::: BUT IT'S A TRICK, SEE? YOU ONLY THINK IT'S GOT YOU. LOOK, NOW I FIT HERE AND YOU AREN'T CARRYING THE LOOP.

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 ハンヌ・ライアニエミ “複成王子”



“The Fractal Prince”
 2012
 Hannu Rajaniemi
 ISBN:4153350222







 『量子怪盗』に続く〈ジャン・ル・フランブール〉シリーズの第2巻。これも全3部作とのこと。原作は2012年刊行で邦訳が2015年。第1巻は原作2010年・邦訳2012年だったので、2巻邦訳刊行にはけっこう時間がかかったことがわかる。
 ただこれは無理もない。独特の設定や用語が溢れていて、ロシア語・フランス語・フィンランド語・アラビア語といった多数の言語とその文化、さまざまな現実の古典作品にリンクした語彙など、相当に広範な知識がないと訳せない作品。訳者は酒井昭伸、巻末あとがきでもそのあたりの苦労が語られている。とはいえ日本語での最終的な語感については、やはりこの訳者ならではの仕上がりとなっているし、全体的に翻訳の寄与が大きい作品だと思う。


 2巻は1巻よりも難解だったかも。これはアラビアンナイト風の地球社会の描写が取っつきづらいところにもよるけれど、「物語内物語」というものが全体の構成とテーマに大きく関わっている点からもきている。文章を追っていくのがかなり大変だったけど*1、それに見合うおもしろさがある。
 ポスト・シンギュラリティの未来世界。トランスヒューマンの強大な存在たちが太陽系に覇を唱えていて、その抗争の一端で「怪盗」と「戦闘少女」という属性の主人公ふたりが活動していく物語。
 自我の分裂や融合も自由自在、集合知性や遠距離転送、コピー軍団等々、超技術が当たり前のように繰り出される世界ではあるけれど、物語自体は結局のところ、ごくわずかな数の人格個体たちの相関模様で成り立っている。そういう意味では古典的構図にある。
 ただし2巻はここに、物語の交換によって人物間の特別な結びつきが生じるという設定が絡むことによって、より複雑で自己言及的な小説になっているのが特筆すべきところだろう。随所に混入される物語内物語、登場人物たちがそれらを語る行為自体が果たす機能、当然それら全体もまたひとつの物語として語られるものであり……そのようにして目眩く重層構造が展開する。
 超技術的な「変装」や精神融合などが多用されるため誰が誰だかわからなくなる小説なんだけど、このように入れ子的な物語という要素が組み込まれていることで、どのパートが誰に語られている物語なのか、それが何を目的として語られているのかという点でもよくわからなくなってくる。この酩酊感覚、読者に混乱と労力を強いるものであると同時に、作品の大きな魅力を成している。
 1巻同様の派手な戦闘シーンも健在。用語センスとか全体的に癖のある世界だとは思うけれど、大風呂敷的なシンギュラリティSF概念と良く構築されたストーリーで、近年のSFエンターテイメントのなかではかなりおもしろいシリーズだと思っている。第3作目は “The Causal Angel(『因果天使』)”、現時点で邦訳刊行予定なし。原作は刊行済だけどさすがにこのシリーズを原語で読むのはしんどいので、邦訳が出ることを期待している。






*1:用語や前のパートを確認しながら読むことが必須。kindle版は基本的に複数ページを同時に開けないので、こういう作品は読みづらい。

 Sylvain Neuvel “Only Human”



“Only Human”
 2018
 Sylvain Neuvel
 ISBN:0718189531



Only Human (The Themis Files)

Only Human (The Themis Files)






 最近のSFは、おもしろそうなのが出たと思って手にとってあとがきを読むと、これは実は三部作の一部なのだみたいなことが書いてあって、微妙な気持ちになることがよくある。(この1巻だけでは内容が完結していないんだという気持ちと、結局最後まで邦訳が出る可能性は必ずしも高くないよな…という思いで。)
 『巨神計画』という邦題で第1巻が出ているこの “テーミス・ファイル” シリーズも、全三部の作品。
 このシリーズに関しては一応、2巻までは邦訳の発売決定に至っているようだ(『巨神覚醒〈上〉』ASIN:4488767036、『巨神覚醒〈下〉』ASIN:4488767044 2018年6月刊行予定)。1巻より2巻の方がおもしろいと思ったのでhttp://d.hatena.ne.jp/LJU/20170520/p2、少なくとも2巻まででも邦訳が出ることになったのは良かったと思う。
 異星技術でつくられた巨大人型兵器が発見されたことに端を発し、世界と人類の命運を決する大事変へ発展していく物語。パシフィック・リムを思わせるようなタンデム操縦のロボットというところが特徴。1巻2巻ともにクリフハンガーで終わり、毎回インフレ度を上げながら続いていく。

