::: BUT IT'S A TRICK, SEE? YOU ONLY THINK IT'S GOT YOU. LOOK, NOW I FIT HERE AND YOU AREN'T CARRYING THE LOOP.

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“シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇”






“シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇 EVANGELION:3.0+1.0 THRICE UPON A TIME
 総監督 : 庵野秀明
 2021


「これまでのすべてのカオスにケリをつけます」

 劇中でミサトが宣するこの言葉こそが本作品の意義と作り手の覚悟を示している。
 この映画の価値はそれ以上でもそれ以下でもない。どう決着がついているかは問題ではなく、決着がついた(ことになっている)という事実が重要だ。言うなれば遂行的発話。つまり「決着をつける」というのは真偽を語る文ではなく、発話によって行為を実現する文である。
 『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇 』という作品もこの遂行として要約できる。



[以下ネタバレ含む]

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Emeka Ogboh “Beyond The Yellow Haze” (2021)



Beyond The Yellow Haze



 ベルリンを拠点とするナイジェリア出身のアーティスト。現代アートの分野で主に活動してきた人で、出身地であるナイジェリアのラゴスで採取した都市音響を用いたインスタレーションなどを制作してきた。ドクメンタやヴェネツィア・ビエンナーレへ出展したこともある。
 この “Beyond The Yellow Haze” は音楽アルバムという形態で発表されたもの。ベルリンの Ostgut Ton のサブレーベルとなる A-TON からリリースされた。

 全曲、フィールド・レコーディングで集められたラゴスの音を材料としている。これらはもともと 2018年の展覧会 “No Condition Is Permanent” で使われたもので、道路の騒音や雑踏の会話、売り子の呼び声らしきものなどで満ちている。
 ラゴスは「世界でも最も成長が激しい都市」としてRem Koolhaas の都市研究対象ともなったような場所。Emeka Ogboh はラゴスを、決して音が絶えない「眠らぬ都市」と呼んでおり、現在もうひとつの活動拠点としているベルリンは「あまりに静かで逆に夜寝られなかった」と語っている。TATESHOTS - Emeka Ogboh: 'Lagos is a city that is never silent'

 “Beyond The Yellow Haze” ではこうした音響素材がエレクトロニック・ミュージックの作法を伴って編み上げられている。フィールド・レコーディングによるサウンドは寝室の窓外でずっと続く都市の気配のようでもあり、ビートは都市自体が孕むひそかな、あるいは重い脈動といった感じがある。
 手つきが非常に繊細で、どのような機器で再生するのかによって体験も変わりそう。当然ながら、細部ができるだけ知覚されることがのぞましい。




Emeka Ogboh
Information
  OriginEnugu, Nigeria
  Current Location   Berlin, Germany
  Born1977
 
Links
  Officialhttp://emekaogboh.art/
  LabelA-TON  https://a-ton.bandcamp.com/album/beyond-the-yellow-haze-2

ASIN:B08PH84SBD


ピーター・ワッツ “6600万年の革命”

“The Freeze-Frame Revolution”
 2018
 Peter Watts
 ISBN:4488746063


6600万年の革命 (創元SF文庫)

6600万年の革命 (創元SF文庫)




 近未来から超-遠未来に続く “The Sunflowers Cycle” シリーズの中長編。
 これまでに5作品が発表されており、作中世界の時系列で並べると『ホットショット Hotshot』『6600万年の革命 The Freeze-Frame Revolution』『巨星 Giants』『島 The Island』『ヒッチハイカー Hitchhiker(未完)』という順に物語が進む。

 シリーズ概要については短編集『巨星』の感想で書いた文章https://lju.hatenablog.com/entry/2019/04/14/175022で事足りるので再掲しておく。

 銀河系中をジャンプ・ゲートのネットワークで結びつけようというプロジェクトを開始した人類。ゲートをつくるための小惑星改造船を、光速の20%のスピードで銀河系各所へ送り出す。船はAIが完全に制御しており、人間の乗員たちは長大な行程のほとんどを冷凍状態で過ごしている。数千人に及ぶ人員は単に多様性を確保する量的ストックであって、ゲート建造作業のときと、AIが処理できないイレギュラーな事態が発生したときだけ、彼らのうちわずかな人数が目覚めさせられる。
 ゲート建造船のひとつ〈エリオフォラ〉はそんなミッションを長いこと続けていたが、いつしか地球も太陽に飲み込まれてしまっただろうほどの時間が経過してしまう。もはや任務など無意味であるとして旅の中止を試みる乗員たち。しかし船のAI〈チンプ〉はそれを反乱とみなし、鎮圧しようとする。両者はかろうじて和解状態に至るが、以後、人間の乗員とAIとの潜在的対立が始まり、彼らを乗せたまま船は終わりのない旅を続けていく。
 ……というのがこのシリーズの基本的な設定。


 このシリーズを端的に特徴づけるフレーズが『6600万年の革命』の原題 “The Freeze-Frame Revolution” で、ニュアンスとしては「離散的な瞬間を長大な間隔で連ねて企てられる反乱」といったところ。反乱の相手は船の制御AI、目的はゴールなき旅の強制から逃れ自由を獲得することにある。

 ほとんどの時間を冷凍睡眠で過ごす乗員と異なり、制御AIは決して休まず活動し続ける。乗員がこのAIを出し抜くために、落書きや偽装された遊戯を通して互いにメッセージを送り合ったり、死んだと思わせて監視の盲点に潜んだりなどあらゆる努力が続けられ、好機を伺う。AI〈チンプ〉が、人間をはるかに凌駕する高度知性体ではなく、シナプス数で劣る「ほどよい知能程度」にあえて抑えられていることがポイント。人間には思考の柔軟性や社会性・協働という利点があり、〈チンプ〉には遍在的な知覚と時間的な優位とがある。だから抗争が成り立つ。
 〈エリオフォラ〉は繊細に維持される両者の関係で永劫を進み続ける運命にあるのだが、最初に均衡が揺らいだのが、『巨星』『島』で回顧されていた「反乱」であり、その具体的な詳細が『6600万年の革命』にて明らかにされている。

 物語の開始は〈エリオフォラ〉出航から6600万年程が経った頃。既に無数のゲートを構築してきたが、地球との連絡は途絶えており、超空間ネットワークが活用されているのかどうかはわからない。ゲートからはときおり正体不明の存在が姿を見せる。変貌した人類の末裔なのか、それとも未知の知性体なのかも見当がつかない。
 物語の視座は『ホットショット』『島』にも登場するサンデイ・アーズムンディン。構築したゲートから出てきた存在から攻撃を受け、かろうじて回避し得た事件でショックを受けた乗員リアン・ウェイが物語の起点。船の活動意義に疑念を抱いたリアンは反乱に向けてひそかに活動を始め、〈チンプ〉に肯定的な感情を持っていたサンデイも、睡眠中の乗員3000名が秘密裏に殺害されていた事実を知ったことで〈チンプ〉への反乱に加わるようになる。

 後続作品を既読しているのでこの反乱が失敗に終わることは知っているのだが、実際どのようにおこなわれたのかにはかねがね関心があった。〈チンプ〉の「居場所」を知るための方法や〈チンプ〉を破壊する作戦などの具体的な部分にはハードSFとしての刺激があり、船内位置によって異なる重力、人工生態系である〈森〉や〈傾斜の地〉といった〈エリオフォラ〉内部の描写にも味わいがあった。
 しかし全体を通して最も強く感じられるのは、渡邊利道による解説でも書かれているとおり、絶対的な閉鎖感・圧迫感。銀河系ネットワークの建設という目的も距離も時間も圧倒的なスケールの旅なのに、人類文明と隔絶されてしまっており同時に覚醒している人数もきわめて少数という孤独が、何にも増して伝わってくる。*1
 『巨星』『島』では異なる生命体が登場するのでまだしも外部の「他者」がいたわけだが、本作品ではそうしたものはいない。冒頭に現れる〈グレムリン〉も、他者というより「隔絶」の象徴といった扱いであり、目的も希望もない「永遠の強制」という点が際立つ。
 こうしたなかで〈チンプ〉こそは乗員が正対を余儀なくされる絶対の「他者」であって、乗員と〈チンプ〉の関係、もっと言うならば〈チンプ〉とサンデイ、リアン、ヴィクトルそれぞれの対比が、虚空を背景にして浮かび上がるという構図になっている。とりわけ〈チンプ〉への揺れ動く感情を持つサンデイこそは、乗員とAIの関係を代表して担っていると言える。互いに得手・不得手があり相互に反発と依存の理由がある者同士が、決して完全な調和に至ることはなくも仮初めの折り合いをつける──。何ともやるせなくも「実践的」と言わざるを得ないような物語。


『6600万年の革命』は原文の記述に工夫があって、太字部分を拾っていくと作者のウェブサイトに隠されている短編『ヒッチハイカー』へのアドレスがわかる仕掛けになっている。邦訳でも文章に太字部分が仕込まれているが、『ヒッチハイカー』自体はそのまま『6600万年の革命』に続いて掲載されている。
 これは〈エリオフォラ〉が、廃墟となった同型船〈アラネウス〉と邂逅した経緯を描いた話。『巨星』『島』とはまた別の「他者」──あるいは「同種」──が登場し期待させつつ、原文ではクリフハンガーのまま未完で終わっている。時系列では最後尾にあるので、ここからいかようにも展開する可能性があるが、シリーズ全体の基調からしてここから開放的な展開や問題の解への到達には向かわないと思う。
『ヒッチハイカー』で現れる存在は “Rifters” シリーズでの深海適応を想起させ、「閉鎖性」「特殊環境に適合する特殊な人間」「異形的進化」というのが作者の根底にあるテーマ──もしくはオブセッションと感じられる。言い換えるなら、「人間の閾値がどこなのか」をずっと思考しているといったところなのかもしれない。




 

*1: 
 ちなみに、もともと作者はこの作品をゲームとしてつくろうと考えていたらしい。
 Exclusive Interview: The Freeze-Frame Revolution Author Peter Watts

三木那由他 “話し手の意味の心理性と公共性”




コミュニケーションにおける「意味」とは何か、という論考。
全体の構成が非常にわかりやすく、明晰な筆致。
ただ、扱うテーマがテーマなだけに、出てくる具体例がことごとく難しい……。解けたように見えた問題にあえて反論を出して精査することの繰り返しなので、具体例が難しくなるのは仕方ないのだが、なかなか理解できずもどかしい。とはいえ論旨は明瞭なので、全体についていくことには支障ない。
「意図」という、言ってみれば底なし沼のような概念を用いず「意味」を説明している。共同体での規範、多層な共同体、多様な発話要素など、動的で広がりのある結論。社会学的な視角という感じを強く受ける。ここでは話し手と聞き手という対で追究されているけれど、対話のなかで話し手と聞き手がどう入れ替わるのか、というようなことを考え始めると特に。



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マーガレット・アトウッド “誓願”

“The Testaments”
 2019
 Margaret Atwood
 ISBN:4152099704


誓願

誓願




 1985年の『侍女の物語』*1から34年後の発刊となる続編。作中時間では前作から15年が経過していて、アメリカ合衆国の成れの果てとしてのディストピア「ギレアデ共和国」がその後どうなったのかが語られる。

 『誓願』は3人の異なる人物の視点で記述されている。登場する順番で言うと、リディア、アグネス、デイジー。それぞれ「アルドゥア・ホールの手稿」「証人の供述369Aの書き起こし」「証人の供述369Bの書き起こし」という形式の文で書かれている。いずれも、後の世に伝わった記録であることが示されているわけだが、これは前作が後代に発見されたカセット・テープの書き起こしという形式をとっていたことにも通じる。

 前作の末尾「歴史的背景に関する注釈」で明らかにされている通り、ギレアデがいずれ滅ぶことを読者は知っている。そして「証人の供述」ということで少なくともこのなかのふたりの行く末はすぐに想像がつき、解放の可能性が仄見えるのだが、しかしギレアデ内での生活描写はやはり前作同様に重い。さらに今回はギレアデ創始期の回想もあって、〈小母〉という階層およびその最初の四者がどのように生まれたのかという過程も心を抉ってくる。

 とはいうものの、単一人物の独白で過酷と倦怠が並立するような筆致だった『侍女の物語』と比べると、この『誓願』はだいぶ違う。ページを繰る手を止まらせず、一気に読ませる種類の小説になっている。序盤から既に反逆と復讐の気配が、つまり希望と期待の気配が漂っているからだ。そして〈幼子ニコール〉なるものの存在が鍵であることがわかってくると、全体の「計略」が読者にも見え始め、その成就に向けて物語も速度を増していく。


 それぞれ興味深くキャラクターが形成されている主人公3人のうち、最も複雑な質を持つ者を挙げるなら、それは〈小母〉リディアということになるだろう。
 前作ではただ体制の厳格な守り手、箴言の集成として描写されていた者が、本作では如実に心中を独白する。生き延びるためにどのようなことをおこなってきたのか、復讐するために何を準備しているのか。ギレアデ建国前は判事だったが、神政体制の誕生に反抗し死を選ぶことはせず、といって純朴に神を信じるような者でもない。決して善人ではなく、その手は血に汚れて久しい。今なお陰謀と策略を駆使し、生存と反逆のすべを思考してしたたかに生きている。
 彼女たち〈小母〉の立場は、ナチス政権下におけるユダヤ人評議会あるいはゾンダーコマンドになぞらえることもできる。似た例は歴史上、他にもあるだろう。あとがきによればアトウッドは、「自分はこれまでの歴史上や現実社会に存在しなかったものは一つも書いたことがない」という。こうした残酷な立場に置かれることは、現実にもあり得る。おそらく現代あるいは将来でも。
 そのような立場にあってそれでも秘かに反逆を試みる者へは──背後にどれだけの犠牲者を生んだのだとしても──自分としてはとても感情移入してしまう。リディアはアグネスとデイジーのようにただ巻き込まれる者ではなく、画策する者……つまり、自らの意志を持ち、その意志によって「プロット」を、物語を進ませる者だからだ。


 『誓願』の日本語訳書が発売された2020年は、ちょうどアメリカ合衆国大統領選挙の年となった。訳書のふたつの解説がともに現在のアメリカについて触れているように、ギレアデは現実の世界と無縁の絵空事とはいえない。大統領選から一ヶ月弱、現職の第45代大統領が渋々ながらも敗北を受け入れ始めたこの時点で、われわれはギレアデの終わりを目撃しているのか、それとも逆にギレアデの始まりを──より過激化した不寛容主義の勃興を見ようとしているのか。
 わたしはこれまでのところ安全な立場にある。抑圧側のジェンダーにいることも自覚している。しかし混乱を娯楽のように見ていられる対岸にいるなどとは思っていない。世界のどの国も大なり小なりディストピアの面を持っているということには同意するけれど、どの順にどのような脅威と考えるかについて、きっとわたしの考えはあなたと同じではないだろう。



 

TYGAPAW “Run 2 U” (2020)



GET FREE



 ジャマイカ出身、ブルックリンを拠点とするDJによるデビュー・アルバム。
 90年代のデトロイト・テクノを深化させたようなサウンド。

 テーマや背景については、electronicbeatsの記事が詳しい。
 デトロイトのTVプログラム “ The New Dance Show” に触発されてデトロイト・テクノに関心を抱いたのが端緒。今では世界に幅広く浸透しているテクノという音楽が、もともとはブラック・カルチャーから生み出されたものだということを再確認しよう、というテーマでつくられた。
 “our land” というのがひとつのキーコンセプトで、M-5 “Ownland Interlude” のなかでMandy Williams Harris のヴォイスが表現している。
 念頭にあるのは、奴隷として連れてこられ、抑圧の後、幾度の反乱を試み、やがて独立したジャマイカの歴史。ジャマイカ人がどのようにアイデンティティを打ち立てたか、そこに矜持を持つべきだ、ということを主張している。

 こうしたテーマを、北米大陸のアフリカンアメリカンがつくりあげたデトロイト・テクノの上で語り上げるというのが基本的な構図。
 サウンドはパワフル。曲調はジャケットにて如実に表現されている。一定間隔で絶えず押し寄せる音圧。反響するヴォイス。
 必ずしも重く陰鬱というわけでもなく、ときおり流麗なメロディがかすかに伴われていたりする(M-6 “Untitled Fantasy”、M-9 “So It Go”)。
 M-7 “Magenta Riddim”、M-8 “Facety” などはかなりアシッド感があり、ストイックなビートの反復こそテクノの真髄とあらためて理解する。

 90年代的デトロイト・テクノの上にコンシャスなヴォイスが乗るというスタイルは、サウンドおよび解放運動の両面でのリバイバルなのだろう。
 こうした考え方は近年のブラック・カルチャーのひとつの傾向としてある。テクノの再取得というテーマは Speaker Music と完全に同一。ジャマイカという視座をもってブラック・カルチャーを掘り下げる点では Zebra Katz とも重なる。
 なお M-5 “Ownland Interlude” は、M-10 “Ownland” にてビートを加えられたインストとして反復されるのだが、この対はアルバムのなかでコンセプトを示す構成になっていると言える。ループ、リヴァイヴ、エンパワーメントという概念がこの組み合わせによってはっきりと表されている。



TYGAPAW
Information
  Birth name  Dion McKenzie
  OriginMandeville, Jamaica
  Current Location   Brooklyn, NYC, US
 
Links
  Official
    bandcamp  https://tygapaw.bandcamp.com/
    SoundCloud  http://soundcloud.com/tygapaw
    instagram  https://www.instagram.com/tygapaw/
    Twitterhttp://twitter.com/mebetygapaw
  LabelNAAFI

ASIN:B08L5C186M


クリストファー・ノーラン “TENET”






“Tenet”
 Director : Christopher Nolan
 UK, US, 2020


 非常に難解。多くの人が言っているように、タイムトラベル映画で過去最も難解と名を馳せてた『プライマー』(see. https://lju.hatenablog.com/entry/20111023/p1を超える難度。でもアイデアはとても斬新で、映像として見たことのないおもしろさがある。


 基本的にタイムトラベル物のフィクションでは、過去方向であれ未来方向であれ、時間を「跳躍」することでタイムトラベルがおこなわれる。過去へのタイムトラベルも、現在から過去へ跳躍した後は、その時点から順行時間(未来方向へ流れる通常の時間)で過ごしていく。

 “TENET” のあたらしいところは、過去へのタイムトラベルを離散的な「跳躍」ではなく、連続的な「逆戻し」として描いたという点にある。
 もしこの世界の時間があるとき突然逆行を始め、なおかつ人間の意識だけは逆行せずに未来へ向かう時間内にとどまるとしたら、自分が後ろ歩きに進み、その他のあらゆるものが同様に、これまでの運動を逆向きにおこなう情景が観察されるだろう。
 “TENET” では、順行時間で進む世界のなかに逆行可能な存在が紛れ込んでいるという設定のため、一見ふつうに見える世界のなかの一部に後ろ向きに行動する人物や車がいたりする姿が描かれる。また、映画画面が逆行存在の視点になることもあり、そうした場面では、視点以外のものすべてが逆行しているように見える。
 過去への跳躍ではなくて、時間が逆戻りしていく。なおかつそれが正常に時間進行する存在と同時に起こっていたら(観察されたら)どうなるか、というのがこの映画の発明。

 あまり物理学的なことを考えなくても観賞できるのだが、一応科学的(SF的)設定は考えられている。逆行は、古典力学が時間対称であることに基づいて可能になっている。無重力の真空中でふたつの質点が衝突したとき、時間の向きを逆にしても一連の運動はまったく同じように成り立つ、ということと同じだ。
 ただし熱力学的現象はエントロピーがあるため、現実世界は時間非対称となっている。映画内でもそこは言及されていて、エントロピーを操作する技術がつくられたから逆行タイムトラベルが可能になった、と説明されている。エントロピーが絡むので「爆発による炎上」が逆行時間では「凍結」になったりする。(このあたり、厳密な物理学では説明付けられないらしいのだけど、映画としては「エントロピーがあるからこうなる」ってだけで一応納得できる流れにはなってる)


 ともかくこの荒唐無稽・空前絶後のアイデアは、映画という媒体だから実現できたと言っていいだろう。
 文字テクストだったら、順方向にしか読めない。書くことはできるとしても、順方向と同じ速度で逆方向に読んで意味を理解することは困難だ。訓練すればできるかもしれないが、映像なら何ら練習せず苦もなく見ることができる。
 とはいえ、そこから「何が起こっているか」を理解するのは実際には難しい。なんとなくわかるんだけど、何回か見ないと理解できない。一回目では「見る」ことはできても「意味」が掴めない。意味、つまり「原因-結果」という因果関係が、複雑に入り組んで構築されている。
 順行体と逆行体がふたつ共存状態にあるだけでも難解なのに、この映画、順行・逆行の合計6体が交錯するとんでもない場面が出てきたりする。クライマックスでは、ミッションを成功させるために、あるクリティカルな時間点を目指して順行時間側からと逆行時間側からとで「挟撃作戦」がおこなわれる。もうほんと何が起きてるのかわけわかんないんだけど、ある建物を順行側と逆行側両方で爆破したりとか、いやこんな映画今まで見たことなかったよ、よくこんなのつくりあげたな…ってつくづく思う。


 物語の主軸は「逆行物タイムトラベルの悲劇」(順行するAと逆行するB。「まだ何も知らない若いAが、すべてを知っている年取ったBに出会う」→「すべてを知った年取ったAが、まだ何も知っていない若いBに出会う」)のカテゴリーに含まれると思うんだけど、そのドラマ性に関してあまり深く感銘は受けなかったかも。それより、「主人公」の匿名性と人種差別問題がおそらく裏で企図されていることの「あざとさ」という点には注意しておかなければならないと思う。(cf. 空虚な中心としてのジョン・デイヴィッド・ワシントンの身体~人種映画としての『TENET テネット』 - 北村紗衣

 物語としておもしろいとかうまくできている、とかよりも、「がんばって整理・理解する」ということ自体の方に価値があるタイプの映画。
 実際とても難解なので、いろんな人がさまざまなタイムライン図を書いて整理してる。『プライマー』もそうだったけど、自分が理解した内容の図示化という行為が一斉におこなわれているのがおもしろい。
 この映画、複数回鑑賞する必要があるのは当然として、整理しながら自分でタイムラインを描画してみる、という行為まで含めて楽しさがある映画作品だと思う。伏線を発見し、完全には描かれてないけど推測できることを見つけたり。そういう諸々も含めて。





  参考



オフィシャル:https://wwws.warnerbros.co.jp/tenetmovie/index.html
IMDb : https://www.imdb.com/title/tt6723592/







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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell