を持った作品とはなかなか言いづらいのだけど、でも、千束とたきなのキャラだけでこれらをまるごとカバーできている。
ep.3 噴水のシーン、
「今は次に進む時」「わたしはきみと会えてうれしい!」「うれしい、うれしい!」
……このシーンひとつで、多少の欠陥はすべて後退する。