 で、3巻。原作が5月に刊行して、これでシリーズ完結。*1
 3巻も2巻同様、前巻から再び9年が経過した後の物語。ただしこの巻では、9年経った後と、それまでの9年間に起こった話とが同時並行で語られる。
 全体的に2巻ほどの激動はない。ただ、今回起こることはこれまでよりも根深い問題。タイトルが示す「人間自身が解決しなければならない問題」というところに焦点が当たっていく。一方で、2巻あたりから強くなってきた「家族のストーリー」という側面も3巻では全面的に出てきている。



 このシリーズの大きな特徴は、会話やインタビューの音声記録をテキストにしたような形態を取っていること。
 単独の人物による日記やレポートの形態を取ったモノローグのパートもあるけれど、多くはただ会話をそのまま文章にしたようなものとなっている。
 モノローグのパートはいわゆる「書簡体小説」に区分してもよいと思うが、会話パートの方は書簡体とは少し違う。内面が描かれず、音声会話という外面のみが描写されるからだ。描写されるのはあくまで台詞だけ。ここには台詞以外のものを描写する「語り」がない。つまり「語り手」がいない。いやもちろん音声会話というのは「語り」ではあるのだけど、「物語」を成り立たせる特別な語り手による語りとは違う。直接話法のみの純粋ミメーシスというような。そのせいで登場人物は饒舌で、状況を台詞で(不自然に)説明したりする傾向がある。
 全体的に、「絵のない漫画」っていう印象を受ける。別にラノベっぽい特徴があるというわけではなくて、ただ漫画から台詞だけ抜き出したような感じがするところが。ト書き的なものもないので、演劇の脚本とも違う。1・2巻には「インタビュアー」という特殊なキャラクターがいて大きな特徴を与えていたけれど、3巻にはこの人物はもう出てこない。
 会話パートだけでなくモノローグパートがときどき出てくるところが重要だと思う。このふたつは補完的に働いている。

    • ノローグのパート … 視点(焦点化):モノローグの主体。主体の内面が描かれる。主体が複数いるので、多元的。
    • 音声会話のパート  … 視点(焦点化):外的。外面しかわからない。内面が描かれない。カメラ・アイ的(台詞のみなのでディクタフォン的というべきか)

 会話パートでも饒舌なキャラクターたちが自身の内面をわりと率直に語ってはいるんだけど、真に内面が描写されているのはやはりモノローグパート。
 また、概して出来事が大きく動くのは会話パート。リアルタイムで生じる物事を逐次的に追うことに適した文体ということなのだろう。

 会話に比重を置いたこの文体が成功しているのかどうかは何とも言えないところはある。でも台詞のリズムは良いし、ウィットにも富んでいておもしろい文章。
 そして、先が気になる展開の持続。これはシリーズ全体で貫徹している。
 実際のところ、全巻読み終わってみて、物語や設定それ自体が決定的に他を圧倒するような魅力があるとはやはり言いがたいのだけど、でもこの「話に引き込む文章」という点は、シリーズ全体での長所だと思う。そしてこれには、ふたつの異なる文体とその構成による制御が効いている。





[以下ネタバレ含む]

  • 「人間たちの問題」が最後うまく解決したと言えるのか、っていうのは微妙かもしれない。また、バーンズとその一族の帰趨についても、うまくやったみたいに描かれているけれど、よく考えるとそれでほんとうに良いのかという感じもある。(パーフィット問題的な意味で)
  • 3巻ではエイリアンの惑星が主な舞台のひとつになっているけれど、これがほとんど刺激がないというのはわりと肩すかし的なところ(作中でも自己言及されている)。いろいろなところが少しずつ違っているけれど、基本的に地球の生活と変わらない。
  • 最終的にヴィンセントとエヴァが主軸となる。
    親子喧嘩が巨大ロボットでおこなわれる、っていうのはまあわりと予測が付くところである。娘を守るためなら何でもする、たとえ無実の人々多数を死に追いやることになっても、と。
    バーンズたちをエクトの手に渡すというローズの選択も、広い意味ではこれと同じものといっていいのかもしれない。
    エクトと地球人の関係も親/子の関係に対比される。(成熟/未成熟、創造/被造)
    親の側も問題を抱えている、という図式。
  • カーラの手紙はよかった。ヴィンセントへの手紙が2巻、エヴァへの手紙が3巻で示されるという出し方もよい。





*1:『巨神計画』『巨神覚醒』と「巨神」を付けた 邦題 が続いてるけど、この最終巻にどういう邦題つけるかは難しそう。普通に付けるなら『人類自身』とか『人類の問題』とかだが……。1・2巻の邦題に揃えるなら、『巨神帰還』あたりだろうか。これなら二重の意味で内容に即している。(3巻原題が “Only human” なので、2巻邦題では「巨神」という語にこだわらず、『軍神降臨』あたりにしておけば3巻邦題は「巨神」という語に制約されずに済んだとも思うが。)

 August Greene “August Greene” (2018)



August Greene (Amazon Original)






 ラッパーのコモン、ピアニストのロバート・グラスパー、ドラマーのカリーム・リギンスが結成したコレクティヴによる Amazon 限定リリースのアルバム。
 この形態での活動は、2016年にオバマ政権時のホワイトハウスで開かれたイベントでのセッションから始まっているが*1、グラスパーとリギンスは2016年のコモンのアルバム “Black America Again” でも プロデューサーとして加わっていたし、2人ともそれ以前からコラボレーターとしてコモンとは長い付き合いがある。
 メンバー構成からわかるとおり、全面的にジャズ×ヒップホップといった内容。サンプリングを用いず生楽器のみでつくられている。レコーディングもほとんどジャム・セッションのようなかたちでおこなわれたらしい*2
 重く溜めの効かせたビートと繊細なハイハットのドラムが特にすばらしく、圧倒的な存在感がある。抑えたテイストのジャズ・サウンド、深みがあり落ち着いたラップとリリック。経歴の長いミュージシャン3人による息の合ったアルバムとして、全体的に円熟の風格が漂っている。なかでも M-8 “No Apologies” は、複雑なリズムとローズ・ピアノ、畳みかけるようなラップが絡み合い刺激に満ちたトラック。


 このアルバムには大統領選直前にリリースされた “Black America Again” ほどの切迫的な政治性はない。あれから1年半を経過した期間をあらためて振り返りつつ “Blackness” に向き合ったという感じは受ける。とはいえ “Meditation” ではワシントンDCでアフリカ系・中南米系の多数の少女が失踪した事件に触れているなど、社会問題へのコミットメントは変わらず維持されている。コモンとしては、あからさまな対決姿勢よりも解決方法の模索と前進を強調しているようだ*3
 “Thought I was gonna fly when Obama became the king” (“Let Go”) なんてはっきり回顧的なリリックもあるかと思うと、“Had our first Black prez, I'ma be the sequel” (“Black Kennedy”) など、一瞬動揺してしまうような部分もあったりする(そんなストレートな意味で書いているところではないとは思うが……)。どちらかというとアルバム冒頭曲 “Meditation” での “A blackness that isn't defined by a time and space.” というあたりに全体の主張が集約されているかもしれない。

 終盤のハイライトである “Optimistic” は、Sounds Of Blackness による1991年のゴスペル・ソングをリメイクしブランディをフィーチャーしたもの。PVでは、ミシシッピ州公民権運動のアクティヴィストたちを登場させている。
 タイトル通りの非常に前向きな歌詞で、端的に良い曲だと思う。リギンスも、小さい頃からこの曲に親しんでいて、レコーディング時には3人とも同じ思いで自然にカヴァー曲制作が決まっていったとインタビューで語っている。
 比較的コンシャスな曲とともにこういう曲があると、アルバムとしてはバランス良く締まるところがある。

Although it seems you never win, you will always pass the test.
As long as you keep your head to the sky, you can win.






August Greene

Information
  Years active  2018 -
  Current members   
    CommonRap
    Robert GlasperPiano
    Karriem Riggins   Drums
 

ASIN:B07B6LRB3T


 “宇宙よりも遠い場所”










 南極を目指す女の子4人の物語。
 全13話、万遍なく良質。
 キマリ/報瀬/日向/結月の4人はそれぞれ個性的でしっかりしたキャラクター造形。4人のリズミカルな掛け合い、役割語に依存しない等身大の台詞が作品の魅力の大半を占めている。
 この点、声優の演技力による貢献も非常に大きい。特に報瀬。信念と筋を持ちつつも、人見知りで、抜けてる部分も随所にある、という起伏の激しいキャラをとても良く演じている。
 主人公に位置付けられているのはキマリだけど、「南極に行きたい」という強い願望と動機を持つ報瀬がストーリーの全体を牽引し、軸となっている。
 居場所が不安定で帰属先がはっきりしない4人が共通の行き先を目指して旅する、というのが基本的な構図。
 各話どれもよくできていて、すべて見終わって残るのは爽やかで前向きな気持ち。

 人物絵が少し独特で、ハイライト描写がとても目立つのが特徴。放映前の止め絵だとすごくはっきり認識されてたんだけど、本編見始めると気にならなくなってたのは不思議。でもこれ、潜在的に躍動感を与える効果があったのではと思ったりしている。



[その他メモ]

  • 3話『フォローバックが止まらない
        • キャラクターたちのコメディ会話劇の良さが最初に炸裂した回。それでいて最後に泣ける部分(手を伸ばす結月)もあるという、作品全体の基本的なつくりが凝縮されて示されている。
  • 6話『ようこそドリアンショーへ
        • 上げて落とすみたいな報瀬の扱われ方。
  • 8話『吠えて、狂って、絶叫して
        • 「ちょっと外行ってみたいですね…?」
          荒波のデッキに出る4人。毀誉褒貶あるみたいだけど、自分としてはすごく良かった。全体通してもかなり好きなシーン。
  • 11話『ドラム缶でぶっ飛ばせ!
        • 日向と報瀬には他の2人とはまた少し異なる強い関係がある。
  • 12話『宇宙よりも遠い場所
        • 「結局、人なんて思い込みでしか行動できない。
           ……けど、思い込みだけが現実の理不尽を突破し、不可能を可能にし、自分を前に進める」
        • 無数の未読メールを受信するところ。
          記憶に残る名シーン。
          時間と思いとが詰め込まれたような表現。(メールの流れるところとか、映像ならではのものだと思う)
  • 13話『きっとまた旅に出る
        • 「本物はこの一万倍綺麗だよ」「知ってる…!」
        • 報瀬ってもちろん観測船「しらせ」から取られている名だけど、「報せ」でもあるわけだ。序盤からの報瀬のこの一方通行のメールが物語上とても重要な要素。
          最後に吟を介してついに双方向での通信が達成される、というのはほんとうにきれいに物語ができていると思う。







 DJ Nigga Fox “Crânio” (2018)



CRANIO [12 inch Analog]






 アンゴラ出身。内戦に伴いポルトガルに移住し、現在はリスボンに住む。リスボンで活気付くアフリカ系ダンス・ミュージックの旗手のひとりと目され、Warp と契約し EP リリースに至った。もともとリスボンのレーベル “Príncipe” に所属。このレーベルはクドゥーロやバティーダ*1といったアンゴラ発祥のダンス・ミュージックを手がけていて、昨年リリースされた Nídia など、ポルトガル外でも注目されるミュージシャンを輩出している。Warp も以前からこうしたシーンに関心を寄せていて、2015年に 3枚組のコンピレーション “CARGAA” で Nigga Fox も含むバティーダの音源を世に知らしめた。
 バティーダの典型は、シンプルに要素を削ぎ落としてパーカッションを怒濤のごとく繰り出すインストのビート・ミュージック。Nigga Fox のスタイルもバティーダをベースにしているけれど、この EP ではアンゴラパーカッショニストを起用するなど生楽器が大きく用いられていることがポイント。エレクトロニックとオーガニックの両面を持ち合わせつつ、最終的な感触はあくまで硬質で乾いている。激しく明滅するフラッシュライトを思わせるサウンド




取り残された地区の音楽文化
 リスボン郊外のダンス・ミュージック・シーンについては、Resident Advisor の特集記事『リスボンのゲットー・サウンド』がおもしろかった。
 The ghetto sound of Lisbon” by Ryan Keeling [EN], [JP]
 Príncipe の活動を中心にまとめている記事で、音楽文化の発展と都市・社会状況の関わりがよく表れている。
 重要なキーワードは「分離」「孤立」。
 1974年の独裁政権打倒以降、アフリカの旧ポルトガル植民地からの移民流入が巨大な住居需要を発生させ、リスボン郊外に多くの公営団地(“プロジェクト”*2)が建設された。ところがこうした地区には道路や公共交通機関が整備されず、都心部との間だけでなく、地区同士も分断された。孤立した状態は現在も完全には解消されていない。
 Príncipe の創始者 Pedro Gomes は、分断をもたらしたこの都市政策を「ポストコロニアル状況における新たな植民地主義的処置」として批判しているが、そこから旧植民地ルーツの音楽文化コミュニティが醸成されてきたことには肯定的な意義を見出そうとしている。分断が連帯感を強化したという見方だ。たとえばこの地域のDJたちには “-fox” という接尾辞を付けた名を持つ例が多いが、これは現地で最重要DJと広く見なされている DJ Marfox への敬意を示した慣わしだ(ちなみにこのシーンでは自らを “プロデューサー”と名乗る流儀はなく、皆 “DJ” という語を好んでいる)。また、彼らはいずれも自分たちのプロダクションを近傍の仲間とのみで完結させている。他方、地域外のサウンドにほとんど関心を払わない傾向も見られる。こうした状況下、Príncipe がもっとも重要な活動と位置付けるのはパーティの開催だ。記事からは総体としてニューヨークでのヒップホップ黎明期との共通点がいくつか読み取れる。
 取り残された環境下で音楽文化が共同体として機能するという様子が、都市論・社会論的に明確なかたちで表れている事例だと言える。

 Pitchfork にも似たような特集記事があって、やはり郊外の公共交通機関の欠如とそれによる地理的・政治的な分断からシーンを見ている。
 Lisbon's Batida Revolution” by Andy Beta
 付記されるべきこととしては、ポルトガルではメディアも政界も完全に白人のもので、黒人は表に現れず声を奪われている存在だ、というPedro の指摘。
 また、Marfox がポリティカルな自覚を持って活動していると語ってる点も重要だろう。

 リスボン郊外の住居政策と孤立地域に関するさらに専門的な観点だと、都市地理学者 Eduardo Ascensão のインタビュー記事が参考になった。
 Ghosts of Colonialism: An Interview With Eduardo Ascensão” by Sam Backer
 民主化による西欧型福祉国家への志向と財政難、ジェントリフィケーションと移住施策の過程について RA や Pitchfork より詳細な説明を読むことができる。
 ヒップホップやクドゥーロなどリスボンの音楽文化の重要性についても掘り下げられていて、社会状況に変化をもたらす「ポストコロニアル・マヌーヴァ」として捉えられている。文化的混合の興味深い一例としてカーボヴェルデ系のヒップホップ・コレクティヴ T.W.A による “Miraflôr” というアルバムが挙げられており、クレオールでラップされていることの意味合いについて語られている。リスボンディアスポラ・カルチャーが必ずしもアンゴラルーツのものだけに尽くされるわけではないことが感じられる部分でもある。

 リスボン郊外を視覚的に表現したものとしては、ペドロ・コスタが『コロッサル・ユース』で撮っていたのがまさしくこうした地区のひとつだったことが思い出される。
 Colossal Youth (Juventude Em Marcha)”, IMDb
 移民街の住人たちが再開発で公営団地に強制移住させられるという背景で、実際に住む人々を登場させた映画。わかりやすいドラマ性のない非常に観念的な映画ではあるけれど、場所や生活の空気をとても良く伝えていて、リスボンのダンス・ミュージックに対する別の側面からの視角を提供するものとして価値がある。






DJ Nigga Fox

Information
  Birth name  Rogério Brandão
  OriginLuanda, Angola
  Current Location   Lisbon, Portugal
 
Links
  Official
    SoundCloud  https://soundcloud.com/dj-nigga-fox-lx-monke
    Twitterhttps://twitter.com/DJNiggaFox
  LabelWarp  https://warp.net/releases/dj-nigga-fox-cranio-ep/

ASIN:B079M4RNBX


 

*1: 
 同じ語を名義にしたリスボンのミュージシャンもいて紛らわしいが、アンゴラ音楽のジャンル名。もともとはポルトガル語で “Beat” を意味する。

*2: 
 計画だとかイベントのように聞こえる語だけどそうではなく、都市政策として建設された低所得者用の集合住宅を指す(“Housing project”)。ニューヨーク・ブロンクスなどアメリカでもこの種の住居形態は「プロジェクト」と呼ばれている。ウィリアム・ギブスンによるスプロール三部作中の『カウント・ゼロ』でも存在感を持って示されていた語。

 “スタートボタンを押してください”



Press Start To Play”
 2015
 Daniel H. Wilson, John Joseph Adams
 ISBN:B079NBKCX3



スタートボタンを押してください ゲームSF傑作選 (創元SF文庫)

スタートボタンを押してください ゲームSF傑作選 (創元SF文庫)






 コンピュータ・ゲームに関わる作品を集めた短編集。原書26作品のうち12作品を邦訳。
 題材としてポテンシャルを感じさせつつも全体としてはどこか消化不良だったというのが読後の評価。

  • 『猫の王権』『キャラクター選択』『アンダのゲーム』『時計仕掛けの兵隊』は比較的良かった。
  • 『リスポーン』『救助よろ』『1アップ』『リコイル!』『ツウォリア』は、おもしろくないことはないけれど刺激的と感じるまではいかなかった。
  • NPC』『神モード』『サバイバルホラー』はだいぶ理解しがたい。何を語ろうとしているのかはわかるんだけど、そこにおもしろさを見出せないという意味で。


 とはいえ全体を並べた構成自体はうまくできていて、「ゲーム」に関する共通概念がよく把握できる。命の代替性、キャラクターの可換性、「現実」との並行、自律知性、ミステリ的小説構造との類似、など。複数の作品に共有されるテーマによって、ゲームというものの持つ特徴が浮き彫りにされてくる。
 「リセットしてやり直す」みたいな、現実の生と異なるゲームならではの特性というものは、それこそコンピュータ・ゲーム黎明期から日常会話にも滲透してきた。各作品を見ても、前提となっているゲームの約束事や仕組み、ルールといったものは何も特別ではなく、充分に馴染みあるものだ。ゲームを通じて醸成されてきたこのような感覚が、現在のわれわれの文化に広く根を下ろしていることがあらためて確認できる。こうした感覚が現実の生活・社会に接続してそれらを変容させる、というテーマを扱った作品がいくつかあって、そうしたものは特にこのアンソロジーの意義に即していると思う。

 収載作品のほとんどが技術的・時代的に現在と大きく隔たっていないものであるというのは、この短編集の際立った特徴。SF通史を眺め渡し、遠未来・遠宇宙SF、近未来サイバーパンク、直近の国際軍事リアリズム、といった趣向のグラデーションを描くとして、これら「ゲームSF」の場合はもはや未来ではなく、ほぼ同時代に位置することになる。もちろんゲームSFだけが現在のSFのすべてを包括しているわけではないし、今だって遠未来・近未来のSFはいろいろ出ているけれど、このように同時代を描くものがそのままSFとして通用するのはひとつの先鋭的な事態と言える*1。「消化不良」な読後感も実はこれとつながる面があるかもしれない。
 現実の技術変化加速に伴い、われわれは既にしてSF的未来の中に生きているのだ……と簡単に言えるのかどうかはともかく、むしろ気になるのは、「未来」という概念は何であったのか、それらは何を語るものであったのかということ。もし「未来」が語られなくなりかつてそれが語っていた事柄が「現在」に圧縮されるようになったとすれば、それは何を意味するのか。SFが「未来」という概念から切り離されたとして、それはひとつの小説ジャンルに留まる話というより、時間認識一般の変容を示す問題だとも思えるのだが、「ゲーム」というトピックにはそうした観点での重要性が含まれているはずだ。




『猫の王権』 チャーリー・ジェーン・アンダース “Rat Catcher's Yellows” Charlie Jane Anders, 2015


 現実世界の難問を思考し始めたところなんてかなりわくわくするんだけど、急速な社会変化みたいな方向にはいかず、もっとパーソナルな面へ引き返してくる。シンギュラリティ突破側と、“神々”に取り残されてしまう側、みたいな対比。刺激は薄いんだけど、こうした視線自体は有意味なものだとは思う。
 また、主人公のセクシャリティ設定については、『キャラクター選択』でのジェンダー観念の描写と補完的なところがある。



『キャラクター選択』 ヒュー・ハウイー “Select Character” Hugh howey, 2015

 アイロニカルな主張。『リコイル!』に似た感じもあるが、ジェンダー設定と絡みこちらの方がさらに構図が明確。とはいえこうした皮肉が成り立つには、現在の軍事ドクトリンに対する批判的視座が前提として共有されていることが必要であって、近年の日本における「アイロナイズ」がこれと真逆へ向かう風潮と比べると、文化的状況の差異がはっきり感じられるところではある。
 ところで、これ何気に主人公だけでは解けなくて、正規ルートを一回自分で攻略すること、もしくは本編内でそうであったように、他の人物のたすけを借りることが必須になるという点は重要かも。



『アンダのゲーム』 コリイ・ドクトロウ “Anda's Game” Cory Dogtorow, 2004

 ゲームを通じた現実社会への関与の実践を描いたもののひとつ。社会問題の戯画的な象徴描写が詰め込まれている感じがあり、単純な図式に還元されるようにはなっていないんだけど、それでも主人公側の行動原理としてこのようなものが設定されるという点、『キャラクター選択』と同様に読者へ何が共通言語として期待されているのかが覗える。



『時計仕掛けの兵隊』 ケン・リュウ “The Clockwork Soldier” Ken Liu, 2014

 これがもっとも良かった。シェヘラザードによる『千夜一夜物語』の語りをなぞるような構図で、「物語」の効力というものがテーマとなっている。
 自分がつくったテキストゲームをプレイさせることが「語り」と同等のものとして示されているのが非常におもしろいと思う。ナラトロジーでいうところの「物語行為(ナラシオン)」が拡張されている感がある。
 テキストゲームが小説・文学とは異なる形態で「語られる」物語なのだとして、それが「語られる」様子を綴るこの小説は、ではどう捉えればよいのか。
 シェヘラザードの延命と同様、物語行為のパフォーマティヴな側面が重要なんだけど、物語を通じて自分の境遇を理解させることがまずあるとして、さらに「読み(=テキストの読みあるいはテキストゲームのプレイ)」を通して自我の確認とその追体験がおこなわれているというところにこの作品の深みがある。









*1:各作品にどれだけ “SF” という自己認識があるかは不明だが、少なくともこのアンソロジーがそのように括っていることは重要。

 阿部共実 “月曜日の友達”






月曜日の友達 1 (ビッグコミックス) 月曜日の友達 2 (ビッグコミックス)






とても良い作品だと思う。全2巻のなかに珠玉の漫画表現が詰まっている。
まず目を瞠るのは、絵としての完成度。
丁寧な筆致、考え抜かれた構図。単線の輪郭を基本とし、陰影を強いコントラストで表した絵柄。コマ表現にも先鋭的な試みがある。
それから、言葉のあり方。
主人公の独特な言語感覚。心理・情景を補完する語りとしての台詞。
描かれる物語は、子どもから大人への途上、甘酸っぱく激しく上下する感情の起伏。

これからも 出会いや別れ 希望と絶望が 入れ替わり繰り返し 自分の心を 叩き続けるんだろう。
それが 生きていくと いうことだと 思う。
(第7話)





言語感覚

  • 主人公の語りに大きな特徴がある。
    情景や心理を描出する台詞・独白。
    あたかも小説の文章のような。それは中学生として、あるいは大人としても、不自然なほど文学的。(ただしこの不自然さは、主人公が目指していることと結びついて最終的に理由ある説明が与えられている)
    これだけの画力なのだから、台詞による描写なんて冗長で屋上屋を重ねるようなものになりかねないけど、そうはなっていない。
    絵だけでも充分に情景描写に成功しているのに、主人公の語りがさらに深みを与え、何倍にも膨らませる。
    「言葉」と「言葉ではないもの」の組み合わせ。
    音楽と歌唱から成る歌曲のように、詩的言語と描画表現の合成が、漫画を何か音楽にも似たものへ近付けている感じすら覚える。



f:id:LJU:20180304164247j:image:w600:left   第1集第4話p2,p3
   (C)TOMOMI ABE 2017




瞳による表現

  • 何よりも、瞳の表現が目立つ。
    キャラクターたちの大きな黒目に、ときどき景色が映り込まれる。
    瞳と瞳に互いを映し合う姿。


f:id:LJU:20180304140055j:image:w270:left  第1集第1話p40
  (C)TOMOMI ABE 2017


f:id:LJU:20180304110250j:image:w270:left  第1集第4話p9
  (C)TOMOMI ABE 2017

  • この大きな瞳は、それ自体がひとつの小さなコマになっている。
    人物が見ているもの、視線・視界を示すコマ。
    1話p40のこの上のコマなんて、「月野のこの目だ」というモノローグ、瞳のなかに映る主人公が発しているものとして吹き出し線が書かれてたりして、トリッキーな構図。
    「美しく何よりも澄んだその瞳」、それを水谷が見るとき、そこには自分の姿も映っている。またそのとき、水谷の瞳にも月野の瞳が映っているのだから、自分の瞳にも美しい瞳の要素が含まれていると言うこともできる。


ジオメトリ

グリッド


  • 基本的に、格子や直線といった直交幾何学が支配する絵。
    学校や団地のようなモダニズム建築の反復と平行線が強調された描画。教室の机のグリッド配置。


f:id:LJU:20180304110254j:image:w270:left  第2集第7話p19
  (C)TOMOMI ABE 2018


f:id:LJU:20180304123430j:image:270:left  第2集第7話p9
  (C)TOMOMI ABE 2018

  • 床材の目地、フェンスやネットに表れる格子模様。


f:id:LJU:20180304110247j:image:w270:left  第1集第2話p27
  (C)TOMOMI ABE 2017

  • 直交方向から45度方向へグリッドラインが転換することで心理的緊張度の上昇が表現されるシーン。


f:id:LJU:20180304120157j:image:w270:left

f:id:LJU:20180304120158j:image:w270:left

 第2集第5話p22,p23
 (C)TOMOMI ABE 2018

  • 内景もしくは外景を切り取る窓枠。これもまたコマ内コマのような絵になっている。


f:id:LJU:20180304110248j:image:w270:left  第1集第3話p3
  (C)TOMOMI ABE 2017

  • ガードレールやロープウェイ。直線が示す方向性、あるいは視界の分断線。


f:id:LJU:20180304165219j:image:w270:left  第2集第5話p51
  (C)TOMOMI ABE 2018

  • そして、世界の背後に控える水平線。


f:id:LJU:20180304110257j:image:w270:left  第2集第8話p8
  (C)TOMOMI ABE 2018



ランダムネス

直線・格子があふれる一方、そうではない要素ももちろんある。

  • 写真模写のように細密な写実的描画。雑多で非-グリッド的な街並。海から山へと傾斜地が連なる神戸という土地の特徴によるところも大きい。


f:id:LJU:20180304135116j:image:w270:left  第1集第1話p1
  (C)TOMOMI ABE 2017


f:id:LJU:20180304110243j:image:w270:left  第1集第1話p30
  (C)TOMOMI ABE 2017

  • 森や海などの自然の情景


f:id:LJU:20180304110251j:image:w270:left  第1集第4話p31
  (C)TOMOMI ABE 2017



逸脱

そして、上記のどちらでもないような絵もあって、それが物語上の要所に置かれている。

  • 夜の校庭で「超能力」を呼び起こすために並べられた机の配置様態。グリッドでもなくランダム・自然的でもない人為性。


f:id:LJU:20180304110244j:image:w270:left  第1集第1話p36
  (C)TOMOMI ABE 2017

  • 浮かぶ机の軌跡。グリッドや自然物とはまた異なるジオメトリ。
    日常の世界を構成していたジオメトリからの逸脱として、ラストにふさわしい特異な意味を示す。雑多な街並、グリッドで構成される建築物を超えて伸びていく超越的な「軌道」。


f:id:LJU:20180304110255j:image:w270:left  第2集第7話p38-39
  (C)TOMOMI ABE 2018


f:id:LJU:20180304123133j:image:w270:left  第2集第7話p41
  (C)TOMOMI ABE 2018




その他

  • 姉は顔すら描かれないけれど、姉の右手と妹の左手に、ふたりのつながりを示唆する描写がある。
  • 土森と火木には良い意味での意外性があった。
  • リアリズム志向なのかと思いきや、最終的にファンタジーとなる漫画。水谷・月野・火木にはそれぞれ伏線がある。
  • 一方、主人公の文学的な台詞は誇張的・演出的なものだと思っていたら、実はリアル。……どういうことかというと、日常でこのような話し方をする人は少ないと思うんだけど、物書きになりたいという願望が明確になったことで、このしゃべり方にもそれなりに理由があったのだと理解できるようになる、というような。「浮遊」の実現と比べてリアル/ファンタジーの転換が逆になっている感じがある。
  • 感性で情景を瑞々しく描く水谷は、既に自分自身で日常世界をファンタジーに読み換える能力を持っているようなもの。
    だとすると、それとは別の現象として2巻で生じた日常からの逸脱は、どのように受け取ればよいのか。
    やはり、誰か他の人との接触に関わるところに意味があるのだろう。そこにこそ奇跡の可能性があり、日常を超える状態への鍵がある……ということなのかもしれない。









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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell