::: BUT IT'S A TRICK, SEE? YOU ONLY THINK IT'S GOT YOU. LOOK, NOW I FIT HERE AND YOU AREN'T CARRYING THE LOOP.

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Zebra Katz “LESS IS MOOR”



LESS IS MOOR [Explicit]



 インダストリアル・ヒップホップ。
 ジャマイカ系アメリカ人。
 ベース・ミュージック的な硬質なサウンドに低音ヴォイスのダークなラップを乗せる。
 2012年のシングル “Ima Read” でデビューしたが、アルバムとしてはこれが初。
 プレスリリースを見ると、タイトル “LESS IS MOOR” の moor は「荒野」じゃなくて「ムーア人」、つまり北アフリカのブラック・ムスリムのことで、現在では単に「ブラック」を意味する語だと書かれている。これを見て、Moor Motherもそっちの方の意味かー…といまさらながら気付いた。(ちなみに Moor Mother と Zebra Katz が対談している記事がある。たしかにこのふたりは親和性ありそう、って思った。https://www.interviewmagazine.com/music/zebra-katz-moor-mother-less-is-moor-ojay-morgan

 全15曲。とにかくハードで重い。エコーの効いた暗闇のなかでひたすら忍耐的に言葉を紡いでいくような。
 主流USラップとも違うし、UKのグライムとも違う。Moor Mother もそうだけど、ブラック・アメリカンのなかでヒップホップの周縁的なものの生まれ直しみたいなことが起こり始めている感じがある。



Zebra Katz
Information
  Birth name  Ojay Morgan
  OriginFlorida, US
  Current Location   NYC, US
  Years active  2012 -
 
Links
  Officialhttps://zebrakatz.com/
    SoundCloud  https://soundcloud.com/zebrakatz
    YouTube  https://www.youtube.com/user/ZebraFuckingKatz
    Instagram  https://www.instagram.com/zebrakatz/
    Twitterhttps://twitter.com/zebrakatz
  LabelThe Vinyl Factory  https://thevinylfactory.com/product/less-is-moor/

ASIN:B0826B7LLS


“ID:INVADED イド:インヴェイデッド”










 監督・あおきえい、脚本・舞城王太郎
 設定や話が少し難しくて若干取っつきづらいけど、おもしろかった。

 いきなり超現実的世界に放り込まれている主人公が超現実的な殺人事件を解くはめになっている──というところから始まる。わけわからないまま見始めると、次第にそれが現実世界の犯罪捜査の一環としておこなわれるシミュレーションか何かであるとわかり、そうやって単発で起こる殺人事件を解決していく話の集積なのかな、と思わせる。
 事件の背後にジョン・ウォーカーという怪しい存在を見え隠れさせながら、イド内部の鳴瓢、現実世界の〈井戸端〉、外務分析官という異なる場面が同時並行的に進む展開。

 物語を導く主軸は次の三つ。

  •  イド
    •  殺意の残留物から、殺人者の無意識を具現化した仮想世界へ没入する。テクノロジーっぽい見かけが施されているけど、要は夢の中に潜るということ。『インセプション』っぽい雰囲気もある。
       そこでは「カエルちゃん」という人物が毎回殺害されており、没入者は「名探偵」としてその犯人を探し出すことが課せられる。この過程を通じて現実世界での殺人事件の手がかりがわかるという筋道。
  •  ジョン・ウォーカー
    •  別々に起きているように見える殺人事件に共通して、殺意を煽動するような謎の存在が関わっていることがわかる。この存在が殺人犯たちを生み出している。
  •  鳴瓢
    •  かつて刑事だった主人公を今の境遇──「殺人犯」という境遇に落とした要因には、妻と娘の非業の死が絡んでいるらしい。

 ……イドの設定に慣れない序盤では複雑で難しい話だと感じていたけど、これらの軸につながる根底に飛鳥井木記という人物がいるということがわかったあたりから、全体像がクリアに見えてくる。
 〈ミズハノメ〉は単に謎ガジェットというだけでなく、苦難を背負った特定キャラクターの上に成り立ったものであり、彼女の固有の物語を伴っている。(これは、同様に夢に潜るタイプの物語である『インセプション』と大きく違うところ)
 最終的に物語は、「飛鳥井木記を救う」ということへ収斂していく。
 これは「名探偵がカエルちゃんの死の謎を解く」という構図に重なっていて、意味もわからず物語最初からおこなわれていたことだったわけだけど、ようやくそれが「何度も殺害が繰り返される飛鳥井木記をその業から解放する」という現実世界での目的につながるものだったのだとわかる。そのあたりをすべて詰め込んでひとつの絵にしたのが飛鳥井木記による未来視的な予感のところで、あれはきれいな場面だった。
 続編つくれそうな終わり方だったけど、このまま終わっても充分。本堂町と富久田の関係も含め、前半の抑圧的で重い雰囲気と対比して後半での感情喚起の配分具合がとてもよい。




その他のメモ

  • 3人の名探偵たち。殺人犯だけが「名探偵」になれるというのは、諧謔がある。
  • イドのなかのイド、夢のなかの夢。どっちが現実(夢)なのかが逆転するかも……っていうのはこの種の設定でよくあるけど、この作品の場合、イドの中で家族と過ごした時間の描写が説得力あって、特に切実に感じられた。
    10話は全体的に演出が良くて、電話のところは特に泣けた。(10話がすごいアニメは良いアニメ。eg. まどマギ
    鳴瓢を演じる津田健次郎の声は最初違和感あったけど、10話の演技はほんとうにはまっていた。
  • イドの時間の流れが違うのは、外部からの観察者がいるかどうかの違い、っていう設定はおもしろかった。


“劇場版SHIROBAKO”






“劇場版SHIROBAKO
 監督 : 水島努 脚本:横手美智子
 2020




 テレビシリーズから4年後の話。
 SHIROBAKOの映画版はムサニが映画をつくる話になるんだろうな、と思ってたけど、その通りの内容。
 だけど、物語開始時点の状況がこんなに厳しいというのは予想外だった。
 元請をやれてない会社になってることよりも、前作の登場人物がことごとく離散状態みたいになってるところの方がショックで。アニメ業界ってそういう流動性があるものなのかもしれないけれども……。
 とにかくテレビシリーズ最初のときよりもずっと厳しい状況。それは会議室での放送作品視聴人数の露骨な差に表れている。こうした対比は他にもあって、あらすじ説明のあとの本編開始時、また社用車カーレースになると思いきやエンジンが停まってしまうという象徴的な描写とか。あるいは、ラジオから流れる曲の「仕方ない」とか「みんないなくなった」とかの歌詞も、前作での『えくそだすっ!』OP曲と比べて明らかに不穏だ。そして追い討ちを加えるのが『三女2』の惨憺たる姿。
 この段階では、単にちょっと案件に恵まれてないタイミングとか、たまたま人が減ってるのかな、ぐらいに思う余地がまだあって、このぐらいが業界的に現実的な描写なのかも……みたいに考えていたら、そもそもこうした状況になってしまった原因である「タイマス事変」というのが思ったよりずっとヘビーだった。SHIROBAKOって業界を美化・理想化してるみたいにも言われてたけど、「タイマス事変」に関しては異常に現実的なシビアさがある。

 これは「ハッピーエンドで終わった物語」のその後の物語。ひとたびきれいに終わったように見えても、現実の世界では当然また生活・仕事が続いていくし、どんなときもずっと好調のままのはずなんてない。とはいえここまでの落差は衝撃的。単純に時間が経って登場人物たちがさまざまな境遇にいるよ、程度のものになるかと思ってた……。
 ただ、このどん底も物語としての布石なので、その後、前作の登場人物たちが再結集し、幾多の苦難を乗り越えて、ギリギリの納品で作品の完成に至る──という流れになるのも予想通り、というか王道の展開。
 こうやって毎回大団円に達しつつも再び落下してまた這い上がって……という繰り返し、それこそがアニメ制作なんだ、ということなのだろうか。いや、そのように繰り返していくために、たとえ落下しても毎回這い上がっていこう、ということをメッセージとして強く示している。

 ひとつの映画として見たとき、かなり駆け足ではあるものの、密度は高い。
 1クールかけてやってもよかったような話だけど、どん底からの上昇というのは2時間程度に納めた方がちょうどいいのかも。
 それにしても、この長さのなかに前作の登場人物をほとんど網羅して登場させて(名前だけの人物もいたが)、大なり小なり見せ場や悩みとその克服を描くというのは、構成が非常に効率的にできている。
 劇場版であらためて思ったのは、SHIROBAKOは、たくさん出てくる登場人物たちの時間経過・人生の推移がおもしろいということ。そういう作品は、息の長いシリーズになっていく可能性を持っている。またさらに5年後、10年後、というように、続編がつくられていきそう。現実の社会やアニメ業界の変化に合わせながら。



 挿入されるファンタジー

 展開に変化をつける要素として、二回出てくるミュージカル部分と、和服でのバトル、そして最後の映画内映画のクライマックスシーンがあり、それなりの尺とエネルギーとが費やされている。前作で言えば、映画内映画のシーンは『えくそだすっ!』のスタンピード、ミュージカルは『アンデスチャッキー』、和服バトルは夜鷹書房に乗り込むところに相当する。
 SHIROBAKOって、《「アニメをつくる」ということを描くアニメ》なわけだけど、ところどころ出てくるこうしたファンタジー的シーンが、つくってるアニメ内容と作品内の現実世界との境界が揺らぐ局面になっている。そうした虚構横断の契機を司るのがミムジー&ロロであって、彼らの機能はこの劇場版でも果たされている。ロロとミムジーは宮森あおいの内面的会話に関わるキャラクターでもあるけれど、別に主人公の未熟性を表す存在でもなく、作品制作者と作品内部をつなげるための不可欠な媒介として、今後シリーズが続いても同じような役割で登場すると思う。


 光と影の演出

 前作でもキャラクター演出で光と影がうまく使われていた。(23話で電話を受ける坂木しずかのシーンなど)
 劇場版でも、特に序盤の厳しい状況では光と影の象徴的な演出が多用されている。光がどちらに差していて影がどちらの側に横たわっているか、というところがはっきり意味を持っている。(たとえば丸川(元)社長のところを出て帰路につく宮森あおいのシーンなど)


 つくり直しの決定

 クライマックスで、つくり直しの具体的なプロセスをあえて描かなかったのは、そういう作業的ドタバタの話はもうさんざんやったからか。今回はつくり直しの決定そのものに焦点を当てた感がある。会議での各キャラの台詞が重要であって、それでこの映画のクライマックスには充分であるということなのだろう。テレビシリーズ2話「あるぴんはいます!」の最後をなぞるようなシーンにもなっている。





SHIROBAKO 1〜12話 : https://lju.hatenablog.com/entry/20150111/p1
SHIROBAKO 13〜24話 : https://lju.hatenablog.com/entry/20150412/p1

オフィシャル : http://shirobako-movie.com/
IMDb : https://www.imdb.com/title/tt8346438/

Beatrice Dillon “Workaround” (2020)



Workaround



 ロンドンを拠点とするミュージシャンの 1st ソロ・アルバム。PAN からのリリースで、マスタリングは Rashad Becker。


 ドライでミニマル。
 音数が少なく、散りばめられたスタッカートでむしろ空隙を聴かせるタイプの楽曲。軽やかにスウィングするビートが微少な溜めを伴っているので、音の流れにエネルギーが凝縮されていると感じる。グルーヴというか、圧が張り詰めているような。
 The guardian のインタビューでも、リヴァーブで空間を満たすのではなく、「間」をいかに扱うかといった方へ意識を向けていることが語られている。

“People sometimes use reverb in a lazy way, just to fill the space and impose an atmosphere that is emotionally leading you somewhere – woozy or dreamy or dread-y. So I was like: I’m going to not do that. Then you’re grappling with space and how to keep something interesting with this sense of emptiness.”
The guardian Interview - Beatrice Dillon: the most thrilling new artist in electronic music


 アルバムは、4〜5分前後の曲と1分台未満の曲から構成されている。
 全体的にはっきりとリズム志向で、要素を削ぎ落としビートを露わにした楽曲であるところが共通しているけど、徹底してビート要素のみの曲もあれば、アコースティック要素を添えて、わずかながらに旋律らしきものを流す曲もあったり、表現に少し幅がある。
 軽快でありつつも緊張感があって。繊細のようでいてしっかりと構築的。めくるめく転がり跳ねまわるビートに耳を洗われるだけで心地よい。


 FM音源でつくられたサウンドの他、多彩なゲストミュージシャンの演奏をサンプリングに使っている。Kuljit Bhamra(タブラ)Jonny Lam(ペダルスティール・ギター)、Lucy Railton(チェロ)など。M-2 では Laurel Halo もヴォーカルで用いられている。
 なお、ジャケットの写真は Thomas Ruff による2014年の作品 “r.phg.06”。



Beatrice Dillon

ル・グウィン “パワー”




 ル・グウィンが晩年に書いたシリーズ “西のはての年代記” の最終巻。
 魔法が登場するファンタジーだけど、“アースシー” シリーズとは大きく雰囲気が異なる。
 このシリーズにおける“魔法”は、世界全体で統一的な体系下にあるようなものではなく、地域ごとに発現様態や扱われ方が異なっている。もしかしたら共通の原理から生まれたものなのかもしれないけど、でも実態としては、各地の民族が別々に持っている異能力といった感じ。そして大多数の人々は魔法とは無縁。辺境の民が使っていたり、限定した氏族が秘かに守っているものだったり、いずれもローカルなものであって、特定の集団や文化と結びついた秘匿性・限定性がある。
 『ギフト』『ヴォイス』『パワー』という各巻は、それぞれ主人公を変えながら、こうした限定的な超常力の何かしらを絡めて物語を進めていく。


 最終巻『パワー』は文庫版で上下二巻に及ぶ。舞台がひとつの地域に留まっていた『ギフト』『ヴォイス』と違い、世界を渡り歩いていろいろな地域をめぐるという内容で、結果としてシリーズでもっとも長い作品になっている。
 その遍歴はつまるところ、逃避行。奴隷の境遇にあった主人公がさまざまな地域をめぐる果てにようやく安住の地にたどり着き自由を手に入れる、という過程だ。
 小さな都市国家が分散して地域ごとに細かく文化が異なっているというのがこの作品世界の特徴だけど、もうひとつの特徴として、何らかの奴隷制度的社会形態を持った地が多いというものがある。自由を求めて西方世界を幅広く移動する『パワー』では特にそれがよくわかる。
 この支配-隷属関係は各地で所与の社会構造としてあり、隷属側に属する者も基本的に自己の境遇を疑わず受け入れている。
 『パワー』の主人公はあるできごとをきっかけにそうした場から逃げることを決意するのだが、しかしどこへ行っても似たような支配-隷属関係に抑えられた地が続く。
 このあたりの描き方がけっこう巧妙で、主人公の視点では最初、そうした社会形態にも肯定すべき面がある、と見える。それは主として支配側にいる特定の人物の性格や態度が影響した考えなのだが、しかし主人公は毎回裏切られ、ひとたびは信頼を寄せつつも不当な事態に見舞われて結局そこから逃げ出す、ということを繰り返す。
 読者の目からすれば、支配-隷属関係があるかぎりどこも真に安住すべき場所ではないだろう、と見えるのだけど、主人公への共感視点で読むとこちらとしてもしばしば見失い、主人公同様に、今度はまともな場所なのかも……とつい思ってしまったりする。
 これを単に近代以前の未開世界、みたいな対岸のできごとのように思ってはいけない。こうした抑圧的構造が現代のこの世界では克服されているか、というとそんなことはないのだから。読者であるわれわれは作中世界の抑圧構造がはっきり見えると思っているけれど、ではわれわれが現にいま生きているこの社会はどうかと翻って見たとき、われわれも見過ごしているものがないとは言えない。たとえば、昨今のさまざまな「異議申し立て」と、それに対する反発。あからさまな奴隷形態ではないとしても、見えない支配-隷属、上下の権力関係は、現代の現実世界でもさまざまなかたちで存在する。
 われわれもまた、主人公同様に「見えていない」隷属関係に囚われているかもしれない。高みから作中世界を見て自分たちと異なる未開と思うことはできない。


 主人公は最終的に抑圧や支配から逃れた自由の地へたどり着くのだが、それが詩と学問の都市であるというのは重要な点だろう。文学と科学こそは普遍的な自由を得るための手段だという作者の思考が垣間見えるからだ。短編『マスターズ』*1のなかで、文明の退化した未来で純粋に学問を追究し異端視された科学者に向けられた視線を思い起こさせる。

 『パワー』の主人公が経る歴程は奴隷状態から自由を求める逃亡の旅だけど、少し見方を変えると、自分と思考を同じくする者を求める旅、自分にとっての帰属場所を求める旅だとも言える。
 作中では各地の社会や習俗の描写が民俗学的精緻をもって描かれていて、人間集団とその生活様態の幅広いバリエーションが感じられる。あたかも現実世界と同等の多様性を備えているように見える程に。
 ちょっと場所を変えれば価値観もまったく違う人々がいる。そのことに気付きさえすれば、可能性が開ける。ここで生きるのは辛いけれど、どこか別の場所に行けばもっと楽に生きられる場所があるかもしれない──それが『ギフト』でオレックとグライに故郷を出る決意を与えた動機であり、『パワー』でガヴィアを延々と旅に駆り立てた原動力であるのだが、彼らはそうした旅の結果、帰属場所を見つけることに成功する。
 シリーズのどの物語も、息が詰まる圧制状態が覆っているのだけど、いずれも最後には自由が得られる。それは物語としての解放感をもたらすものであり、そしてまた、現実のわれわれにとっても、世界の多様性には必ずどこかに自分が適合する個所が備わっているはずだ、という希望を与えてもくれる。



 

*1:『風の十二方位』収載

“OBSOLETE”







 リアル路線のミリタリー系ロボットSF。
 約12分の短いエピソード全6話から成るオムニバス。youtube配信での公開。
 虚淵玄が原案・シリーズ構成を手がけている。

 近未来、異星人からもたらされた技術を用いた人型機動兵器が各地の紛争に使われつつある時代、という世界設定。各回ともこの兵器をめぐる話を描きつつ、EP5とEP6を除くと直接的なつながりはなく、登場人物も舞台も時期も異なっている。
 短い時間のなかに冗長なドラマ部分はなく、非常に断片的な物語が連ねられていく。通常の30分アニメから、後半の戦闘シーンの派手なクライマックス部分だけを抽出した、みたいな感じがある。

 細切れのエピソードを通じ、さまざまな紛争の影にいる謎の戦闘部隊の存在が浮かび上がってくるという軸があるのだが、結局全体を通してはっきりした物語とはなっていない。本格的な作品展開の前段、という位置付けに思えなくもない。
 現在公開されているEP1〜EP6の後、2020年冬にパート2としてEP7〜12の公開が予定されているらしく、トレイラーを見るかぎりではそこで大きな物語が見えてくるようだ。




 21世紀型戦争のリアリズム

 この作品がどう「リアリズム」なのかというと、ひとつには現在の軍事・国際情勢の描写という面、もうひとつはミリタリーガジェットの描写という面がある。
 まず軍事・国際情勢の面で言えば、「非国家軍事組織」というものの存在がクローズアップされてきた現代の状況を素材にしているところの同時代感覚。それも先進国以外での地域紛争に視線を据えているのが特筆すべき点だ。
 ひとつの勢力に寄せず万遍なく視線を配分する「多視点の群像」は、この種のシリアスSFアニメとしても珍しい方ではないか。特殊なヒーロー的機体がなく単一の素体を応用してつくられた量産型消耗兵器、というエグゾフレームの設定に合っている作劇だと思う。
 シリーズ全体でアメリ海兵隊が一方の視点に置かれてはいるけれど、片方には常に派遣先の現地視点が登場し、ゲリラや国境警備兵、少年兵といった存在を通じて戦争が描かれる。
 より正確に言えば、シリーズを通して視点が「アメリカ」からその正対する側へとシフトする。
 EP1ではアメリ海兵隊を視点として「アウトキャスト・ブリゲード」の不気味さを描き、EP2ではやはりアメリカ軍部隊へ襲来するゲリラの脅威、EP3では身分を偽ってインドへ赴く海兵隊員と印パ両軍の戦闘、EP4はPMCメンバーと中東の港湾作業者のちょっとした交流、そしてEP5・6ではアフリカの少年兵がアウトキャスト・ブリゲードに育っていく過程……というように最初は先進国の最新鋭部隊の視点で描かれた物語が、各紛争地の視点を徐々に混ぜながら最終的には、1話で海兵隊に抗する謎の部隊だったアウトキャスト・ブリゲードの側へ視点の交替を遂げるわけだ。




 人型機動兵器のリアリズム

 ガジェットとしてのこのエグゾフレームが、もうひとつの「リアル」を表現している。
 エグゾフレームは異星人からもたらされた機械を人間が改造してつくりあげた兵器とされているのだが、これはもうただ「人型機動兵器」を成り立たせるためだけの設定で、それ以外の意味はないと言っていい*1。この前提を不問のものとして、では「人型機動兵器が席巻する現実世界」はどういうものなのか、が描かれていく。
 約2.5mの素体にさまざまな武装を取り付け、搭乗する人間の思考操縦で動く兵器。この機動兵器が人間同様……というよりそれ以上のスムーズな身体運動を可能とし、戦地の廃墟を身軽に飛び越え、あるいは水中を潜航し、ときには雪山をスキーで滑走までするという縦横無尽ぶり。
 人間同様と言いつつも、関節位置が微妙に地球人類と異なっているので、ただ人間形態の3D運動を見せられているのではなく、未知のフィクショナルな機動兵器っぽさがある。

 こうしたところには、現実世界で開発されているさまざまな歩行ロボットを彷彿とさせるものもある。以前、ボストン・ダイナミクスの四足歩行ロボットの実物が動く様子を技術展示で見たのだが、人型機動兵器って思ってた以上にぜんぜん現実化しそうだな…と感じたりした。エグゾフレームが動いている姿もちょっとあれに似た雰囲気がある。
 そういう意味では、ボトムズあたり(1980年代)の「リアルロボットSF」と現在のリアルロボットSFでは、鑑賞者にとって「リアル」との距離感は違うはずだ。最近のアニメに登場するロボットがことごとく3Dモデルで描写されていることも併せると、「現実の技術」と「描写の技術」の垣根は意外と低くなってきているのかもしれない。

 ただ、実際の軍事技術は無人化兵器にシフトしつつあるので、ロボット兵器に人が搭乗するという点については「非現実的」ではある。OBSOLETEでは、人間が思考リンクして操縦しなくてはならないので人が搭乗しているという理由付けが立っているが。
 逆に言うと、あえて人を乗せることに制作側意図がある。
 “OBSOLETE” というこのタイトル、「廃れた」という意味とともに「時代遅れ」という意味があり、「使い捨ての兵器」「異星人が廃棄した兵器」ということの他、ロボットアニメそのものが時代遅れになっている、という認識が制作側にもあったようだ。

「そもそも何でロボットアニメが制作される本数が少なくなってしまったのか、という疑問があったんです。きっと何かが障害になっていたんだろうと。ならば、その障害になりそうなものを全て外して企画を考えてみました」
“物語請負人”が仕掛ける、新たなロボットアニメの真髄――『OBSOLETE』虚淵玄インタビュー


 それにしても、「使い捨ての量産型ロボット兵器」たちの動きがいちいちかっこいい。水陸両用のホバーモジュールとか。
 フェティッシュに追及されてるミリタリーのディテール表現も良い。非正規軍、アメリカ特殊部隊、PMC、というそれぞれで機能や個性の違いが表れたデザインも。
 あとはEP5で、機体外部にいる操縦者が引き金を引く身体所作とリンクしてエグゾフレームが狙撃するシーンとか。




EP 1 “OUTCAST”
SOMEWHERE IN SOUTH AMERICA - 2023

EP 2 “BOWMAN”
CIBINDA - 2015

EP 3 “MIYAJIMA REI
SIACHEN GLACIER - 2016

EP 4 “LOEWNER”
PERSIAN GULF - 2017

EP 5 “SOLDIER BRAT”
SUB-SAHARA - 2016

EP 6 “JAMAL”
SUB-SAHARA - 2021


PART II TEASER


*1:ただし、異星人と地球人の関係に地球上の先進国と後進国の関係がなぞられているような含みはありそう。

酒井啓子編 “途上国における軍・政治権力・市民社会 ─21世紀の「新しい」政軍関係─”




 科研費に助成された共同研究「現代中東・アジア諸国の体制維持における軍の役割」の成果として編纂された本で、14人の著者による論文集。

 近年、中東や東南アジアなどの発展途上国において、軍が政治の舞台へ再登場する事態が見られる。たとえば2010年の「アラブの春」や、2014年のタイのクーデタなど。
 背景には、2001年以降の世界で「国家が物理的暴力装置を独占する」という近代からの原則が崩壊したことがある。国家の一元的管理、軍を管理する政権の統治正当性、国家・国民に起原を持つ物理的暴力装置、といった古典的政軍関係論の前提がいずれも抜け落ちた状態下では、軍と市民社会の関係は多様な様相を示すようになっている。
 こうしたなかで 軍-政治権力-市民社会 の関係をどのように捉えるか、というのが共通テーマ。


 政軍関係の安定・不安定 
    • 政軍関係の安定・不安定は、[1] 軍の組織的利益への脅威の有無 [2] 政治対立に伴って起こる社会の分裂の有無 [3] 市民社会の関与の度合い によって決まってくる。
    • 政治権力の不安定な状況は逆に市民社会を含む多様な主体の間の調整必要性をもたらし、結果としてバランスのとれた政治が実現する。
      一方、政権に不安定要因がなくなると政治は不安定化する。
    • 選挙でも現実の多元的権力状況を反映できなくなると、政治への異議申し立てが路上抗議運動となって表出。
      市民社会を含む多様な勢力が軍の介入を求める余地が生まれる。政治対立による社会の分裂は、軍に政治介入の「機会」を提供する。

 クーデタの抑制  
  • クーデタ耐性
    • 軍によるクーデタを抑制するために、政治権力が軍と別系統の軍事組織を設立し相互に牽制させることがある。(準軍事組織や治安組織など)
      武力を有するアクターが相互に独立して複数存在する制度は、アクターが一致結束して独裁者に反旗を翻すことを困難にさせ、クーデタを起こしにくくする効果を持つ。
      • 一般にクーデタ耐性の議論では、正規軍の方が離反しやすく、治安機関は独裁者に忠実と想定されている。(正規軍は体制・政権によらず国に常に必要な存在であり、独裁政権が倒されても組織は存続すると見込まれるので離反しやすいが、独裁体制下で発達した治安機関は国内の反体制勢力の弾圧を中心的に担う勢力であるため、独裁者と一蓮托生であることが多いため)
  • 政治的不安定状況でもクーデタが起こらない場合
    • [1] 軍の利害に適っていた
      [2] 政治対立が社会の分裂につながらず、軍介入を促す社会的混乱が生じなかった
    • 文民政治家同士が基本的なゲームのルールに合意していることが、軍の政治的介入を低く抑える鍵。(ゲームのルール:憲法・法律、それらに規定された選挙などの政治制度)

 権威主義政権の崩壊後の民主主義  
  • 権威主義体制の民主化で典型的に見られるトレード・オフ
    • 旧体制エリートとの協定による移行は、平和裏かつ確実に民主化を実現することが可能になる反面、旧体制エリートにさまざまな保証を与え、旧体制時代の犯罪行為、人権侵害行為の責任を追及することが困難になる。
    • 協定によって軍を統治から撤退させて民主化を実現できても、その後の新政権が軍の特権や立場を脅かす政策を実施すると、軍が再度クーデタを起こして政治に介入してくる。
  • 発展途上国における民主化後の政軍関係
    • なぜ再び軍部の政治的影響力が拡大し民主主義が不安定化することがあるのか。
    • 市民社会は民主主義を不安定にする場合があるが、しかし市民社会なくしては民主主義の後退・崩壊を阻止することも困難である。:民主主義のジレンマ
  • フィリピン [第10章]、エジプト [第4章・第11章]
  • 権威主義政権崩壊後に宗教を基盤とした勢力が台頭
    • 世界の各地域でしばしば見られる現象
  • エジプト [第4章]

 国軍  
  • 制度化された軍と家産的な軍
    • 制度化された軍:法の支配に服属し、行動の予見可能性が高く、一元的な基準に基づいた能力主義による管理が徹底されている。
      家産的な軍:政治権力を私物化する支配エリートによる恣意的な組織化。
    • 士官学校などの同期意識や、現役時代の上官への個別的忠誠がそのまま退役後も維持されるといったインフォーマルな紐帯が政治を動かし得る。
    • エジプトのようなアラブでもっとも制度化が進んだ軍でも、インフォーマルな紐帯が効果を持つ。
  • 国民国家の存立条件のひとつとしての国軍の機能
    • 共同体としての国民を強化する国民統合の象徴としての役割
    • 統治機構としての国家を支える正統な物理的暴力の行使を担う機能
  • 国軍を根幹とした経済体




各章メモ

第1章 21世紀の「軍・政治権力・市民社会」間関係 酒井啓子
 
第2章 「アラブの春」と政軍関係 池田明史
アラブの春の展開は、大衆の街頭行動に対する独裁支配者の武力鎮圧・実力排除の命令に国軍が従った場合と従わなかった場合・従えなかった場合とで結果が分かれた。

第Ⅰ部 政治権力と軍 ──国家建設の過程──

第3章 タイのクーデタ ──同期生から「東部の虎」へ── 玉田芳史
軍は、待望論に応えてクーデタを決行したわけではない。目的は君主制を守ることにあり、君主制からの裁可ゆえに成功した。
第4章 スィースィー政権の権威主義化にみるエジプト国軍の役割 鈴木恵美
「1月25日革命」で国民が否定したのは、ムバーラクの国民民主党政権だったのか、それとも、その政権が拠って立つ国軍が中核となった共和国体制そのものであったのか。
この問いと矛盾を抱えたまま軍部の管理監督するなかで民主化を歩んだことがそもそもの混乱の原因。
第5章 パキスタン政治の変化と軍の役割 井上あえか
司法界は、公益訴訟を通じ、国民の基本権に関わる社会問題について自発的に介入する制度的・法的根拠を拡大し、基礎を固めていった。
→司法界が政治家の不正を告発することで政治に新しいパターンをつくり出す。
第6章 イエメン・ホーシー派の展開 松本弘
イエメンでは、あらゆる政治的アクターが、具体的な政治目標を持たずに行動している。
軍の制度化と家産化が同時に進行したというのがイエメンの政軍関係の最も大きな特徴。
第7章 革命か、クーデタか ──ミロシェヴィッチ体制の崩壊における軍と治安機関の役割── 久保慶一
ミロシェヴィッチがクーデタ耐性を高めたにも関わらず軍と治安機関の離反を防げず政権崩壊が果たされたのはなぜか。
→大衆蜂起があったからこそ特殊部隊の離反があった。その意味ではやはりミロシェヴィッチ体制崩壊はクーデタではなく革命と呼ぶべきである。
第8章 イラク国家建設と軍再建の蹉跌 ──政治の介入と準軍事組織の台頭── 山尾大
軍事能力と象徴機能の両立というジレンマを克服できなかったのは、政治による軍への介入に起因する軍の制度化の不徹底が理由。
第9章 分断社会における国軍の相貌 ──レバノンにおける国民統合と国家建設のトレード・オフ── 末近浩太
レバノン軍は、政治家間および宗派間の相互監視によって二重に牽制される。
→「機能していないから信頼されている」という逆説的テーゼ。(国軍の象徴と機能のトレード・オフ)

第Ⅱ部 市民社会と選挙 ──軍の位置づけ ──

第10章 フィリピンにおける新たな政軍関係の展開 ──「市民的文民統制」は可能か── 五十嵐誠一
なぜ再び軍部の政治的影響力が拡大し民主主義が不安定化したのか(民主主義のジレンマ)
第11章 エジプトにおける2つの「革命」と社会運動 横田貴之
大統領辞任というひとつの単純明快な要求が、蓄積された民衆の不満を糾合。
この革命の帰結をどのようにみるのかによって、暫定統治下の社会運動の活動方針が分かれた。
ムルスィーに幻滅して結成されたタマッルドは、再び単一フレーミングと大規模な路上抗議運動によって軍が介入せざるを得ない状況を創出し、最終的に二度目の「革命」を成功させた。
しかし以後、スィースィーによる市民社会の非政治化の試みに伴い、社会運動は大きく制限されることとなる。
第12章 民主化期のインドネシアにおける政軍関係と市民社会 増原綾子
民主化過程のインドネシアでは、特権を軍に放棄させつつ、その政治的影響力を削ぐことに成功している。ワヒド大統領解任時にあってもクーデタは起こらなかった。
第13章 イランにおける制度的弾圧と一般国民 ──抑圧的体制下の争議政治としての競合的選挙── 松永泰行
非民主的な政治体制にもかかわらず、競合的な選挙が、一般国民が投票者として有意義な役割を果たすことで成立し、事前の不確実性を伴った選挙結果が生み出され、政治的に尊重される;擬似的政権交代
(民主的選挙の最小限の要件のひとつ:事後の不可逆性および反復可能性を伴い、事前の不確実性がある中で事後の不可逆性および反復可能性のある政権交代を実現する選挙)
イラン大統領選挙は、権力関係における意義申し立ての手段として機能している。
イランの最高指導者は、何にも縛られない専制君主ではなく、一定の縛りの下で権力を行使している。最高指導者であっても、正当な根拠なくこの擬似政権交代を蔑ろにすることはできない。
第14章 マレーシアにおけるゲームのルールと軍 ──相互安全保障による漸進的民主化のもうひとつの道程── 鈴木絢女
民主的な競争で負けても、排除されることはないという相互安全保障がエリート間で確立することが、安定的民主主義実践の条件のひとつ(ロバート・ダール)

おわりに







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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell